10/30『西瓜』Q&A

10月30日(日)、ツァイ・ミンリャン監督デビュー30周年記念特集の『西瓜』(2005年)が有楽町朝日ホールで上映され、ツァイ監督と主演俳優のリー・カンションさんを迎えて質疑応答が行われた。

 

本作はツァイ監督による7本目の長編映画で、2005年のベルリン国際映画祭で銀熊賞(芸術貢献賞)受賞した。記録的猛暑で水不足となった台湾の街を舞台に、ある女性とAV男優の純愛をミュージカルシーンを交えて描く。

今回は30mmフィルムでの上映だった。質疑応答でも、まずフィルム撮影についての質問が挙がった。現在はデジタル作品が中心のツァイ監督は「私たちの世代の監督は35mmフィルムにとても思い入れがあります」と即答。「フィルムで撮っていた頃が懐かしい。どんな色が出るか、どんな風に撮れたかが、現像するまでわからない。ラッシュを見て、こんな風になっていたのかと目を見張る。そういう美的な感覚はフィルムでしか味わえないものです」と振り返り、リーさんが出演した蔦哲一朗監督の「黒の牛」が30mmフィルムでの撮影だったことに触れ「すごくうらやましいです」と語った。

本作が『ふたつの時、ふたりの時間』の続編と認識されている点についても話は及んだ。「自分の映画を独立して見ていただいてもいいし、互いにリンクしていると思われてもいい」とツァイ監督。「この2作に限らず、私の作品は結末をはっきり語っていません。登場人物たちが映画が終わった後にどこに行き、どうなるのかははっきりしていない。そんななかで、次の作品を撮り始めるという感じなのです」

昔の音楽に乗せたミュージカルシーンも、観客の好奇心をかき立てた。ツァイ監督は、「自分が大好きな中国語の歌を入れることで物語を進めたいと考えていた」と説明した。エロティックなシーンが多い作品だが、「あまり重たく表現したくなかったので、歌や踊りを入れ込むことで、軽やかさを出したかった。ミュージカルと情欲シーンをわざと結合することで、新しい感覚を引き出したかった」と語った。

リーさんもミュージカルシーンの撮影中のエピソードを紹介。「『半分の月』という歌に合わせた最初のミュージカルシーンは大変でした。大きな給水塔の中で撮ったのですが、衣裳のガラスのような繊維が体に張り付いてなかなか取れなくて。皮膚が1週間赤く腫れました。当時は若くて元気バリバリだったから撮れたけど、今なら無理ですね」と振り返った。

 

ツァイ監督も公開当時の意外な秘話を明かしてくれた。「台湾ではポルノ的なシーンが多いことが議論になったのですが、国際映画祭で受賞したことで審査部門もすんなりと通してくれた。おかげで、この作品は私の全作品のなかで最大のヒット作になりました」。一方、日本でも映倫管理委員会の審査に関連して忘れられない出来事があったという。「ぼかしを入れるのを避けるため、日本の配給会社は『オリジナルのままで通してほしい』と映倫にわざわざ手紙を書いたそうです。しかし、映倫はこの手紙を拒否しました。なぜなら、この映画は性産業という仕事の光景を描いたもので、そもそもぼかしは不要だと判断したから。映倫はとても開明的だと思います」

西瓜をモチーフにした理由についての質問では「西瓜が好きだから」というツァイ監督の一言に、観客は爆笑。西瓜を半分に切った姿が顔のように見えることや、『愛情万歳』でも同様の描写があることなど、話が尽きぬまま終了時間に。ツァイ監督は「公開19年ぶりにスクリーンで上映されて本当に嬉しい」という感謝の言葉で質疑を締めくくった。

 

文・王 遠哲

写真・吉田 留美

11/3『石がある』舞台挨拶・Q&A

11月3日(木)、有楽町朝日ホールでメイド・イン・ジャパン部門『石がある』がワールドプレミア上映された。上映前に太田達成監督、ダブル主演の小川あんさん、加納土さんによる舞台挨拶が行われ、上映後には太田監督を迎えて質疑応答が行われた。

舞台挨拶に登場した太田監督は、「企画が生まれて3年間、コツコツと撮影を積み重ねて、このように大きな舞台でワールドプレミア上映することができて嬉しく思います。キャスト、スタッフに感謝します」と喜びを語った。

緊張しているという小川さんは、「観客のみなさんには、五感を研ぎ澄ましてご覧いただきたいです」と上映への期待を込めた。加納さんは、「ゆったりと時間をかけて、ひとつひとつ丁寧に向き合って、考えながら作り上げ、良い映画ができたと思います。ゆったりとした時間をみなさんも感じていただければと思います。みなさんの反応が楽しみです」と語った。

上映後の質疑応答には、太田監督が再登壇した。本作は、個人的な旅行体験から着想を得たという。その旅行体験とは次のようなものだった。

友人の親が所有している長野の別荘に向かったが、観光地ではなく、周囲は森や川といった自然ばかり。特にすることもなく川辺を散策し、気づいたら石を拾っていた。それにつられて、みんなでお気に入りの石を選ぶことに。夢中になっているうちに日が暮れ、お気に入りの石を握りしめて戻る途中、友人の一人が石をなくしてしまった。暗がりの中で見つけることはできず、諦めて別荘に戻った。翌朝、友人がなくした石を探そうと川辺に行くと、そこは朝日に照らされた石だらけの光景。その光景を目の前にして、見つかるわけがないと悟り、その途方もない無意味さに心が震えた。

太田監督は、この個人的な体験を映画の時間を通して見つめなし、確かめようと思ったことが本作の出発点であること、石と川が脚本のキーワードになったことを丁寧に説明してくれた。

劇中の舞台となった川は、神奈川県の酒匂(さかわ)川。いろいろな川を見て回り、最終的に酒匂川を選んだ理由は、「川上に向かって進んでいくと、途中でコンクリートの人工物にぶつかって強制的に引き返さなければならないという特徴があったから」だという。

続いて、登場人物についての話が及んだ。加納さんが演じる人物は、仕事終わりに川で水切り遊びに興じており、その生産性のなさを他人に目撃されると嬉しくなるというキャラクター。小川さんが演じる人物は、出来事に対して、論理的に動くのではなく、ただひたすらリアクションすることを積み重ねていくキャラクター。太田監督は、「この2人が作り出すキャラクターが何の利害関係もなく出会い、ただ時間が過ぎていくという物語」と、キャラクターと物語のシンプルな関係性を説明した。

脚本とアドリブの境界については、「即興性を生むというよりは、毎日変化する川によって強制的に対応せざるを得ない感じでした。基本的には脚本どおりで、具体的なアクションに関してはいろいろ考えざるを得ない状況で、常に発見していくという感じでした」と語った。

撮影では、足場の悪い川辺をなんとか歩いて、カメラを置くという行為を繰り返したという。「川の状況によって、いろいろなことを決めていかざるを得なかったし、自然に対してこちらはどう反応するかということを撮りたかった」と振り返った太田監督。また、4:3(スタンダード)の画面比率を選んだ理由として、横に広がりツーショットが収まる16:9(ワイド)と異なり、何を見せるかを選ばなければならないスリリングな瞬間が作り出される点を挙げた。その判断はカメラマンの深谷祐次さんに委ねたという。

不思議な味わいのある音楽については、音楽担当の王舟さんから「ただリズムがあればいいんだよね」というアドバイスを受けて、1曲目はメトロノームのように一定のリズムを刻む、2曲目は少しリズムが崩れる、3曲目はリズムすらなくすという展開にして、音楽自体が映画の物語とは別に登場人物とともに変化を遂げるような設計にしたとか。音楽によって映画の世界に引き込まれすぎないように、フレーム外の世界を作ることで、もう一度、映画の世界に引き込むという効果を狙ったという。

製作過程では、「シンプルな物語を描くのに、いかにカメラという装置を駆使するか、本当に映画になるのだろうか、圧倒的な無意味さを描くことに価値があるのだろうか」と自問自答していたという太田監督。そんな監督に勇気を与えたのは、過去の映画作品ではなく、社会学者の岸政彦氏の本であったことも明かしてくれた。

「これで映画になると思われた瞬間はいつですか」と訊かれると、太田監督は、「今ですかね。大勢の方に観ていただいて、ようやく映画になったと実感しています。製作過程でも、撮影のときに喜びや発見がたくさんありましたし、それらが編集によって作り上げられていくときも、『これは映画だぞ』と感じました。今日はとても嬉しいです」とあらためて上映の喜びを語った。

 

最後に、ワールドプレミア上映に駆けつけた客席のスタッフ、キャストを改めて紹介。大きな拍手のなかで質疑応答が終了した。

文・海野由子
写真・吉田 留美、明田川志保

11/2『ダム』Q&A

11月2日(火)、有楽町朝日ホールでコンペティション作品『ダム』が上映された。レバノン出身のビジュアル・アーティストであるアリ・チェリ監督の長編デビュー作。レンガ職人の男が泥で作る不思議な建造物が独自の生命を獲得していく様子に、壮大なテーマが投影されている。上映後にはチェリ監督が登壇し、観客からの質問に答えた。

本作はチェリ監督の短編映画『The Disquiet』『The Digger』とともに三部作をなす。いずれも監督のルーツや関心のある地域を舞台に選び、地域の特性を活かした作品づくりを目指したという。

三部作に共通する主題は「大地」だと語るチェリ監督。「地理的に暴力行為があった地域を選びました。暴力があったという要素が大地や水に溶け込んで人の体の一部となっています。それが目に見えない暴力という形で浮き上がり、ストーリーを作り、歴史になっていきました。そういった素材を切り取って見せることで、社会・経済・歴史的にその土地のことを理解する入口となるような作品を目指しました」と語った。

泥を使ったシーンが多く登場する本作。泥というモチーフの意味を問われると「泥には様々な空想を触発し、他の世界への扉を開く可能性があります。人間と別個なものを想像させるものでもあります。そもそも、人類は家や器を土から作ってきました。映画に出てくるレンガ職人も数千年続く手法でレンガを作っています。そのため、泥は継続することや積み上げることを比喩として表しています」と述べた。

続いて、撮影プランについて質問が及んだ。監督は「風景をきちんととらえるために、カメラを固定して撮影しました」と撮影へのこだわりを明かした。そして「地元の雰囲気や自然のような地域性を重要視しています。ナイル川や山といった神聖な土地へのオマージュや人への敬意を持って撮影に挑みました」と付け加えた。

また、本作では犬が何度も登場し、主人公との関係性が物語の中で変化していく。この犬の存在は「前の段階を切り離して次の段階に行くためには、何らかの暴力を伴うこと」を示唆しているという。さらに監督は「主人公に癒しを与えたり怒りを鎮めたりというように、彼にとって必要な変化をもたらすための存在」だと説明した。

脚本についても語ってくれた。「まず一回目にスーダンを訪れた際にレンガ職人に会い、その土地、そこの人たちを想定して脚本を書きました。実際にその時にあったことを反映しています」という。

撮影は想定外の事態が続いた。「2017年から準備を始め、2019年に現地で撮り始めたのですが、その直後にクーデターが起き、オマル・アル=バシール大統領が追放されて政権が崩壊。我々も帰国を余儀なくされました。やっと再開のめどがつくと今度はコロナ禍。いつ現地に戻れるか分からない状況のなか、構想を練り直した。最初の撮影はドキュメンタリーでしたが、再びスーダンに戻ってから同じシーンを演じてもらったため、後半はフィクションといえますね」と話した。

脚本のクレジットには、ベルトラン・ボネロ監督も名前を連ねている。コロナ禍のロックダウンでパリに足止めされている間に連絡を取り、メールで意見を交わしながら脚本に磨きをかけていったとを振り返り、「全く違うスタイルの作品を撮る第三者の目線を取り込むことができました」と述べた。

最後にキャスティングの話題になった。出演者はプロの俳優ではなく、全員が自分自身を演じている。主演のマヘル・エル・ハイルさんは、俳優になることを夢見ていたと監督に直談判して役を獲得した。監督は「彼はジャッキー・チェンの映画が好きなので、アクション映画に出たかったようです。残念ながらその夢は叶わなかったけれど、映画デビューはできました」と明かし、「彼との信頼関係があったから撮れました」と語った。

言葉の端々から作品への強いこだわりや想いが伝わってきたチェリ監督。充実の質疑応答は、会場からの大きな拍手によって締めくくられた。

文・塩田衣織

写真・吉田 留美、明田川志保

11/01『自叙伝』Q&A 

11月1日、コンペティション部門『自叙伝』が有楽町朝日ホールで上映された。インドネシアの小さな町を舞台に、疑似親子的な関係を結ぶ2人の男を通して独裁的な強権支配の構造を描いた意欲作。上映後の質疑応答にはアクバル・ムバラク監督が登壇し、製作の裏側を語った。

映画批評家出身のムバラク監督は本作が長編映画デビュー作。製作のユリア・エフィナ・バラさんはタレンツ・トーキョー2020の修了生で、本作はタレンツ出身者の企画を支援する「ネクスト・マスターズ・サポートプログラム」の対象作にも選ばれている。

主人公は、地元の有力者の大邸宅の管理を父から引き継いだ19歳のラキブ。邸宅の主である退役将軍プルナに可愛がられ、彼に傾倒していくが、やがてその暗部を目の当たりにする。インドネシアで1990年代末まで続いた独裁政権下のような緊張感が全編に漂うが、時代設定は「2017年」。Q&Aでは、この点について神谷直希プログラミング・ディレクターがまず尋ねた。ムバラク監督は「脚本に着手したのが2017年ごろだっただけで、特に意味はない。ただ、現代の設定にすることは必要でした。独裁政権が崩壊しても、同様の勢力が今もはびこり、権力構造は変わっていないということを伝えたかったのです」と意図を説明した。

物語には、監督が少年時代に感じた社会の空気も反映されているという。「僕の両親は教師です。独裁政権下の公務員だから、政権に忠誠心を抱いていました。でも、時には従い難いこともあるように見えた。そんな両親の姿が下敷きになっています」

 

『自叙伝』という題名の意味を尋ねる質問も多かった。「筋書きがわかりやすいので、題名は抽象的なものにしたかった」とムバラク監督。「『自叙伝』にした第1の理由は、僕自身の人生がヒントだから。第2は、ラキブとプルナは互いを写す鏡のような関係で、双方が相手の自叙伝のようだから。そして第3に、転換期にあるインドネシア社会の自叙伝という意味を込めています」

 

出演者で最初に決まったのは、有力者プルナ役のArswendy Bening Swara。「プルナのエネルギーが引っ張る映画なので、脚本が第2稿段階だった5年前に決めました。彼は40 年ものキャリアを持ち、僕も長年見てきた役者さんです。ラキブ役のKevin Ardilovaは撮影の 2 年前から参加してもらい、毎月1 週間かけてリハーサルを重ね、それに基づいて脚本の改稿も進めました」

撮影では、「顔」を重視した。「ワイドショットが少ないのも、顔の中に入り込みたかったから。登場人物の目を通して、それぞれの心の中を描こうと思いました。また、ミラーリング(複製)の映画だということも常に意識していました。プルナとラキブの関係は心理的な写し鏡のようなもの。この二重性をとらえるために、大小さまざまな鏡を使いました。レンズ選びも重要で、実は日本製を使っています。KOWAの1970年製のレンズ。ロサンゼルスのレンタルショップで見つけたものです。映像にちょっと歪みが出るんですが、そこがいい。ラキブの世界観や権力に対する欲望のねじれに通じるものがありました」

映画が描いたような権威主義的支配は世界各地に今も存在する。最後の質問で、それを乗り越える方策を問われたムバラク監督は「わかりません。実は、脚本を書き始めたころも疑問だらけで、その疑問を盛り込んだ結果がこの映画なんです。脚本完成から5年以上たちますが、いまだに疑問は残っている。でも、少なくともインドネシアでは人々が疑問を投げかけるようになった。そこは変化だと言えるでしょう」と締めくくった。

批評家出身らしい明解な解説に時おりユーモアを交えて受け答えしたムバラク監督。緩急自在の新鋭が次にどんなものを見せてくれるのか、楽しみに待ちたい。

文・深津純子

写真・吉田留美、明田川志保

11/2『Next Sohee(英題)』Q&A

11月2日(水)、有楽町朝日ホールでコンペティション部門『Next Sohee(英題)』が上映された。本作は、第15回東京フィルメックスで上映された『私の少女』(2014)に続く、チョン・ジュリ監督による2作目の長編作品。上映後にはチョン・ジュリ監督が登壇し、質疑応答が行われた。

登壇したチョン監督はまず、「8年前に長編第1作目を東京フィルメックスで上映していただき、また戻ってきたいと思っていました。長い時間がかかってしまったのですが、再びこの場に来ることができて嬉しく思っております」と挨拶した。

さっそく本作の制作経緯について話が及んだ。本作は、2016年に韓国で実際に起こった、コールセンターの実習生として働いていた女子高生の死亡事件から着想を得たそうだ。当時、韓国では朴槿恵大統領の弾劾問題に人々の関心が集まり、このような事件が起きていることを知らなかったというチョン監督だが、事件の取材を重ねるうちに、「これは必ず映画化しなければならない」との思いに至ったという。

前作でも主演を務めたペ・ドゥナさんを本作でも起用した理由について訊かれると、「脚本を書いているときからペ・ドゥナさんを念頭においていた」と当て書きだったことを明かしてくれたチョン監督。「物語の途中から登場する役どころを、説明することなく、観客を最後まで引き付けることができるのはペ・ドゥナさんしかいない」、「ペ・ドゥナさんが脚本を読んだだけで、私の心の中を見透かすように私がどのように撮りたいかを把握していて驚いた」とペ・ドゥナさんに寄せる信頼の大きさを強調し、ペ・ドゥナさんの出演を「とても光栄なこと」と語った。

もうひとりの主人公ソヒ役には、新しい顔を求めていたというチョン監督。助監督から紹介されたキム・シウンさんに初めて会ったとき、自分の売込みよりも先に、「これは映画にしたほうがいい、ソヒという人間を知らせたほうがいい」と熱く語る様子に惹き付けられ、ごく自然な形で彼女にオファーすることになったそうだ。

続いて、チョン監督は事実と脚色の線引きについて触れた。本作は、ソヒがコールセンターで働き始めてから死ぬまでの前半部分と、ソヒの死後に刑事が事件を調べる後半部分に分かれるが、「前半は事実、後半は脚色」と本作の構成を説明。コールセンターの労働環境は、できるだけ現場を忠実に再現したそうだ。また、「現場実習」という教育制度のもとで起こっている数々の労働問題に声を上げている関係者に敬意をこめて、ペ・ドゥナさん演じる刑事のキャラクターを構築したという。

前作と本作では、韓国語の原題に主人公の名前(前作ではドヒ、本作ではソヒ)が含まれている点や、未成年者を扱った題材である点が共通する。「2人に関連があるというわけではありません。私が伝えたいことをタイトルに凝縮しています。未成年者を扱っているのは、社会的に弱い立場の人たちを描くため」とチョン監督は答えた。

ラストシーンの演出の意図について問われると、特に指示を出したわけではなく、脚本どおりに、俳優が感じるとおりに演じてもらえばよいと考えていたという。そして、このシーンは、「ソヒとユジンの2人にしかわからないシーン、ソヒからユジンへのプレゼントのようなシーン」として脚本を書いたと振り返った。

最後に「質疑応答の時間が短くて残念です」と名残惜しげに語った監督。観客から大きな拍手がおくられ、質疑応答が終了した。

文:海野由子
写真・吉田 留美、明田川志保

11/2『Next Sohee(英題)』Q&A

11月2日(水)、有楽町朝日ホールでコンペティション部門『Next Sohee(英題)』が上映された。本作は、第15回東京フィルメックスで上映された『私の少女』(2014)に続く、チョン・ジュリ監督による2作目の長編作品。上映後にはチョン・ジュリ監督が登壇し、質疑応答が行われた。

登壇したチョン監督はまず、「8年前に長編第1作目を東京フィルメックスで上映していただき、また戻ってきたいと思っていました。長い時間がかかってしまったのですが、再びこの場に来ることができて嬉しく思っております」と挨拶した。

さっそく本作の制作経緯について話が及んだ。本作は、2016年に韓国で実際に起こった、コールセンターの実習生として働いていた女子高生の死亡事件から着想を得たそうだ。当時、韓国では朴槿恵大統領の弾劾問題に人々の関心が集まり、このような事件が起きていることを知らなかったというチョン監督だが、事件の取材を重ねるうちに、「これは必ず映画化しなければならない」との思いに至ったという。

前作でも主演を務めたペ・ドゥナさんを本作でも起用した理由について訊かれると、「脚本を書いているときからペ・ドゥナさんを念頭においていた」と当て書きだったことを明かしてくれたチョン監督。「物語の途中から登場する役どころを、説明することなく、観客を最後まで引き付けることができるのはペ・ドゥナさんしかいない」、「ペ・ドゥナさんが脚本を読んだだけで、私の心の中を見透かすように私がどのように撮りたいかを把握していて驚いた」とペ・ドゥナさんに寄せる信頼の大きさを強調し、ペ・ドゥナさんの出演を「とても光栄なこと」と語った。

もうひとりの主人公ソヒ役には、新しい顔を求めていたというチョン監督。助監督から紹介されたキム・シウンさんに初めて会ったとき、自分の売込みよりも先に、「これは映画にしたほうがいい、ソヒという人間を知らせたほうがいい」と熱く語る様子に惹き付けられ、ごく自然な形で彼女にオファーすることになったそうだ。

続いて、チョン監督は事実と脚色の線引きについて触れた。本作は、ソヒがコールセンターで働き始めてから死ぬまでの前半部分と、ソヒの死後に刑事が事件を調べる後半部分に分かれるが、「前半は事実、後半は脚色」と本作の構成を説明。コールセンターの労働環境は、できるだけ現場を忠実に再現したそうだ。また、「現場実習」という教育制度のもとで起こっている数々の労働問題に声を上げている関係者に敬意をこめて、ペ・ドゥナさん演じる刑事のキャラクターを構築したという。

前作と本作では、韓国語の原題に主人公の名前(前作ではドヒ、本作ではソヒ)が含まれている点や、未成年者を扱った題材である点が共通する。「2人に関連があるというわけではありません。私が伝えたいことをタイトルに凝縮しています。未成年者を扱っているのは、社会的に弱い立場の人たちを描くため」とチョン監督は答えた。

ラストシーンの演出の意図について問われると、特に指示を出したわけではなく、脚本どおりに、俳優が感じるとおりに演じてもらえばよいと考えていたという。そして、このシーンは、「ソヒとユジンの2人にしかわからないシーン、ソヒからユジンへのプレゼントのようなシーン」として脚本を書いたと振り返った。

最後に「質疑応答の時間が短くて残念です」と名残惜しげに語った監督。観客から大きな拍手がおくられ、質疑応答が終了した。

文:海野由子
写真・吉田 留美、明田川志保

11/3『石門』Q&A

11月3日(木)、コンペティション部門の『石門』が有楽町朝日ホールで上映された。中国を拠点に夫妻で意欲的な映画製作を続けるホアン・ジー監督と大塚竜治監督の最新作。上映後に登壇した2人から声をかけられ、舞台袖に控えていた愛娘の千尋さんもあいさつに立ち、和やかな雰囲気のなか質疑応答が始まった。

望まぬ妊娠が判明した女子学生の選択を粘り強いカメラワークで見つめた本作。製作のきっかけは、千尋さんが5歳の頃に「ママはどうして私を生んだの?」と尋ねたことだという。「どう答えればいいのかわからなかった。そこで、少女から大人になりかけている女の子が出産するか否かで悩む姿を撮ることで、答えを導こうと考えました」とホアン監督は振り返る。

撮影には妊娠期間と同じ10カ月をかけた。大塚監督は「ふだん体験できないことを映画にしたいという思いもあり、妊娠期間と同じ長さを体験することにした。もちろん主演のヤオ・ホングイ本人は妊娠していませんが、その時間のなかでどんな影響が出るのかを観察してみたいと思いました」と意図を語った。

会場からは現場での夫婦の役割分担についての質問が相次いだ。撮影クルーは監督夫妻と録音技師のわずか3人。ホアン監督が主にプロデュース・演出とロケ先での交渉、大塚監督が撮影・照明と録音調整を担当し、美術は2人で一緒に手掛けたという。

脚本に頼らない製作プロセスも独特だ。「役者が全員素人なので、それぞれの状況や撮影できる時間によって撮る内容を変えた」と大塚監督。「撮影が終わると私がその場ですぐに編集し、次の日のプロットを2人で考える。翌朝は二手に分かれ、彼女が役者に説明し、私は撮影準備。毎日がその繰り返しでした」

主人公を演じたヤオ・ホングイは、夫妻が撮った『卵と石』(2012年)に14歳で主演。続く『フーリッシュ・バード』(2017年)でもヒロインを演じた。彼女の両親を演じたのは、ホアン監督の実のご両親だという。「10カ月間の撮影中はみんなで一緒に暮らしていたので、本当の家族のようでした」とホアン監督。「他の役者さんは友だちに紹介してもらったり、街でスカウトしたり。個人として面白そうな人をキャスティングしました。その際に、それぞれの経歴や背景についてもお聞きし、それに沿って脚本を変えていった。自分の経験が盛り込まれているので、一緒に作っていると感じ、役になりきってもらえたと思います」

「石門」という題名の意味を問う質問も多かった。ホアン監督は「女性を取り巻く環境には妨げる壁があるような気がしています。打ち破りたくても、なかなか突破して先に進めない。主人公もそんな状況にいます。彼女のお腹の赤ちゃんは石の門を突き破ってこの世界に出て来ることができるのか。そんな意味を込めました」と説明した。

全編を固定位置から狙った撮影にも質問が集まった。「10カ月間かけて観察するため、主人公を同じ距離感を保って撮り続けることだけを決めました」と大塚監督。「途中で何が起きても、カメラは同じ距離感を保つ。人物だけを切り取るのではなく、社会の中に彼女が立っているという構図でこの物語を伝えたかった。50mmレンズを使い、ちょっと引き目の距離から撮っています」。ホアン監督は「主人公がバイト先の店に立つ場面では、実際にその店で3日間働いてもらった。周囲との溶け込み方や彼女をよく観察した上で、カメラの位置を決めて行きました」と付け加えた。

主人公が体験する様々な仕事は、実際に同世代の女性たちに取材して決めていった。「最初は、主人公がバイト先で仕事を覚えては能力を発揮していく脚本を考えていたのですが、本人がそういうタイプではなかったので、実情に合わせて変えていきました」とホアン監督。女性が社会に出て働き、知識や技術を習得し、お金を稼ぐことの難しさを再認識する経験でもあったという。

10カ月に及んだ撮影の最後はコロナ禍と重なった。中国では感染対策でいまだに出入国が厳しく規制されており、監督たちと一緒に来日するのを楽しみにしていた主演のヤンさんやホアン監督のご両親の願いは実現しなかった。「でも、日本の皆さんに見ていただけてとても嬉しい。何といっても夫が日本人ですから、格別の思いがあります」とホアン監督。

話は尽きぬまま質疑は終了。ホアン監督は「よろしければ後で皆さんの感想をぜひお聞かせ下さい」と呼びかけ、夫妻そろって会場の外で観客の声にじっくりと耳を傾けた。

文・深津純子
写真・吉田留美

10/29『遠いところ』Q&A

10月29日(土)、有楽町朝日ホールでコンペティション部門『遠いところ』が上映された。若年出産で経済的に不安定な生活を送る17歳の少女を通じて沖縄の現実を緻密に描いた作品。上映後の質疑応答には工藤将亮監督が登壇。客席で見守っていた主役の花瀬琴音さんと共演の石田夢実さんが観客に紹介された。

 

 

工藤監督はまず、本作の制作経緯を明かしてくれた。2015年頃から沖縄の若年母子を題材にしたルポルタージュを追いかけるうちに、監督自身の家庭環境との共通点や母親や祖母の姿と重なる部分が見えてきたという。「重い病を患っている母親が死ぬ前にしてあげられることは何だろうか」とプロデューサーに相談をもちかけ、最終的に沖縄に向かうことになったそうだ。

キャスティングでは、有名なタレントや俳優を使わず、オーディションでいい人を見つけるというポリシーを貫いたとのこと。ただ、沖縄でのキャスティングでは苦労した点もあったようだ。「この作品は沖縄で1年半以上かけて取材した、実話を元にしたストーリーです。沖縄のキャストの中には周囲の反対で出演できなくなる事態もあった一方で、賛同してくれた沖縄キャストは脇をしっかり固めてくれた。沖縄の方々と一緒に作り上げた」と当時を振り返った。

ごはんを食べる、洗濯をする、排泄をする、歩くといった、基本的な日常生活の場面が印象的な本作だが、長期取材を通して見たものに基づいており、「生活をする姿を描かざるを得ない」という思い、「生活の積み重ねを意識的に取り入れたい」という思いが込められているという。また、沖縄以外のキャストは、クランクインする1ヵ月前から実際に沖縄に住み、準備を重ねたという徹底ぶりだ。

本作に登場するような問題が起こる背景には、「様々な構造的な要因があるが、無自覚、無責任というのが問題ではないか?」と熱のこもった口調で語った。

 

こうした状況について、「みなさんも自分ごとのように感じてほしい。無関心にならずに」と観客に訴えた。また、エンディングの解釈を問われると、「みなさんは、この少女の姿を見てどのように思われましたか」と観客に問いかけで返した監督。「この少女が明日も生きていればいいな、とみなさんが思ってくれるならばいいのですが」と観客の反応に期待を込めた。

最後に撮影手法に話が及ぶと、「自分たちの感情をカメラに載せないように、手持ち(カメラ)はやめよう」と撮影監督の杉村高之さんと決めたことを明かしてくれた。なるべく説明的なカットやアングルを省き、美しい沖縄の構図の中で人間の姿を中心にとらえようと考えたという。

現実に目を背けることなく、ひとつひとつの質問に丁寧に答えてくれた工藤監督には、会場から大きな拍手が寄せられ、質疑応答が終了した。本作は、来年初夏に劇場公開される予定だ。

工藤監督と花瀬琴音さん、石田夢実さん(左から)

文・海野由子

写真・吉田留美、明田川志保

10/31『ヴィサージュ』Q&A

10月31日(月)、ツァイ・ミンリャン監督デビュー30周年記念特集の『ヴィザージュ』( 2008年)が有楽町朝日ホールで上映された。フランスのルーヴル美術館に委嘱されて撮った夢幻的な作品で、2009年の第10回東京フィルメックスではオープニングを飾った。上映後には、ツァイ監督とリー・カンションさんの質疑応答があった。

 

観客の大きな拍手の中で2人が席につくと、まずツァイ監督が「今日が東京での最後の夜なのですが、フィルメックスで皆さんとお目にかかることができてたいへんうれしいです」とあいさつ。リーさんは「この映画のスチール写真を今年初めに友人が送ってくれたんです。それを見て、オレかっこいいなぁ、最高だなって思いました」と語り観客を沸かせた。

リーさんはさらに本作のキャスティングの裏話も明かした。「レティシア・カスタの場面が一番多いのですが、実はレティシアの役に、ツァイ監督は当初マギー・チャンを考えていました。連絡も取ったけれど、当時マギーは恋を語るのに忙しくて、出演はかなわなかったんです」。思わぬ秘話に、客席は拍手と笑いに包まれた。

観客との質疑応答に移り、まずルーヴル美術館から映画を依頼された経緯についてツァイ監督が答えた。長い伝統を持つルーヴル美術館は、現代アートにも力を入れるため映画シリーズを企画し、ツァイ監督が最初の1本を任された。

「とても光栄でした。2005年にフランソワ・トリュフォー監督の没後20周年記念の特集上映がパリであり、出演者が一堂に会する場に私も招待していただいたのですが、その上映後にルーヴルの方から『映画を撮ってほしい』とお声がけいただきました。なるべく早く返事がほしいと言われ、私の映画の常連のリー・カンションがトリュフォーの愛したジャン=ピエール・レオーと会う話を考えました」

 

何度もルーヴルに通い、話し合いを重ねるうちにインスピレーションが沸いたという。「私自身は美術の門外漢なので、専門家に案内してもらいました。ルーヴル美術館の絵を隅から隅まで3回ほど見て、行き当たったのがレオナルド・ダ・ヴィンチの『洗礼者ヨハネ』。この絵を手掛かりにサロメの物語にたどり着いたのです」

鏡を用いた森の場面の意図を問われると、ツァイ監督は「この映画には森が必要でしたが、撮影地のチュイルリー庭園は樹木が少ない。そこで、鏡を置いて木々を反射させ、木々が多く見えるように工夫しました」と説明。用意した鏡は50枚。反射角度の調整が難しく、撮影にはとても苦労したが、「美術館のインスタレーションのような作品になった」と振り返った。

ツァイ監督は『郊遊 ピクニック』(2013年)以降、商業映画を離れ、美術館とのコラボレーションを深めている。「美術館の方がより自由で制限が少ないから」とツァイ監督は理由を説明。「『青春神話』以来ずっと、私は誰の束縛も受けず撮りたいように映画を撮ってきました。難解だと言われることもあるけれど、自分ではそうは思いません。ただ、評価されても興行的には厳しかった。日本で配給してくれた会社も儲かってはいないでしょう(笑)。ルーヴルから依頼を受けた時は、支えを見つけた気がしました。わからないと言われようが、自分が撮りたいように撮ればいい。『ヴィサージュ』は私個人にとっても特別な作品となりました」

一方で、「この映画の4K版を見直して、自分も理解できないところがあった」というツァイ監督の言葉には場内が爆笑。続けて「ひとつだけ一生残念に思うシーンもある」という告白が飛び出した。それは、レティシア・カスタが窓に黒いテープを貼り込む場面。「8分の場面でしたが、配給会社に長すぎると言われ、4分に削った。これまでで初めて他人に説得されてしまったシーンで、今も深く後悔しています」


最後に、リーさんは「今日が今回の東京滞在の最後の夜ですが、これで終わりではない。10年後にまた特集上映に戻ってくるのを楽しみにしています」と笑顔であいさつ。ツァイ監督は「撮りたいものを撮ってきたけれど、どんな人が見てくれるのか、特に若い方の反応が気になります。自分自身を留まることなく前進する監督だと思っているので、ぜひ現在の私に注目してください」と語り、「近作の『ウォーカー』シリーズの特集がもうすぐパリのポンピドゥー・センターで始まるので、日本の美術館関係者の皆さんもどうぞよろしく」とユーモラスに締めくくった。

文・王遠哲
写真・吉田 留美、明田川志保

10/30『ふたつの時、ふたりの時間』Q&A

10月30日(日)、第23回東京フィルメックスと東京国際映画祭の共同企画「ツァイ・ミンリャン監督デビュー30周年記念特集」で、ツァイ監督の長編5作『ふたつの時、ふたりの時間』(2001年)が有楽町朝日ホールで上映された。台北とパリというふたつの都市を舞台に、男女の孤独や喪失からの再起を描いた作品。上映後にはツァイ監督と主演のリー・カンションさんが登壇し、観客からの質問に答えた。

 

ツァイ監督はまず、ふたつの都市を舞台とした物語を構想するに至った理由について、映画の資金がフランスの提供であること、フランス映画が大好きだということを挙げた。「資金を提供したスポンサーがいい方で、たった1ユーロでアジア地域の配給権を私に譲ってくれた」と意外なエピソードを披露。「これが契機になり、台湾で自分の映画の自主配給を始めました。それ以前の私の映画は評価が高くても興行的には全然ダメでしたが、自主配給を始めて10年余り、大当たりはしなくいが大コケもしない、そこそこの状況を続けて今日に至っています」と語った。

本作に出演するジャン=ピエール・レオーさんをツァイ監督が初めて知ったのは、20歳の時に見たフランス映画『大人は判ってくれない』(フランソワ・トリュフォー監督)。「映画の窓を開いてくれた、非常に影響を受けた作品。まるで自分の少年時代を見ているような不思議な感覚に陥った」と振り返る。

レオ―さんに出演交渉した際のエピソードも明かしてくれた。「ジャンの家の近所のカフェで待ち合わせたのですが、彼が勘違いして1時間早く来たため、会うことができなかった。カフェに到着した時には、彼が飲み終えたばかりのコーヒカップだけが残っていました」。この出来事は、今回の特集で上映する『ヴィザージュ』の劇中にも登場する。

 

本作は、ツァイ監督とリーさんの父親にも捧げられている。その背景についてツァイ監督は、「シャオカン(リーさん)は父親を亡くした後、いつも悲しげな顔をしていた。飛行機で隣の席に乗っていたとき、彼を揺り動かして起こし、『お父さんについての映画を撮ろう』と提案したんです。その時、自分の父を亡くした時のことを思い出した。父親を亡くす恐怖は、子どもの頃に戻ったような感覚でした。当時父親がいた部屋で眠ったが、父親の亡霊に会うのが怖くて真夜中にトイレに行けなかった。亡霊は生きている自分と大きな距離があり、見知らぬ人のように感じた。このような出来事がもとにあり、この映画を撮った。」と説明した。

撮影の舞台となったのは、リーさんの実家。「青春神話」や「河」、「ヴィサージュ」の台北パートもここで撮られたという。リーさんは「移動の手間が省けて楽でしたよ」と明かし会場の笑いを誘った。「実はパリでの撮影に参加することも心待ちにしていました。実際にはパリでのシーンがなく残念でしたが、クランクアップ後にパリに行けて良かったです」と笑った。

さらに、話題は撮影方法や照明へのこだわりに移った。カメラをあまり動かさない理由についてツァイ監督は、「撮影監督(ブノワ・ドゥローム)は移動撮影の名手でしたが、これは死についての映画なので、重く沈んだ雰囲気を出したくて、『カメラを動かさないでほしい』とお願いした」と説明。「彼は面白い人で、自然光ではなく作り込んだ照明で撮りたいと逆に提案してくれた。シーンごとにすごく手の込んだ撮影になり大変でしたが、彼は『今までの映画では、シーンではなく台詞を撮ってきたような気がする』と、この仕事をすごく気に入ってくれた。私自身も、この作品以降はカメラを動かさずに撮るようになりました」

ユーモアを交えつつ、丁寧に一つ一つの質問に答えてくれたお二人。観客からしばしば笑いが起こり、会場は終始和やかな雰囲気に包まれていた。

文・塩田衣織

写真・明田川志保