市山ディレクター、ベルリン映画祭新部門「Encounters」審査員に

今月20日に開幕する第70回ベルリン国際映画祭。エクゼクティヴ・ディレクターにGerman Filmsの前代表マリエッテ・リッセンベーク、アーティスティック・ディレクターにロカルノ映画祭前アーティスティック・ディレクター、カルロ・チャトリアンという新体制で初の開催となる2020年は、映画祭にとり節目の70回目のアニバーサリーです。先週、発表されたコンペティション部門のラインナップにはホン・サンス、ツァイ・ミンリャン、リティ・パンとフィルメックスでもお馴染みの監督たちが名を連ねました。

そして、今年メインのコンペティションの他に、「Encounters」というコンペティション部門が新設され、東京フィルメックスのディレクター市山尚三が他の2監督と共に審査員を務めることになりました。

Encounters Jury:
https://www.berlinale.de/en/festival/awards-and-juries/awards-encounters.html

Encounters部門の紹介ページ
https://www.berlinale.de/en/press/press-releases/detail_29668.html

東京フィルメックス -京都出張編2020- を開催します!

昨年12月に閉幕した第20回東京フィルメックスより、特別協賛としてご支援頂いてるシマフィルム。スポンサーとしてご参加頂いたことを期に、シマフィルムの拠点となる京都の2劇場にて、東京フィルメックスで過去に紹介した作品、シマフィルム作品を合わせた特集上映企画を実施する運びとなりました。

<上映作品>
近日発表となります。

<開催期間・上映劇場>
@出町座 3/13(金)-3/19(木)
@京都シネマ 3/14(土)-3/20(土)

<料金>
当日一般:1,500円
ほか通常料金設定。

<主催>
認定NPO法人東京フィルメックス、シマフィルム株式会社

 

12/1『カミング・ホーム・アゲイン』Q&A


12/1『カミング・ホーム・アゲイン』Q&A
TOHOシネマズ 日比谷

ウェイン・ワン(監督)
谷本 浩之(通訳)

市山 尚三(東京フィルメックス ディレクター)

アメリカ、韓国 / 2019 / 86分
監督:ウェイン・ワン (Wayne WANG)

America, South Korea / 2019 / 85 min.
Director: Wayne WANG

12/1 『HHH:侯孝賢』Q&A


12/1 『HHH:侯孝賢』Q&A
有楽町朝日ホール

オリヴィエ・アサイヤス(監督)

市山 尚三(東京フィルメックス ディレクター)
人見 有羽子(通訳)

フランス、台湾 / 1997 / 91分
監督:オリヴィエ・アサイヤス(Olivier ASSAYAS)

France, Taiwan / 1997 / 91 min.
Director: Olivier ASSAYAS

11/30 第20回 東京フィルメックス 授賞式


11/30 第20回 東京フィルメックス 授賞式
有楽町朝日ホール

市山 尚三(東京フィルメックス ディレクター)

MC:RIO
大倉 美子(通訳)

【コンペティション審査員】
トニー・レインズ(映画批評家・キュレーター・映画作家)
ベーナズ・ジャファリ(女優)
操上 和美(写真家)
サマル・イェスリャーモワ(女優)
深田 晃司(映画監督)

【学生審査員】
渡邉 安悟(東京藝術大学院)
北川 未来(東京学芸大学)
木村 翔武(慶應義塾大学)

【最優秀作品賞】
『気球』 Balloon
監督:ペマツェテン(Pema Tseden)

【審査員特別賞】
『春江水暖』 Dwelling in the Fuchun Mountains
監督:グー・シャオガン(GU Xiaogang)

【スペシャル・メンション】
『昨夜、あなたが微笑んでいた』Last Night I Saw You Smiling
監督:ニアン・カヴィッチ(NEANG Kavich)

『つつんで、ひらいて』book-paper-scissors
監督:広瀬奈々子 (HIROSE Nanako)

【観客賞】
『静かな雨』Silent Rain
監督:中川龍太郎 (NAKAGAWA Ryutaro)

【学生審査員賞】
『昨夜、あなたが微笑んでいた』Last Night I Saw You Smiling
監督:ニアン・カヴィッチ(NEANG Kavich)


【Talents Tokyo Award】
『About a Boy』
シヌン・ウィナヒョコ(Sinung Winahyoko)

12/1 『フラワーズ・オブ・シャンハイ』Q&A


12/1 『フラワーズ・オブ・シャンハイ』Q&A
有楽町朝日ホール

オリヴィエ・アサイヤス(映画監督)

市山 尚三(東京フィルメックス ディレクター)
人見 有羽子(通訳)

台湾 / 1998 / 130分
監督:ホウ・シャオシェン(HOU Hsaio-Hsein)
配給:松竹

Taiwan / 1998 / 105 min.
Director: HOU Hsiao Hsein

11/30 『カミング・ホーム・アゲイン』Q&A

11/30 『カミング・ホーム・アゲイン』Q&A
有楽町朝日ホール

ウェイン・ワン(監督)

市山 尚三(東京フィルメックス ディレクター)
大倉 美子(通訳)

アメリカ、韓国 / 2019 / 86分
監督:ウェイン・ワン (Wayne WANG)

America, South Korea / 2019 / 85 min.
Director: Wayne WANG

【レポート】12/1『カミング・ホーム・アゲイン』Q&A

12月1日、最終日を迎えた第20回東京フィルメックスでは、TOHOシネマズ日比谷12で最終上映が行われた。上映作は、クロージング作品として前日にも上映された特別招待作品『カミング・ホーム・アゲイン』。本作は、1995年に雑誌「ニューヨーカー」に寄稿された作家チャンネ・リーの自伝的な物語に基づき、在米韓国人の家族を描いた作品。上映後には、ウェイン・ワン監督が登壇した。

さっそく質疑応答に移り、まず、本作における料理の意味について問われると、「食べることが大好き」と答えたワン監督。「息子(男性)が母親の料理を再現し、それが母との最後の晩餐になるわけですから、料理は本作を動かす重要な要素」と説明した。さらに、サンフランシスコにある韓国料理の3つ星レストランのシェフをコンサルタントとして起用し、豪華な料理ではなく家庭料理のアドバイスをもらったというエピソードが紹介され、料理へのこだわりをのぞかせた。

続いて、狭い室内をシネマスコープで撮影した意図について質問が及んだ。通常、シネマスコープは動きの多いアクション映画で使われることが多いが、本作では、「狭い室内で展開するミニマルな家族の物語を、あえて広い視野で見せよう」と考えたというワン監督。ただし、狭い室内での撮影には苦労したそうで、部屋の中のシーンのほとんどは、部屋の外から撮影されたとか。そして、自身の映画学校時代を振り返り、そこでシャンタル・アケルマン監督の『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』(’75)の固定カメラによる構図の取り方に感動し、何もない空間に意味を持たせることを学んだことを回想した。

次に、画質としては全体的に青色のトーンが印象的だと指摘されると、少し冷たい感じが母親や家族の苦難を表していると説明。それに対してフラッシュバックのシーンでは、少し温かみのあるトーンにしたという。また、室内では自然光を使って撮影したことも明かしてくれた。自然光を上手く使う撮影監督としてネストール・アルメンドロスの名をあげ、晩年、彼が視覚を失いかけたとき、肌で光を感じたという逸話を紹介した。

また、長らく映画を撮るうちに創作に対するスタンスにどのような変化が生じたかという質問に対して、ワン監督は自身の作品を振り返りながら説明。ワン監督が映画を撮り始めた頃、アジアンアメリカンをテーマにした作品はアメリカ的な視点で描かれたものしかなく、監督自身はアジア文化を正しく反映することを意識したそうだ。初期の作品『Dim Sum: A Little Bit of Heart』(’85)、『Chan Is Missing』(’82)、『夜明けのスローボート』(’89)がその例となる。続く『ジョイ・ラック・クラブ』(’93)はハリウッド手法で大成功を収めたが、そこで一つのイメージの枠にはまることに違和感を持ち、『スモーク』(’95)、『ブルー・イン・ザ・フェイス』(’95)で実験的な作品に挑戦したという。それらを経て、『千年の祈り』(’07)以降には再びアジアンアメリカンをテーマに、自分自身を含めた本当のアジアンアメリカンの姿、アジア文化を描くことを意識していると語った。

最後に、ワン監督は、遅い時間にもかかわらず最後まで残ってくれた観客に「皆さんはこの映画祭の最後の生き残り(サバイバー)です」と賛辞を送り、第20回東京フィルメックスの作品上映及びイベントがすべて終了した。

 

(文・海野由子/写真・明田川志保)

【レポート】『フラワーズ・オブ・シャンハイ』Q&A

12月1日、第20回東京フィルメックスは最終日を迎え、有楽町朝日ホールでは特別招待作品フィルメックス・クラシックとしてホウ・シャオシェン監督の『フラワーズ・オブ・シャンハイ』が上映された。
最終日にあたり、上映前には市山尚三 東京フィルメックス・ディレクターから、すべての来場者及び運営協力者に謝辞が述べられた。また、来日が叶わなかったホウ・シャオシェン監督から届いたメッセージも読み上げられた。

「『フラワーズ・オブ・シャンハイ』では、ほとんどが1シーン1カットで製作されています。本作を初めて公開したとき、私は観客に『この映画を観るとよく眠れます』と言いました。あれから21年が夢のように過ぎ去り、この修復版の上映に際して何かを言うとするならば、『良い夢をご覧ください!』でしょうか」

そして、上映後には、『HHH:侯孝賢』(’98)に引き続いてオリヴィエ・アサイヤス監督が登壇し、『フラワーズ・オブ・シャンハイ』のプロデューサーを務めた市山ディレクターとともに思い出も交えながら、Q&Aが行われた。

会場で久しぶりに本作を鑑賞した感想を問われたアサイヤス監督は、「ホウ監督の作品群の中でも間違いなく素晴らしい作品の1つ。まったく廃れていない永遠性、純粋で明晰なエクリチュール、普遍的な人間の感情、どれをとっても唯一無二の作品」と絶賛した。

本作はホウ監督にとって初めての歴史劇だが、アサイヤス監督も『感傷的な運命』(’00)で歴史劇に挑戦している。歴史劇特有の苦労を問われると、アサイヤス監督は「歴史に忠実であること」を強調し、「映画を通して歴史を知る観客に対して、登場する衣装、小物、人々のたたずまい等、語っている時代の魂を正確に再現する責任がある」と説明。ディテールへのこだわりで歴史劇を大成功させた映画監督としてルキノ・ヴィスコンティ監督の名を挙げ、その点においてはホウ監督にも志の高さを感じると述べた。

市山ディレクターも、時代を再現することに心血を注いでいたホウ監督の姿を目の当たりにしたという。例えば、言語へのこだわり。ホウ監督は、本作の舞台が上海であることから北京語ではなく上海語で貫くことにこだわり、上海語に苦労していたトニー・レオンさんには、広州から来た役人という設定を提案したというエピソードが披露された。

さらに、ホウ監督に質問したいことは何かと問われたアサイヤス監督。「本作には独特のリズムがあり、形式的な意味でも成功している」とした上で、溝口(健二)監督から影響を受けているかどうか訊きたいとか。同じ質問をしたことがあるという市山ディレクターは、「ホウ監督が溝口監督について明言を避けている節があり、ライバルのように感じているのではないか」と語った。さらに、アサイヤス監督は、時の経過の扱い方についても訊きたいそうで、本作では「アヘンの存在が時の経過と人々の苦痛に効果的に作用しているのではないか」と分析した。

会場からの質問では、ホウ監督とリー・ピンビン撮影監督との関係性について話が及んだ。アサイヤス監督は、密室劇での撮影には撮影監督とのコラボレーションが欠かせないと語るも、『HHH:侯孝賢』にリー撮影監督の姿はない。その理由を問われると、『HHH:侯孝賢』に登場する人物の決定権はホウ監督が握っていたが、リー監督が登場しなかったのは撮影時に不在だったというような単純な理由ではないかとのこと。また、ドキュメンタリー映画『風に吹かれて―キャメラマン李屏賓の肖像』(’09、クワン・プンリョン監督、チアン・シウチュン監督の共同監督作)では、本作の撮影時にホウ監督とリー撮影監督が激しく議論を交わしたという回想エピソードがあったと観客から指摘されたが、市山プロデューサーによると、2人は仲が悪いわけではなく、若い頃からよく知っている間柄だからこそ意見を戦わせているのではないかとのこと。

次々とエピソードが明かされ、観客の興味は尽きない様子であったが、『HHH:侯孝賢』でのQ&Aに続き、ホウ監督の魅力を語ってくれたアサイヤス監督には観客から惜しみない拍手が送られた。

 

(文・海野由子/写真・明田川志保)

 

【レポート】『HHH:侯孝賢』オリヴィエ・アサイヤス監督Q&A

12月1日(日)に有楽町朝日ホールにて、第20回東京フィルメックスの「特別招待作品 フィルメックス・クラシック」として、『HHH:侯孝賢』がデジタルリマスター版で世界初上映された。オリヴィエ・アサイヤス監督がホウ・シャオシェン監督に迫った1997年のドキュメンタリー作品で、映画監督が現役の映画監督を撮るというフランスのテレビシリーズ「我らの時代の映画」の一環として制作された。上映後には、新作『冬時間のパリ』のキャンペーンで来日中のオリヴィエ・アサイヤス監督が登壇。市山尚三東京フィルメックス・ディレクターが「今回の“フィルメックス・クラシック”ではホウ・シャオシェン監督の1998年作『フラワーズ・オブ・シャンハイ』もデジタル修復版で上映されるので、それならぜひ『HHH:侯孝賢』も上映させていただきたいとお願いしました。まずは出会いの経緯をお聞きしたい」と話を切り出した。

アサイヤス監督は「出会いは1984年にさかのぼります。当時の私は映画監督になる前で、“カイエ・デュ・シネマ”で映画批評家をしていて、香港映画特集の取材で香港を訪れていたんですね。そのときに“チャイナ・タイムズ(中国時報)”で映画批評をしていたチェン・クォフーさんから、『ぜひ台湾映画を発見するべきだ』と強くすすめられて、台北にも行きました。その頃に台北を訪れる外国人ジャーナリストは本当に少なかったと思うんですが、そこで新しい世代、いわゆる”台湾ニューウェーヴ“の監督たちの存在を知ったわけです。大変な衝撃を受けました。ホウ・シャオシェン監督は『風櫃の少年』を撮っていましたし、”台湾ニューウェーヴ“のもう一人の重要な作家であるエドワード・ヤン監督もクリストファー・ドイル撮影で『海辺の一日』を撮っていました。ホウ・シャオシェンの初期の作品を観たときに、中国映画の歴史に残るような作品だと確信していました。中国映画の巨匠というだけでなく、世界の映画の巨匠となるべきだと。その2年後に私は映画監督になるんですが、非常に影響を受けましたね。彼と私の友情はそのときから始まって、いまでも続いているということです。お互い初期の頃に出会えてラッキーでした」と当時を振り返った。

観客から「素晴らしい作品をまた観ることができてよかったです。このような作品をまた撮るとしたら、誰を撮りたいですか」と問われると、監督はまず「この作品はフランスのテレビシリーズの一環として作られたものですが、ほかの作品には“時間の概念”が欠けているなと思っていたんです。それまではどちらかというと伝統的な問題提起の仕方で作られていましたが、私がやりたかったことはシネフィル的な視点ではなかった。ホウ・シャオシェンの映画を紹介しようとか彼のテーマを分析しようとかではなくて、ひとりのアーティストのポートレートとして、ホウ・シャオシェンという人間その人、友人としての彼をおさめたかった。それは1997年の制作当時、すでに13年の付き合いがある私にしかできないだろうと思っていました。まだどちらも無名だったからこそ、すごく親密で打ち解けた付き合いができたし、信頼というものを築き上げることができました。たとえばカラオケのシーンもそうですが、この映画はそんな特別な友情関係の賜物だと思います」と話し始めた。

そして「ほかの監督を私が撮ることができたなら、あるいは撮るべきだったならという問いかけに対して答えるとすれば、エドワード・ヤン監督です。この作品のなかでは彼は不在ですが、私のなかでは非常に重要な映画人(シネアスト)として位置付けられています。現代の映画史においても、中国映画を新しくリノベーションしたという意味でも。彼とはホウ・シャオシェンと同じくらい深い友情を築き上げていて、この作品でも出演してもらいたかったんですが、彼自身がそれを望まなかったという経緯があります。ホウ・シャオシェンとエドワードがちょっと気まずい関係にあったこともあり、またおそらくエドワードはホウ・シャオシェンではなく僕のポートレートを撮るべきだと思っていたのではないでしょうか。そんなわけで、エドワードのポートレートをやりたくても結果としてできませんでした。彼はあまりにも早くこの世を去ってしまいましたから」と続けた。

「撮影監督のエリック・ゴーティエは最近では是枝裕和監督の『真実』にも参加していますが、彼を起用した経緯は?また、なぜ“台湾ニューウェーヴ”というムーブメントがあの時代のあの瞬間に起きたのか、ホウ・シャオシェン監督に実際にインタビューして感じられたことがあれば」と質問が飛ぶと、監督は「エリック・ゴーティエは『イルマ・ヴェップ』で最初に起用した時に、とてもいいなと、私自身すごく喜びを感じたんですね。初めての場所で知らない世界を発見する好奇心があって、ホウ・シャオシェンの世界観に対する新鮮な視点を持っているというところもよかったと思います。撮影監督のエリック・ゴーティエ、彼の助手のステファン・フォンテーヌ、そして音響のドゥ・ドゥージ。当時はまだ名が知られていませんでしたが、いまでは重要な作り手になっている才能ある人たちと一緒に仕事ができたというのは、ラッキーでした。また“台湾ニューウェーヴ”がなぜ起こったかということですが、当時台湾には戒厳令が敷かれていて、それに対抗するような知的階級のムーブメントがあったんですね。抑圧的な台湾の文化政策からの解放、台湾の政治や現代社会に対しての言論の自由を謳った人たちがいました。そうしたジェネレーションが小説などを契機として、映画の世界にも広がったと認識しています」と話してくれた。

最後に「“台湾ニューウェーヴ”“が起きた後に台湾から香港に出資があり、その後に香港映画が飽きられたというくだりが劇中にありました。2000年代以降になると中国の力が強くなって、その資金で香港映画を制約し始めたということもあるかと思います。そうしたなかで、映画作りの現場にいらっしゃるアサイヤス監督としては、中国の勃興に代表されるような近年の変化は映画制作にどのような影響を与えていると感じていますか」と聞かれると、「私自身はその後ヨーロッパで作品を撮り続けていましたから、アジア映画の現場に立ち会っていたわけではないんですが」と前置きしたうえで、「『HHH:侯孝賢』を撮った後、台湾映画を巡る経済的状況はかなり変化を遂げていますね。助成金が随分と少なくなっている。ツァイ・ミンリャンなどはいても、台湾映画でホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンのような大きな監督たちが出てこなくなった。そして台湾映画は、自国の映画をどれだけのパーセンテージで上映しなくてはならないという制度に長らく守られていたところがあった。でもいまはそれも変わってきている。中国映画が変化して、市場を開放したというのもあると思います。さらに台湾で制作していた人たちが北京に移っていったということもあります。先ほども申し上げたチェン・クォフーさんも北京をベースにして、プロデューサーとして香港のツイ・ハーク監督をプロデュースしています。『HHH:侯孝賢』の共同プロデューサーであったペギー・チャオさんも、北京と台湾を行ったり来たりしていますね。世界の映画は、経済的なものによって新しいプラットフォームができたり映画配給の仕方が新しく変わりつつあったりしますが、私自身はどこから出資されたお金かということで映画の質が変わることはないと思っているんです。たとえばアップル、ネットフリックス、コカ・コーラ、あるいはフランス政府のお金であろうがなかろうが、私たちが作る作品にまったく影響を及ぼすことはないと思っています」と回答。大きな拍手のなか会場を後にした。

アサイヤス監督の新作『冬時間のパリ』は12月20日(金)から公開される。この機会に監督のフィルモグラフィーはもちろん、アジア映画の系譜を辿ってみてはどうだろう。

 

文:福アニー/写真:明田川志保