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『あまり期待するな』スーザン・レイ監督Q&A
from デイリーニュース2011 2011/11/26
11月26日、TOHOシネマズ日劇にて『あまり期待するな』が上映された。ニコラス・レイ監督の生誕百年を機に製作された作品で、『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』と併せて上映されるかたちとなった。未発表のメイキング映像やスタッフ・キャストの証言を駆使して、当時謎に包まれていた、『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』の製作の経緯を明らかにするとともに、ハリウッドの異端児として傑作を残した監督の人となりを伝えてくれるドキュメンタリーである。上映後、ニコラス・レイ監督の晩年の企画に深く関わった夫人のスーザン・レイ監督を迎え、Q&Aが行われた。
映画のなかでは、常に学生に囲まれ(当時学生たちと生活を共にしていた)ニコラス・レイの姿がとても若々しい。「ニコラス・レイ監督が赤い服を着ていると、どうしても『理由なき反抗』のジェームス・ディーンを思い出します。監督は赤い服を身に付けるのが大好きだったのでしょうか」という質問に対し、「彼は若い人と仕事をするのが大好きで、よくそれは言っていました。年寄りは嫌だと」とスーザン監督。また、ジム・ジャームッシュ、ビクトル・エリセなど錚々たる監督が証言を寄せるなか、「ヴェンダースが出てこないのは何故でしょうか?」という質問に対しては「この映画に出てこない監督は他にも沢山いますね」と答えた。
また、ニコラス・レイ監督は映画というメディアをとおして当時の歴史的背景、アメリカの世相を提示しようと試みていたが、「この映画のなかで、監督が「自己イメージの探求の時代が始まっている。まさに暴動より危険なことだ」と言っているがそれはどういう意味なのでしょうか」という藤原敏史監督(『無人地帯』が東京フィルメックスにて上映)の質問に対して「推測ですが、あたりを見回すと今我々のまわりにはブランド、レッテルを貼ること、端的にイメージを作り上げようとしてしまう文化があると思います。実際人間は完璧を想像することさえもできない生き物であるにも関わらず、です。ですから、恐らく彼はこのような状況は血の通った人間性というものに対する脅威だというように考えたのだと思います」と答えた。
また、「レイ監督は『ヘアー』という映画にワンシーンのみ出演していたと思いますが、出演していた最晩年の頃のことで何か覚えていることがあったら教えてください」というファンならではのマニアックな質問に対しては、「よく覚えています。撮影中にカリフォルニアのバースローというところに行って、出演料をギャンブルで全部スッてしまいました」と、映画のなかでも語られていたレイ監督の破滅的なキャラクターを裏付けるエピソードを披露。
最後に、「スーザンさんにとって、映画監督として、また観客として一番好きな作品をそれぞれ挙げてください」と訊かれると、監督としては初心者なので、お答えすることは出来ないと謙遜したうえで「観客としては『にがい勝利』(57)『バレン』(60)を挙げます。この二本は何か、心の中のニックと深いところで共鳴しあっているように感じます」と答えた。
スーザン監督のコメントに、市山尚三プログラム・ディレクターは「レイ監督作品はWOWOWやDVDでも観られますが、この2本に関しては残念なことに観られないんです。僕もこの2本は傑作だと思うので、何とかして観られるようになることを願います」と結んだ。
(取材・文:一ノ倉さやか、撮影:村田まゆ)
「ニコラス・レイを語る」(ゲスト:スーザン・レイさん)
from デイリーニュース2011 2011/11/24
11月24日、有楽町朝日スクエアBにて「ニコラス・レイを語る」と題したトークイベントが行われ、ニコラス・レイ監督夫人であるスーザン・レイさんがゲストとして登壇した。スーザンさんはニコラス・レイ財団の代表として、幻の映画となっていた『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』の修復を手掛け、作品の完成と発表に尽力。35年という歳月をかけた修復は困難や挫折を伴ったが、そこにはニコラスとの不思議な体験もあったと語る。
『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』は、ニコラスさんが大学の授業の一環として、撮影機材をほとんど触ったこともないような学生たちと作った作品だ。スーザンさんは本作品の二つの実験的な要素として、360度の視野を一つのフレームに溶け合わせたマルチイメージとジャーナリスティックな手法を指摘し、その理由を「彼は日常を記録することによって、現実を掌握しようと考えた。また人は直線的に思考するということはなく、その見方をより正直に表そうと試みた」と述べた。撮影された60年代は権力に立ち向かっていった若者が無力になってしまった時代であり、ニコラスさんはそれを「若者は自己イメージの探求を始めた」と表現し、暴動と同じぐらい危険なことだと危惧していたという。
トークでは質疑応答の時間が設けられ、内容に関すること以外にも映画人との関係について、また審査委員長を務めるアミール・ナデリ監督からも質問が挙った。
作品のエンドクレジットにあるジャン=リュック・ゴダールやジム・ジャームッシュとはどのような関係だったのかという質問について、「ゴダールはこの映画を作るときに一番最初に資金を提供してくれた人です。ジャームッシュはニコラス・レイ財団の理事の一人でもあり、いろんな形でサポートしてくれました」と答えた。ちなみに修復については本作が持つ手作り感をできるだけ残そうと編集はせずに、基本的にクリーニングするという以外は手を加えなかったという。ただ音については、「ナレーションを学生の声からニコラスの声に差し替え、消えてしまっていた音をできるだけ補完しました」と説明した。
内容に関する質問については、学生が泣きながらヒゲを剃るという印象的なシーンについて説明を求められたが、「その学生はマイアミで行われた民主党の党大会に撮影に行ったのですが、その帰りにヒッチハイクでゴロツキに襲われました。彼は殴られたのは自分がヒッピーに見えたからで、ヒゲを剃ってもっと普通に見えるようにしなければと考えたのですが、ニックにその決意を話したら、これは撮影しなければということになりました」と回答。スーザンさんは修復過程において、当時のスタッフ・キャストの証言を引用しながら製作の経緯を明らかにしたメイキング・ドキュメンタリー『あまり期待するな』を制作しているが、その中でこの学生が当時のことを振り返るシーンが収録されている。
質問の最後にナデリ監督が、「映画に関わっている人間にとって宝物のような作品で40年前にこのような映画が作れたということにとても驚いています」と述べ、修復過程におけるスーザンさんの心境の変化について訊ねた。するとスーザンさんは、最初はとても気の重い作業であったと語り始めた。自分の夫が全てを無防備にさらけ出している本作は、スーザンさんにとって必ずしも心地の良いものではなく、当時は作品について充分に理解していなかったという。また修復の支援を断られるということも辛い経験だったようだ。何度も挫けそうになりながら、もう一度向き合おうとした時、ベネチア映画祭ディレクターのマルコ・ミュラー氏の後押しがあって前進することができたのだという。作品に対しては多くの疑問があったが、ニコラスの不思議な習慣によって助けられたのだそう。「彼は人と話す時も独り言をいう時も、必ず録音していました。それを全て再生してみたのですが、それはまるで彼があの世から語りかけてくるような不思議な体験でした。彼は私の質問にたいして直接的に、明解に、自分の言葉を使って全て答えてくれました。彼は映画作りの中で何をしたいかという迷いがなく、明確でした」。修復を終える頃には、この映画は記念碑的な映画であるという確信に変わっていたと言う。
スーザンさんは、「今まで読んだあらゆる評論よりも、この作品を言い表している」として、ある俳句を引用した。最後にそれを紹介したい。
「若くあり続けるために、世界を救うために、鏡を壊せ」
ニコラス・レイ生誕百年記念上映では、『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』と『あまり期待するな』が11月26日(土)に再上映される。
(取材・文:鈴木自子、撮影:村田まゆ)
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