【レポート】12/1『カミング・ホーム・アゲイン』Q&A

12月1日、最終日を迎えた第20回東京フィルメックスでは、TOHOシネマズ日比谷12で最終上映が行われた。上映作は、クロージング作品として前日にも上映された特別招待作品『カミング・ホーム・アゲイン』。本作は、1995年に雑誌「ニューヨーカー」に寄稿された作家チャンネ・リーの自伝的な物語に基づき、在米韓国人の家族を描いた作品。上映後には、ウェイン・ワン監督が登壇した。

さっそく質疑応答に移り、まず、本作における料理の意味について問われると、「食べることが大好き」と答えたワン監督。「息子(男性)が母親の料理を再現し、それが母との最後の晩餐になるわけですから、料理は本作を動かす重要な要素」と説明した。さらに、サンフランシスコにある韓国料理の3つ星レストランのシェフをコンサルタントとして起用し、豪華な料理ではなく家庭料理のアドバイスをもらったというエピソードが紹介され、料理へのこだわりをのぞかせた。

続いて、狭い室内をシネマスコープで撮影した意図について質問が及んだ。通常、シネマスコープは動きの多いアクション映画で使われることが多いが、本作では、「狭い室内で展開するミニマルな家族の物語を、あえて広い視野で見せよう」と考えたというワン監督。ただし、狭い室内での撮影には苦労したそうで、部屋の中のシーンのほとんどは、部屋の外から撮影されたとか。そして、自身の映画学校時代を振り返り、そこでシャンタル・アケルマン監督の『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』(’75)の固定カメラによる構図の取り方に感動し、何もない空間に意味を持たせることを学んだことを回想した。

次に、画質としては全体的に青色のトーンが印象的だと指摘されると、少し冷たい感じが母親や家族の苦難を表していると説明。それに対してフラッシュバックのシーンでは、少し温かみのあるトーンにしたという。また、室内では自然光を使って撮影したことも明かしてくれた。自然光を上手く使う撮影監督としてネストール・アルメンドロスの名をあげ、晩年、彼が視覚を失いかけたとき、肌で光を感じたという逸話を紹介した。

また、長らく映画を撮るうちに創作に対するスタンスにどのような変化が生じたかという質問に対して、ワン監督は自身の作品を振り返りながら説明。ワン監督が映画を撮り始めた頃、アジアンアメリカンをテーマにした作品はアメリカ的な視点で描かれたものしかなく、監督自身はアジア文化を正しく反映することを意識したそうだ。初期の作品『Dim Sum: A Little Bit of Heart』(’85)、『Chan Is Missing』(’82)、『夜明けのスローボート』(’89)がその例となる。続く『ジョイ・ラック・クラブ』(’93)はハリウッド手法で大成功を収めたが、そこで一つのイメージの枠にはまることに違和感を持ち、『スモーク』(’95)、『ブルー・イン・ザ・フェイス』(’95)で実験的な作品に挑戦したという。それらを経て、『千年の祈り』(’07)以降には再びアジアンアメリカンをテーマに、自分自身を含めた本当のアジアンアメリカンの姿、アジア文化を描くことを意識していると語った。

最後に、ワン監督は、遅い時間にもかかわらず最後まで残ってくれた観客に「皆さんはこの映画祭の最後の生き残り(サバイバー)です」と賛辞を送り、第20回東京フィルメックスの作品上映及びイベントがすべて終了した。
 
(文・海野由子/写真・明田川志保)

【レポート】11/30『カミング・ホーム・アゲイン』ウェイン・ワン監督Q&A

11月30日(土)、有楽町朝日ホールにて、第20回東京フィルメックスのクロージング作品としてウェイン・ワン監督の『カミング・ホーム・アゲイン』が上映された。韓国系米国人の作家が、大晦日に集まる家族のために、母親から教わった手料理を作り始める。そうして人生における様々なフラッシュバックを挟みながら、在米アジア人の家族を描く作品だ。上映後にはウェイン・ワン監督が登壇し、「東京フィルメックスは何度もお邪魔していますが、その度に若いフィルムメイカーたちからたくさんのことを学んでいます。この作品は彼らの影響を受けているように感じるんですね。私はハリウッドで作品を作っていた時期もありますが、いまは映画作りというものを、また一から学び直している感覚なんです」と話し始めた。

続けて市山尚三東京フィルメックス・ディレクターが「昨年は審査委員長を務めていただいて、今年はこんなに素晴らしい作品でまた来ていただいて、本当にありがとうございます。『カミング・ホーム・アゲイン』を観て、たとえば初期の『Dim Sum: A Little Bit of Heart』など、アメリカ在住の中国人の家族を描いた作品を彷彿とさせました。今回は韓国人の家庭を扱っていますが、この映画を作られた経緯は?」と問いかけると、「今回一緒に脚本を執筆したのはチャンネ・リーさんという韓国系米国人作家なんですが、もともとは別の作品を映画にしようとしていたんです。でも難航していて、ある日ランチを食べている時に、だったら違うことをやろうと。それで1995年にザ・ニューヨーカー誌に発表した母親と韓国料理についてのエッセイを僕も読んだことがあったので、それを原作として、映画化しようと。そこからはトントン拍子に話が進んでいきました」と監督。

観客から「『Dim Sum: A Little Bit of Heart』もこの作品も『食』が中心にありますが、監督にとって家族を喚起させるような『食』はありますか?」と質問が飛ぶと、監督は「やはり点心かもしれません。祖母も母も餃子がとても得意だったのですが、残念ながらふたりとも亡くなってしまったので、その餃子も口にすることができなくなってしまいましたが…」とぽつり。また「監督は中国系アメリカ人ですが、この映画に出てくるのは韓国系アメリカ人の家族です。同じアジア系といっても、韓国系と中国系で違うところはありますか」との問いには、「準備中、毎日違うなと感じていました。なのでリアリティを出すために、様々なコンサルタントに入っていただいて、その違いを指摘していただきました。中国系、韓国系、日系それぞれに違う文化を保ち続けていて、とはいえアメリカ人でもある。今回主人公を演じたジャスティン・チョンさんは韓国系なのですが、彼に言われたのが、たとえば夕食のシーン。あの場面だと韓国系の方のほうが気持ちが高ぶってしまって怒りが爆発するから、よりバイオレントになると思うと。もしかしたら中国系の方よりも韓国系の方のほうが、気持ちを正直に、素直に出すということがあるのかもしれませんね」と話してくれた。

「終盤、息子が母の部屋を片付けるシーンがあってそれで終わりかなと思ったんですが、そのあとふたつのシーンが付け加えられていますよね。それはなぜですか?」と聞かれ、「ふたつのシーンは、それまでの時間の流れや感覚とはちょっと違う、エピローグとしてイメージしていました。冒頭に出てきた『骨に繋がった肉』に関わるものとして。そして、実は原作の短編がそういう終わり方をしているんですね。それは核の部分であったので、リスペクトを込めて最後につけています」と監督。また「それと関連して、エピローグでは劇伴が入っていて、本編ではラジオやCDから聞こえてくる曲はあるにせよ劇伴が使われていなかったのは、時系列が違うということを意識されていたからでしょうか」との問いにも、「まさにおっしゃったとおりです。それだけ最後のセクションは特別なものになっています。あとはすべてに意味を持たせる、すべてを因果関係で繋げるということを、あえてしたくなかったんですね。歳を重ねるにつれ、なにも意味を持たないシーンも面白いんじゃないか、具体的な意味がなくても興味深いと思えるようになりました。とくにハリウッドの映画作りというのは、どのシーンも常に意味を持たなければいけないことが多いですからね。意味というのは観客の手にあると考えています。シーンに劇伴をつけるのは、どうしても作り手の思惑を強いてしまうようなところがありますから」と答えてくれた。

最後に監督が思う「死」について聞かれ、監督は「日本の方は変化を受け入れる感性をお持ちだと思っている。『もののあはれ』(日本語で!)というんですかね。たとえば小津や成瀬といった日本映画を観たことで、自分はその死生観にとても影響を受けていると感じます。『カミング・ホーム・アゲイン』も、変化に対する受容、そうした感覚にオマージュを捧げるような映画になっているかなと思います」と締めくくった。もうすぐ大晦日。改めて家族の形を考えてみるのもいいかもしれない。
 
文:福アニー/写真:明田川志保