【レポート】『この世の外へ クラブ進駐軍』阪本順治監督・オダギリジョーQ&A

11月30日(土)、有楽町朝日ホールにて特集上映 阪本順治監督特集『この世の外へ クラブ進駐軍』が上映された。敗戦の名残りが色濃い時代に、米軍基地でジャズを演奏する5人の青年の物語。上映後のQ&Aには、阪本順治監督と俳優のオダギリジョーさんが登壇した。

初めに、市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターから、制作の経緯をたずねた。当時、かつて米軍キャンプ内で演奏していたミュージシャンが集うコンサートが毎年8月15日に開かれており、阪本監督がこれを見たことが制作のきっかけになった。『この世の外へ』のエンドロールにこのコンサートの模様が使われている。ミュージシャンと同世代の観客の姿に、初めてコークを飲んだのも、初めてジーンズを履いたのも、この人たちだったとの再発見が阪本監督にはあった。
戦争を知らない監督の世代にとって戦後を映画で描くことは度胸がいるが、音楽を介すればできるのではないかと思ったという。「敗戦処理をしているときが一番平和だった」という喜劇役者藤山寛美の言葉が阪本監督には印象に残っており、死の恐怖から解放された状況で前向きだった人たちを念頭に置いて今作は作られた。

一方、オダギリさんが15年前に公開された今作を見たのはかなり久しぶりで、記憶が曖昧な分、他人が演じた作品を初めて見たるようだった。唯一、ジョーさん(松岡俊介演じるベーシスト)に「ジャズが好きです」と言うシーンは、直前に「ジャズが好きです」と言うだろうなと思ったと話した。
オダギリさんの起用は、ユーモラスで、でも長崎で暗いものを背負っているというキャラクターに合うと思ったためと、阪本監督は語った。演奏できない人に練習してもらうことを決めていたので、オダギリさんにドラム経験があると後から知って悔しかったそう。オダギリさんによると、バンドマンを演じた俳優たちはすごい稽古をして、普通に演奏できるレベルになっていた。オダギリさんにとっては、初めの頃の素人としての演技の方がむしろ難しかった。

今作で基地司令官ジムを演じたピーター・ムランは、ケン・ローチ監督『マイ・ネーム・イズ・ジョー』でカンヌ国際映画祭の主演男優賞、監督・脚本を務めた『マグダレンの祈り』でベネチア映画祭の金獅子賞を獲得。撮影当時、オダギリさんはバンドメンバーとしてステージにいて、客席のムランさんとほとんど話す機会がなかった。
ムランさんの起用はハリウッドの俳優の出演交渉が難しかったことがあった。『ぼくんち』をベルリン国際映画祭に出品してベルリンにいた阪本監督のもとに連絡があり、スコットランドのグラスゴーで会ったムランさんは出演を承諾した。ジャズサックス奏者であり日本兵に恨みをもつ米兵役だったシェー・ウィガムの出演も、彼と共演できることが理由だった。

客席からの質問は、今作以降もタッグを組んでいる二人がもつお互いの印象について。阪本監督は、キューバで少人数で撮った『エルネスト もう一人のゲバラ』での親密なエピソードを挙げ、オダギリさんは一番大切な俳優だと語った。「困難な仕事でもやり切ってくれる」と信頼する。
役者と監督のいずれの視点から見ても、オダギリさんにとっての阪本監督は自分に厳しい人だという。「阪本監督のスタイルから多くを吸収してしまった」と語り、阪本監督のストイックさを思うと、監督を務めるときの自分は甘いと怒られそうだとした。3作品への参加で教えられたのは、映画に誠意をもって真面目に向き合うこと。会うたびにそれを思い出させられる怖さがあると語った。
横で聞いていた阪本監督は「呑んだら、「順ちゃん、まあ呑んでよ」って言いますからね」と、会場の笑いを誘った。

続く質問で、自身の監督作品への起用を問われると、阪本監督は『エルネスト』以上に困難な役の可能性と、「どこかの国に行くんじゃないかな」と語った。オダギリさんの作品には俳優でも助監督でも参加しないと断言。言われたオダギリさんは困り顔。『ある船頭の話』の撮影中に訪れた阪本監督の滞在時間が30分くらいとのエピソードを披露し、阪本監督も気を使うだろうから、どんな立場でも使えないとした。

最後に、阪本監督は『この世の外へ』に参加した米兵に関する思い出を教えてくれた。今作では米兵がボランティアで出演しているが、前年に始まったイラク戦争への派兵を前に参加した兵士もいた。阪本監督が贈ったビリケンのキーホルダーと一緒に写った写真を、彼らはイラクから送ってくれたそうだ。阪本監督にとっても、米兵たちがそういう現実を背負っていることで、脚本執筆時と違う意識が生まれた。

阪本監督の今後の予定は未発表だが、1本が公開予定、1本を製作中。オダギリさんは『ある船頭の話』が引き続き公開中。未見の方はぜひ劇場でご覧ください。
(文・山口あんな/写真・明田川志保、白畑留美)