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『アナ・アラビア』 ANA ARABIA / ANA ARABIA
イスラエル、フランス / 2013 / 85分
監督:アモス・ギタイ (Amos GITAI)

【作品解説】
テルアビブ郊外のヤッファ地区とバットヤム市の境界にある古い住宅地に若い女性ジャーナリスト、ヤエルがやって来る。ユダヤ人とアラブ人が居住しているこの住宅地で、ヤエルは住人たちに取材を始める。時の流れから取り残されたかのような雰囲気の中、ヤエルは仕事を忘れて人々の話に聞き入る......。アモス・ギタイの最新作は全編ワンカットの驚異的な長回しによって古い共同体の人間模様を見せてくれる傑作だ。ギタイがドキュメンタリーで追求してきた共生のテーマに連なる作品と言えるだろう。映画は夕方4時から5時半にかけて撮られたというが、夕暮れの微妙な光の変化をとらえた撮影は見事という他ない。ヴェネチア映画祭コンペティションで上映。







アモス・ギタイ (Amos GITAI)



1950年、イスラエルのハイファ生まれ。大学で建築学を専攻する傍ら、73年より8mm映画の自主制作を始める。77年以降、イスラエル国営テレビ(ITV)のためにドキュメンタリーを製作。82年の『フィールド・ダイアリー』が当局から放送禁止になったのをきっかけに亡命、パリに拠点を移し、85年、初の劇場用映画『エステル』を監督。93年にイスラエルに帰国する。主な作品には、『ベルリン・エルサレム』(89)、『ヨム・ヨム』(98)、『キプールの記憶』(00)、『ケドマ』(02)、『フリーゾーン・明日が見える場所』(05)、『撤退』(07)、『カルメル』(09)、『父へのララバイ』(12)など。ロンドン、ニューヨーク、モスクワ、パリなどに続き、東京でも2010〜2011年にかけて大規模な特集上映が行われた。

【コメント】
『アナ・アラビア』のストーリーはいくつかの情報を基にして作られた。そのうちひとつは、ヨーロッパの新聞に掲載されたイスラエル北部の村、Umm el Fahemに住む女性についてのニュースである。この女性はカルシウム不足が原因で医師のもとを訪れた時に、医師から子供のときに栄養失調ではなかったかと聞かれた。イスラム教徒のように頭を覆っているその女性は、しばらくためらった後、実は自分はアウシュビッツで生まれたと話した。強い憎しみと衝突ばかりのこの地域で、アウシュビッツ生まれのユダヤ人女性とイスラム教徒の夫という非常にまれな友情と愛の話をこの記事を通して私たちは発見した。彼らは、5人の子供と25人の孫がいるといわれている。このことは、偏見と敵意の境界線を打ち壊したこのストーリーをどう伝えるかという私の探究のきっかけとなった。また、過去20年の私のドキュメンタリーシリーズ"ラシュミア谷"三部作も参照した。この映画は、北イスラエルのラシュミア谷に住むアラブ人とユダヤ人グループの生き方と生活の断片を描いたものである。







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