11/3『石門』Q&A

11月3日(木)、コンペティション部門の『石門』が有楽町朝日ホールで上映された。中国を拠点に夫妻で意欲的な映画製作を続けるホアン・ジー監督と大塚竜治監督の最新作。上映後に登壇した2人から声をかけられ、舞台袖に控えていた愛娘の千尋さんもあいさつに立ち、和やかな雰囲気のなか質疑応答が始まった。

望まぬ妊娠が判明した女子学生の選択を粘り強いカメラワークで見つめた本作。製作のきっかけは、千尋さんが5歳の頃に「ママはどうして私を生んだの?」と尋ねたことだという。「どう答えればいいのかわからなかった。そこで、少女から大人になりかけている女の子が出産するか否かで悩む姿を撮ることで、答えを導こうと考えました」とホアン監督は振り返る。

撮影には妊娠期間と同じ10カ月をかけた。大塚監督は「ふだん体験できないことを映画にしたいという思いもあり、妊娠期間と同じ長さを体験することにした。もちろん主演のヤオ・ホングイ本人は妊娠していませんが、その時間のなかでどんな影響が出るのかを観察してみたいと思いました」と意図を語った。

会場からは現場での夫婦の役割分担についての質問が相次いだ。撮影クルーは監督夫妻と録音技師のわずか3人。ホアン監督が主にプロデュース・演出とロケ先での交渉、大塚監督が撮影・照明と録音調整を担当し、美術は2人で一緒に手掛けたという。

脚本に頼らない製作プロセスも独特だ。「役者が全員素人なので、それぞれの状況や撮影できる時間によって撮る内容を変えた」と大塚監督。「撮影が終わると私がその場ですぐに編集し、次の日のプロットを2人で考える。翌朝は二手に分かれ、彼女が役者に説明し、私は撮影準備。毎日がその繰り返しでした」

主人公を演じたヤオ・ホングイは、夫妻が撮った『卵と石』(2012年)に14歳で主演。続く『フーリッシュ・バード』(2017年)でもヒロインを演じた。彼女の両親を演じたのは、ホアン監督の実のご両親だという。「10カ月間の撮影中はみんなで一緒に暮らしていたので、本当の家族のようでした」とホアン監督。「他の役者さんは友だちに紹介してもらったり、街でスカウトしたり。個人として面白そうな人をキャスティングしました。その際に、それぞれの経歴や背景についてもお聞きし、それに沿って脚本を変えていった。自分の経験が盛り込まれているので、一緒に作っていると感じ、役になりきってもらえたと思います」

「石門」という題名の意味を問う質問も多かった。ホアン監督は「女性を取り巻く環境には妨げる壁があるような気がしています。打ち破りたくても、なかなか突破して先に進めない。主人公もそんな状況にいます。彼女のお腹の赤ちゃんは石の門を突き破ってこの世界に出て来ることができるのか。そんな意味を込めました」と説明した。

全編を固定位置から狙った撮影にも質問が集まった。「10カ月間かけて観察するため、主人公を同じ距離感を保って撮り続けることだけを決めました」と大塚監督。「途中で何が起きても、カメラは同じ距離感を保つ。人物だけを切り取るのではなく、社会の中に彼女が立っているという構図でこの物語を伝えたかった。50mmレンズを使い、ちょっと引き目の距離から撮っています」。ホアン監督は「主人公がバイト先の店に立つ場面では、実際にその店で3日間働いてもらった。周囲との溶け込み方や彼女をよく観察した上で、カメラの位置を決めて行きました」と付け加えた。

主人公が体験する様々な仕事は、実際に同世代の女性たちに取材して決めていった。「最初は、主人公がバイト先で仕事を覚えては能力を発揮していく脚本を考えていたのですが、本人がそういうタイプではなかったので、実情に合わせて変えていきました」とホアン監督。女性が社会に出て働き、知識や技術を習得し、お金を稼ぐことの難しさを再認識する経験でもあったという。

10カ月に及んだ撮影の最後はコロナ禍と重なった。中国では感染対策でいまだに出入国が厳しく規制されており、監督たちと一緒に来日するのを楽しみにしていた主演のヤンさんやホアン監督のご両親の願いは実現しなかった。「でも、日本の皆さんに見ていただけてとても嬉しい。何といっても夫が日本人ですから、格別の思いがあります」とホアン監督。

話は尽きぬまま質疑は終了。ホアン監督は「よろしければ後で皆さんの感想をぜひお聞かせ下さい」と呼びかけ、夫妻そろって会場の外で観客の声にじっくりと耳を傾けた。

文・深津純子
写真・吉田留美

10/29『遠いところ』Q&A

10月29日(土)、有楽町朝日ホールでコンペティション部門『遠いところ』が上映された。若年出産で経済的に不安定な生活を送る17歳の少女を通じて沖縄の現実を緻密に描いた作品。上映後の質疑応答には工藤将亮監督が登壇。客席で見守っていた主役の花瀬琴音さんと共演の石田夢実さんが観客に紹介された。

 

 

工藤監督はまず、本作の制作経緯を明かしてくれた。2015年頃から沖縄の若年母子を題材にしたルポルタージュを追いかけるうちに、監督自身の家庭環境との共通点や母親や祖母の姿と重なる部分が見えてきたという。「重い病を患っている母親が死ぬ前にしてあげられることは何だろうか」とプロデューサーに相談をもちかけ、最終的に沖縄に向かうことになったそうだ。

キャスティングでは、有名なタレントや俳優を使わず、オーディションでいい人を見つけるというポリシーを貫いたとのこと。ただ、沖縄でのキャスティングでは苦労した点もあったようだ。「この作品は沖縄で1年半以上かけて取材した、実話を元にしたストーリーです。沖縄のキャストの中には周囲の反対で出演できなくなる事態もあった一方で、賛同してくれた沖縄キャストは脇をしっかり固めてくれた。沖縄の方々と一緒に作り上げた」と当時を振り返った。

ごはんを食べる、洗濯をする、排泄をする、歩くといった、基本的な日常生活の場面が印象的な本作だが、長期取材を通して見たものに基づいており、「生活をする姿を描かざるを得ない」という思い、「生活の積み重ねを意識的に取り入れたい」という思いが込められているという。また、沖縄以外のキャストは、クランクインする1ヵ月前から実際に沖縄に住み、準備を重ねたという徹底ぶりだ。

本作に登場するような問題が起こる背景には、「様々な構造的な要因があるが、無自覚、無責任というのが問題ではないか?」と熱のこもった口調で語った。

 

こうした状況について、「みなさんも自分ごとのように感じてほしい。無関心にならずに」と観客に訴えた。また、エンディングの解釈を問われると、「みなさんは、この少女の姿を見てどのように思われましたか」と観客に問いかけで返した監督。「この少女が明日も生きていればいいな、とみなさんが思ってくれるならばいいのですが」と観客の反応に期待を込めた。

最後に撮影手法に話が及ぶと、「自分たちの感情をカメラに載せないように、手持ち(カメラ)はやめよう」と撮影監督の杉村高之さんと決めたことを明かしてくれた。なるべく説明的なカットやアングルを省き、美しい沖縄の構図の中で人間の姿を中心にとらえようと考えたという。

現実に目を背けることなく、ひとつひとつの質問に丁寧に答えてくれた工藤監督には、会場から大きな拍手が寄せられ、質疑応答が終了した。本作は、来年初夏に劇場公開される予定だ。

工藤監督と花瀬琴音さん、石田夢実さん(左から)

文・海野由子

写真・吉田留美、明田川志保

10/31『ヴィサージュ』Q&A

10月31日(月)、ツァイ・ミンリャン監督デビュー30周年記念特集の『ヴィザージュ』( 2008年)が有楽町朝日ホールで上映された。フランスのルーヴル美術館に委嘱されて撮った夢幻的な作品で、2009年の第10回東京フィルメックスではオープニングを飾った。上映後には、ツァイ監督とリー・カンションさんの質疑応答があった。

 

観客の大きな拍手の中で2人が席につくと、まずツァイ監督が「今日が東京での最後の夜なのですが、フィルメックスで皆さんとお目にかかることができてたいへんうれしいです」とあいさつ。リーさんは「この映画のスチール写真を今年初めに友人が送ってくれたんです。それを見て、オレかっこいいなぁ、最高だなって思いました」と語り観客を沸かせた。

リーさんはさらに本作のキャスティングの裏話も明かした。「レティシア・カスタの場面が一番多いのですが、実はレティシアの役に、ツァイ監督は当初マギー・チャンを考えていました。連絡も取ったけれど、当時マギーは恋を語るのに忙しくて、出演はかなわなかったんです」。思わぬ秘話に、客席は拍手と笑いに包まれた。

観客との質疑応答に移り、まずルーヴル美術館から映画を依頼された経緯についてツァイ監督が答えた。長い伝統を持つルーヴル美術館は、現代アートにも力を入れるため映画シリーズを企画し、ツァイ監督が最初の1本を任された。

「とても光栄でした。2005年にフランソワ・トリュフォー監督の没後20周年記念の特集上映がパリであり、出演者が一堂に会する場に私も招待していただいたのですが、その上映後にルーヴルの方から『映画を撮ってほしい』とお声がけいただきました。なるべく早く返事がほしいと言われ、私の映画の常連のリー・カンションがトリュフォーの愛したジャン=ピエール・レオーと会う話を考えました」

 

何度もルーヴルに通い、話し合いを重ねるうちにインスピレーションが沸いたという。「私自身は美術の門外漢なので、専門家に案内してもらいました。ルーヴル美術館の絵を隅から隅まで3回ほど見て、行き当たったのがレオナルド・ダ・ヴィンチの『洗礼者ヨハネ』。この絵を手掛かりにサロメの物語にたどり着いたのです」

鏡を用いた森の場面の意図を問われると、ツァイ監督は「この映画には森が必要でしたが、撮影地のチュイルリー庭園は樹木が少ない。そこで、鏡を置いて木々を反射させ、木々が多く見えるように工夫しました」と説明。用意した鏡は50枚。反射角度の調整が難しく、撮影にはとても苦労したが、「美術館のインスタレーションのような作品になった」と振り返った。

ツァイ監督は『郊遊 ピクニック』(2013年)以降、商業映画を離れ、美術館とのコラボレーションを深めている。「美術館の方がより自由で制限が少ないから」とツァイ監督は理由を説明。「『青春神話』以来ずっと、私は誰の束縛も受けず撮りたいように映画を撮ってきました。難解だと言われることもあるけれど、自分ではそうは思いません。ただ、評価されても興行的には厳しかった。日本で配給してくれた会社も儲かってはいないでしょう(笑)。ルーヴルから依頼を受けた時は、支えを見つけた気がしました。わからないと言われようが、自分が撮りたいように撮ればいい。『ヴィサージュ』は私個人にとっても特別な作品となりました」

一方で、「この映画の4K版を見直して、自分も理解できないところがあった」というツァイ監督の言葉には場内が爆笑。続けて「ひとつだけ一生残念に思うシーンもある」という告白が飛び出した。それは、レティシア・カスタが窓に黒いテープを貼り込む場面。「8分の場面でしたが、配給会社に長すぎると言われ、4分に削った。これまでで初めて他人に説得されてしまったシーンで、今も深く後悔しています」


最後に、リーさんは「今日が今回の東京滞在の最後の夜ですが、これで終わりではない。10年後にまた特集上映に戻ってくるのを楽しみにしています」と笑顔であいさつ。ツァイ監督は「撮りたいものを撮ってきたけれど、どんな人が見てくれるのか、特に若い方の反応が気になります。自分自身を留まることなく前進する監督だと思っているので、ぜひ現在の私に注目してください」と語り、「近作の『ウォーカー』シリーズの特集がもうすぐパリのポンピドゥー・センターで始まるので、日本の美術館関係者の皆さんもどうぞよろしく」とユーモラスに締めくくった。

文・王遠哲
写真・吉田 留美、明田川志保

10/30『ふたつの時、ふたりの時間』Q&A

10月30日(日)、第23回東京フィルメックスと東京国際映画祭の共同企画「ツァイ・ミンリャン監督デビュー30周年記念特集」で、ツァイ監督の長編5作『ふたつの時、ふたりの時間』(2001年)が有楽町朝日ホールで上映された。台北とパリというふたつの都市を舞台に、男女の孤独や喪失からの再起を描いた作品。上映後にはツァイ監督と主演のリー・カンションさんが登壇し、観客からの質問に答えた。

 

ツァイ監督はまず、ふたつの都市を舞台とした物語を構想するに至った理由について、映画の資金がフランスの提供であること、フランス映画が大好きだということを挙げた。「資金を提供したスポンサーがいい方で、たった1ユーロでアジア地域の配給権を私に譲ってくれた」と意外なエピソードを披露。「これが契機になり、台湾で自分の映画の自主配給を始めました。それ以前の私の映画は評価が高くても興行的には全然ダメでしたが、自主配給を始めて10年余り、大当たりはしなくいが大コケもしない、そこそこの状況を続けて今日に至っています」と語った。

本作に出演するジャン=ピエール・レオーさんをツァイ監督が初めて知ったのは、20歳の時に見たフランス映画『大人は判ってくれない』(フランソワ・トリュフォー監督)。「映画の窓を開いてくれた、非常に影響を受けた作品。まるで自分の少年時代を見ているような不思議な感覚に陥った」と振り返る。

レオ―さんに出演交渉した際のエピソードも明かしてくれた。「ジャンの家の近所のカフェで待ち合わせたのですが、彼が勘違いして1時間早く来たため、会うことができなかった。カフェに到着した時には、彼が飲み終えたばかりのコーヒカップだけが残っていました」。この出来事は、今回の特集で上映する『ヴィザージュ』の劇中にも登場する。

 

本作は、ツァイ監督とリーさんの父親にも捧げられている。その背景についてツァイ監督は、「シャオカン(リーさん)は父親を亡くした後、いつも悲しげな顔をしていた。飛行機で隣の席に乗っていたとき、彼を揺り動かして起こし、『お父さんについての映画を撮ろう』と提案したんです。その時、自分の父を亡くした時のことを思い出した。父親を亡くす恐怖は、子どもの頃に戻ったような感覚でした。当時父親がいた部屋で眠ったが、父親の亡霊に会うのが怖くて真夜中にトイレに行けなかった。亡霊は生きている自分と大きな距離があり、見知らぬ人のように感じた。このような出来事がもとにあり、この映画を撮った。」と説明した。

撮影の舞台となったのは、リーさんの実家。「青春神話」や「河」、「ヴィサージュ」の台北パートもここで撮られたという。リーさんは「移動の手間が省けて楽でしたよ」と明かし会場の笑いを誘った。「実はパリでの撮影に参加することも心待ちにしていました。実際にはパリでのシーンがなく残念でしたが、クランクアップ後にパリに行けて良かったです」と笑った。

さらに、話題は撮影方法や照明へのこだわりに移った。カメラをあまり動かさない理由についてツァイ監督は、「撮影監督(ブノワ・ドゥローム)は移動撮影の名手でしたが、これは死についての映画なので、重く沈んだ雰囲気を出したくて、『カメラを動かさないでほしい』とお願いした」と説明。「彼は面白い人で、自然光ではなく作り込んだ照明で撮りたいと逆に提案してくれた。シーンごとにすごく手の込んだ撮影になり大変でしたが、彼は『今までの映画では、シーンではなく台詞を撮ってきたような気がする』と、この仕事をすごく気に入ってくれた。私自身も、この作品以降はカメラを動かさずに撮るようになりました」

ユーモアを交えつつ、丁寧に一つ一つの質問に答えてくれたお二人。観客からしばしば笑いが起こり、会場は終始和やかな雰囲気に包まれていた。

文・塩田衣織

写真・明田川志保

10/29 第23回東京フィルメックス開会式レポート

10月29日(土)、第23回東京フィルメックスの開会式が有楽町朝日ホールで開かれた。当初8日間の会期予定であったが、クラウドファンディングによる支援を受けて1日延長し、例年通り9日間の日程で、コンペティション部門、特別招待作品部門、メイド・イン・ジャパン部門、ツァイ・ミンリャン監督デビュー30周年記念特集で計18作品を上映する。

開会式では、まず神谷直希プログラム・ディレクターが登壇し、「これだけの方々にご来場いただきとても光栄に思っています。財政状況が非常に厳しい中での開催準備となりましたが、クラウドファンディングを通じて多くの方々からご支援をいただき、開催までこぎつけることができたことを感謝申し上げます。また、ご協力いただいた各企業や団体のみなさま、スポンサーのみなさま、サポーター会員のみなさまにも感謝申し上げます。ぜひ1本でも多くの作品をご覧いただき、今年の映画祭を楽しんでいただきたいと思っています」と挨拶。さらに、ジャファル・パナヒ監督(今年7月に当局に逮捕され、現在収監中)の『ノー・ベアーズ』をオープニング作品として上映する理由を、「世界が少しでもより良い場所になってほしいという願いを込めました」と語った。

続いてコンペティション部門の審査員が紹介された。委員長はクロージング作品『すべては大丈夫』のリティ・パン監督(フランス・カンボジア)。ほかに、映画プログラマーのキキ・ファンさん(香港)、キム・ヒジョン監督(韓国)の各氏が審査員を務める。

審査員を代表して挨拶したリティ・パン監督は、「長いコロナ禍の期間を経て、この素晴らしき日を迎え、みなさまと再会できて喜ばしく思います。お一人お一人とキスしたいぐらいですが、それはダメですよね」と笑顔で冗談を交えながら、「みなさま、たくさんの良い映画をご覧になってください。映画祭の期間中に、ぜひお会いしましょう」と再会の喜びをこめて語った。

会期中の10月31日〜11月5日にはアジアの映像人材育成プロジェクト「タレンツ・トーキョー2022」も開催する。今年は、3年ぶりに多くの海外ゲストも迎え、製作者と観客とのリアルな交流にも期待したい。

文:海野由子

写真:明田川志保・穴田香織

【レポート】第22回東京フィルメックス開会式

10月30日(土)、第22回東京フィルメックスの開会式が有楽町朝日ホールで開かれた。今回も前回同様、東京国際映画祭と連携し、同時期の開催となった。会期は9日間、コンペティション・特別招待作品・特集上映「メイド・イン・ジャパン」の3部門で24作品が上映される。最近では新型コロナウイルスの感染状況が落ち着いてはいるものの、コロナ禍での映画祭開催には変わりなく、会場では検温やマスク着用等の感染対策が徹底されている。

開会式では、まず、作品選定の責任者であるプログラム・ディレクターとして新たに就任した神谷直希さんが登壇し、「パンデミックでどうなるかわからない中で準備を進めてきましたが、初日を迎えることができ、こんなにもたくさんの方に会場に来ていただき、本当に嬉しく思っています」と挨拶。さらに、個人及び団体協力者、スポンサー企業、サポーター会員への謝意を伝え、「みなさまに支えられてこうして開催できていることを実感しています。ぜひ1本でも多くの作品をご覧になっていただき、このお祭りを楽しんでいただければと思います」と語った。

続いてコンペティション部門の審査員が紹介された。審査員を務めるのは映画監督の諏訪敦彦さん、ゲーテ・インスティトゥート東京 文化部コーディネーターのウルリケ・クラウトハイムさん、アンスティチュ・フランセ日本 映像・音楽コーディネーターのオリヴィエ・デルプさん、映画監督やアーティストとして活躍する小田香さんの4名。審査委員長として挨拶した諏訪監督は、「500本以上の作品から選ばれた10本、これからみなさんと一緒に、この会場で1つ1つの作品と出会っていきたいと思います。非常にわくわくしており、刺激的な1週間になることを望んでおります」と高まる期待を語った。

会期中の11月1日〜6日にはアジアの若手映画監督や製作者を育成する「タレンツ・トーキョー2021」もオンラインで開催する。日本を含むアジア各国からタレント15名が集い、現在世界で活躍するプロフェッショナルをエキスパートとして迎え、レクチャーや合評会を通じて次世代の映画の可能性を広げる。また、10月23日から3作品のプレ・オンライン配信を実施中。会期後には、一部の上映作品のオンライン配信も予定している。

 

文・海野由子

写真・明田川志保、白畑留美

【レポート】授賞式&受賞者記者会見

11月30日(土)、東京フィルメックス授賞式が有楽町朝日ホールにて行われ、たくさんの人が押しかけた。

5人の審査委員から、映画批評家のトニー・レインズ、俳優のべーナズ・ジャファリ、写真家の操上和美が式に出席。俳優のサマル・イェスリャーモワ、深田晃司監督はスケジュールの都合で欠席となった。コンペティションで上映された10作品の中から、学生審査員賞、スペシャル・メンション、審査員特別賞、最優秀作品賞受賞作品が発表された。

その前に、クロージング作品以降に上映される作品を除いた全プログラムから、観客賞に中川龍太郎監督の『静かな雨』が選ばれた。
代理で藤村プロデューサーが賞状を受け取り、中川監督からはビデオメッセージが届いた。
<中川龍太郎監督 ビデオメッセージ全文>
『静かな雨』監督の中川龍太郎です。学生時代から友人としょっちゅう通っていた映画祭で、観客賞というすばらしい賞を頂けて本当にうれしく思っています。何度もなんども行っていた映画祭ですので、そのときに一緒に見ていたお客さまからのご支持を少しでもいただけたのだとしたら、こんなに光栄なことはございません。
この映画は2月7日に、劇場公開されます。そのときはまた見ていただけたらうれしいです。今回はありがとうございました。

学生審査員賞は、ニアン・カヴィッチ監督の『昨夜、あなたが微笑んでいた』に贈られた。カヴィッチ監督本人が登壇し、賞状を受け取った。
<ニアン・カヴィッチ監督 受賞コメント全文>
学生審査員の皆さん、ありがとうございました。そして、2016年に自分を(タレンツに)選んでくださったタレンツ・トーキョーにも、あらためてお礼を申し上げたいです。今度は自分の作品を持って、東京フィルメックスにこうやって戻ってこられたことを大変光栄に思っています。本当にありがとうございました。
スペシャル・メンションは二つの作品に授与された。

一つめの作品は、広瀬奈々子監督の『つつんで、ひらいて』。昨年も『夜明け』(18)で同賞を受賞した広瀬監督本人が、賞状を受け取った。
<広瀬奈々子監督 受賞コメント全文>
昨年、スペシャル・メンションを頂いたばかりだったので、今年もこの場に立てるとはまったく思っていませんでした。市山さんにも、最初に「今年は賞とかは期待しないでください」と言われていたので、びっくりしています(笑)
お聞かせいただいた授賞理由の批評が本当にうれしくて、感動しております。装丁というジャンルの表現にこうして光をあててもらえるというのが、何よりうれしいです。本が売れない時代に紙の本について考え直すのは意義があると感じているので、一人でも多くの人に届いてくれたらいいなと思います。本日はありがとうございました。

二つめの作品は、ニアン・カヴィッチ監督の『昨夜、あなたが微笑んでいた』。学生審査員賞とのダブル受賞という結果になったカヴィッチ監督が、再び舞台上にあらわれた。
<ニアン・カヴィッチ 受賞コメント>
また戻ってきました(笑) まずは審査員の方々にお礼を申し上げたいです。本当に光栄に感じています。
ちょっと思い出したんですが、タレンツ・トーキョーに参加したときに、フライトに乗り損ねるというヘマをやらかしてしまいました。けれどもタレンツ・トーキョーさんが、もう一回チャンスをくださったんです。そして、作品を作り終え、皆さんにお見せすることができて、その上このような賞を頂けて、大変うれしく思っています。
この先はあまりそういう失敗はしないようにしたいです。ありがとうございました。

審査員特別賞は、グー・シャオガン監督の『春江水暖』。
代理で友人が賞状を受け取り、シャオガン監督からは時おり日本語を交えたビデオメッセージが届いた。
<グー・シャオガン ビデオメッセージ全文>
みなさん、こんにちは。私は『春江水暖』の監督のグー・シャオガンです。
あのう、すみません。スケジュールの都合で、会場で賞を受け取れなくてごめんなさい。審査員の皆さんが、この作品に賞を与えてくれると知ったときは、とても光栄でうれしく思いました。
まずは、出資会社に感謝を申し上げます。
この映画のエグゼクティブ・プロデューサーのリー・ジャーさんに感謝します。
プロデューサーのホアン・シューホンさん、そしてすべての制作チームに感謝します。
それから、私の家族に感謝します。
それと、この映画をサポートしてくれたすべての人に感謝します。
撮影スタッフの一人ひとりには、とびきりの感謝を伝えたいです。春夏秋冬の季節を一緒に歩んでくれて、どうもありがとう。私たちは力を合わせて、この映画を完成させました。みんながいなかったら、この映画も存在しなかったでしょう。だから、みんなに感謝します。
僭越ですが、私がスタッフと映画を代表して、東京フィルメックスの審査員の皆さま方に感謝を申し上げます。私たちの映画を激励し、認めてくれてありがとうございます。最後に、市山さんにも感謝します。
この映画を日本に連れてきてくれて、ありがとうございます。
ありがとうございます、はい

そして栄えある最優秀作品賞には、ペマツェテン監督の『気球』が輝いた。ペマツェテン監督は、これまで2度『オールド・ドッグ』(11)、『タルロ』(15)で本映画祭同賞を受賞。
主演のジンパが、ペマツェテン監督からのメッセージを代読した。
<ペマツェテン 受賞コメント全文>
こんばんは。東京フィルメックスに出品するたびに、このように賞を受賞することができるとは思ってもいませんでした。本当に、ご縁としか言いようがありません。映画祭に参加するたび、私はこの上ない感謝の気持ちを覚えております。
映画祭の組織委員会の皆さんには、私の最新作『気球』を日本に連れてきてくださり、そして熱心な日本の観客に届けてくださいましたこと、ありがたく思っております。
審査員の皆さん、この映画に大きな栄誉を与えてくださいましたこと、感謝しております。
最後に、皆さんに吉祥あれ。

最後に、トニー・レインズ審査委員長が講評を述べた。多様性に富んだラインナップに一つ共通点があるとすれば、本映画祭ディレクター・市山尚三の選択眼が特異なものだったと10作品を振り返る。多くの映画祭で審査員を務めるレインズだが、これほどまでにすべての作品が同じレベルに到達していることはまれだという。審査員団についても、多種多様な5人で「いいミックスだった」と述べた。
最優秀賞受賞作品は満場一致で決まったそうだ。「受賞暦がない人のほうがいいかもと考えましたが、『気球』のクオリティに強い説得力を感じ、“やはり……”となりました」

大きな拍手が鳴り響くなか、2019年、第20回東京フィルメックス授賞式は幕を閉じた。
 
続けて、受賞者記者会見がスクエアBにて開かれた。

カヴィッチ監督へ、「タレンツ・トーキョーで得たことは?」という質問が挙がる。カヴィッチ監督は、「参加者たちと直接顔を合わせなくても、連絡をとって作品の状況を話し合える関係が続いているのがすばらしい。チャンスをくださって、キャリアに大きく役立ちました」と答えた。また、「フィクション作品が上がったところ」と、次回作についても言及していた。

キャリアでフィクションとドキュメンタリーを1本ずつ手がけたことになる、広瀬監督。「今後の方向性は?」と聞かれ、「メインのフィールドとしては、フィクションをやっていきたいですドキュメンタリーには相当な忍耐力と時間が必要になる。本作では菊地信義さんとのすばらしい出会いがあったので追いかけられましたが、それだけの人にめぐり合える機会もそんなにありません」と答えた。

さらに、審査委員へ、「最優秀賞は全員一致だったそうだが、その他の賞の審査は難航したのか?」と質問が投げかけられた。
レインズ審査員長は、「審査員室の秘密は外に出してはいけないので、お話するのが難しい」と言いつつ、『春江水暖』は審査員のうち5人中4人がセカンド・チョイスに選んでいたと明かした。もう1人もディスカッションの末に、『春江水暖』を推したそう。
またレインズによれば、スペシャル・メンションには当初4本が候補に挙がったが、審査員同士で意見がぶつかったというより、「それぞれにお気に入りがあった」のだとか。「われわれは大人の会話をし、矜持を持って、リーズナブルな見解を生みました」とまとめた。

ジャファリは、審査はとても穏やかな話し合いだったという。「いろんな国の映画を見て、世界を一周したみたいです」とも。「でも共通するテーマは、やはり“神さま”でしょうか。こういう機会を頂くと、人間を知ることができますね」と、映画祭を通して考えたことを語った。

操上は、「価値観や文化的背景など、異なる出自の人たちが作った映画を、自分が審査するということは簡単ではない」と悩んだそう。「なるべく個人の好き嫌いは抑え、“映画としてどうか”を心がけて見て、こういう審査結果になりました」。そして、「あらためて、すばらしい作品をありがとうございました」と挨拶をした。

文・樺沢優希/写真・明田川志保、白畑留美

【レポート】『この世の外へ クラブ進駐軍』阪本順治監督・オダギリジョーQ&A

11月30日(土)、有楽町朝日ホールにて特集上映 阪本順治監督特集『この世の外へ クラブ進駐軍』が上映された。敗戦の名残りが色濃い時代に、米軍基地でジャズを演奏する5人の青年の物語。上映後のQ&Aには、阪本順治監督と俳優のオダギリジョーさんが登壇した。

初めに、市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターから、制作の経緯をたずねた。当時、かつて米軍キャンプ内で演奏していたミュージシャンが集うコンサートが毎年8月15日に開かれており、阪本監督がこれを見たことが制作のきっかけになった。『この世の外へ』のエンドロールにこのコンサートの模様が使われている。ミュージシャンと同世代の観客の姿に、初めてコークを飲んだのも、初めてジーンズを履いたのも、この人たちだったとの再発見が阪本監督にはあった。
戦争を知らない監督の世代にとって戦後を映画で描くことは度胸がいるが、音楽を介すればできるのではないかと思ったという。「敗戦処理をしているときが一番平和だった」という喜劇役者藤山寛美の言葉が阪本監督には印象に残っており、死の恐怖から解放された状況で前向きだった人たちを念頭に置いて今作は作られた。

一方、オダギリさんが15年前に公開された今作を見たのはかなり久しぶりで、記憶が曖昧な分、他人が演じた作品を初めて見たるようだった。唯一、ジョーさん(松岡俊介演じるベーシスト)に「ジャズが好きです」と言うシーンは、直前に「ジャズが好きです」と言うだろうなと思ったと話した。
オダギリさんの起用は、ユーモラスで、でも長崎で暗いものを背負っているというキャラクターに合うと思ったためと、阪本監督は語った。演奏できない人に練習してもらうことを決めていたので、オダギリさんにドラム経験があると後から知って悔しかったそう。オダギリさんによると、バンドマンを演じた俳優たちはすごい稽古をして、普通に演奏できるレベルになっていた。オダギリさんにとっては、初めの頃の素人としての演技の方がむしろ難しかった。

今作で基地司令官ジムを演じたピーター・ムランは、ケン・ローチ監督『マイ・ネーム・イズ・ジョー』でカンヌ国際映画祭の主演男優賞、監督・脚本を務めた『マグダレンの祈り』でベネチア映画祭の金獅子賞を獲得。撮影当時、オダギリさんはバンドメンバーとしてステージにいて、客席のムランさんとほとんど話す機会がなかった。
ムランさんの起用はハリウッドの俳優の出演交渉が難しかったことがあった。『ぼくんち』をベルリン国際映画祭に出品してベルリンにいた阪本監督のもとに連絡があり、スコットランドのグラスゴーで会ったムランさんは出演を承諾した。ジャズサックス奏者であり日本兵に恨みをもつ米兵役だったシェー・ウィガムの出演も、彼と共演できることが理由だった。

客席からの質問は、今作以降もタッグを組んでいる二人がもつお互いの印象について。阪本監督は、キューバで少人数で撮った『エルネスト もう一人のゲバラ』での親密なエピソードを挙げ、オダギリさんは一番大切な俳優だと語った。「困難な仕事でもやり切ってくれる」と信頼する。
役者と監督のいずれの視点から見ても、オダギリさんにとっての阪本監督は自分に厳しい人だという。「阪本監督のスタイルから多くを吸収してしまった」と語り、阪本監督のストイックさを思うと、監督を務めるときの自分は甘いと怒られそうだとした。3作品への参加で教えられたのは、映画に誠意をもって真面目に向き合うこと。会うたびにそれを思い出させられる怖さがあると語った。
横で聞いていた阪本監督は「呑んだら、「順ちゃん、まあ呑んでよ」って言いますからね」と、会場の笑いを誘った。

続く質問で、自身の監督作品への起用を問われると、阪本監督は『エルネスト』以上に困難な役の可能性と、「どこかの国に行くんじゃないかな」と語った。オダギリさんの作品には俳優でも助監督でも参加しないと断言。言われたオダギリさんは困り顔。『ある船頭の話』の撮影中に訪れた阪本監督の滞在時間が30分くらいとのエピソードを披露し、阪本監督も気を使うだろうから、どんな立場でも使えないとした。

最後に、阪本監督は『この世の外へ』に参加した米兵に関する思い出を教えてくれた。今作では米兵がボランティアで出演しているが、前年に始まったイラク戦争への派兵を前に参加した兵士もいた。阪本監督が贈ったビリケンのキーホルダーと一緒に写った写真を、彼らはイラクから送ってくれたそうだ。阪本監督にとっても、米兵たちがそういう現実を背負っていることで、脚本執筆時と違う意識が生まれた。

阪本監督の今後の予定は未発表だが、1本が公開予定、1本を製作中。オダギリさんは『ある船頭の話』が引き続き公開中。未見の方はぜひ劇場でご覧ください。
(文・山口あんな/写真・明田川志保、白畑留美)

【レポート】『KT』阪本順治監督Q&A

11月30日(土)、阪本順治監督特集上映として、『KT』(02)が有楽町朝日ホールにて上映された。日韓合作で1973年の金大中事件を描いたサスペンスで、第52回ベルリン国際映画際コンペティション部門に出品された。

上映後に阪本監督がQ&Aに登壇し、まずは本映画祭ディレクター・市山尚三が、「どのように本作の企画がスタートしたのか」と質問を投げかけた。
「『ビリケン』(96)を一緒に作ったシネカノンのリ・ボンウ(李鳳宇)さんと、また何かやりましょうとなったときに、2002年FIFA日韓ワールドカップが開催されていました。そこで、日本と韓国の間であったことを認識せず、特に日本が韓国側とシェイクハンドするのはいかがなものかという話がありました」と阪本監督は振り返った。
「その頃の韓国はキム・デジュン(金大中)政権下。いまなら事件の話をストレートに映画化できるのではと李さんが韓国サイドに持ちかけ、ぜひやりましょうとなりました」。
 
劇中に「日帝36年の恨(ハン)」というせりふがあるが、これは脚本を担当した荒井晴彦が「どうしても歴史のそこから始めなきゃいけない」と必要性を感じて入れたせりふだそう。だが一方で韓国公開の際、現地のジャーナリストからは「日本人が韓国人の苦しみをわかったようなふりをしてほしくない」という厳しい意見もあった。
阪本監督は、さまざまな反応も「覚悟の上で作りました」と当時の決意のほどを口にした。

本作は阪本監督にとって初のポリティカルな映画。実際の事件を題材にしたため、恐怖を感じるできごともあったという。「製作準備中にマンションを張られました。告発ではなく、キム・デジュン氏を守る側と拉致計画を実行する側の人間模様を描くのが目的でしたが、僕だけじゃなく皆に緊迫感がありましたね」と回顧した。
当初、阪本監督はキム・デジュン氏を守る側から本作を撮ろうとしたが、結局は彼を拉致する側を物語の中心に据えた。そのほうが観客に伝わるものが多いと考えたそう。「キム氏を殺そうとする側も、国家を背負い、自分と家族の命をかけて計画を実行せざるをえないという背景を、当事者たちに与えたかったんです」。

続いて、観客からは「本作はどれくらい事実に基づいているのか」という質問が挙がった。いくら日韓両方の資料を読んでも不明点は残る。事件の関係者はほぼ行方不明だ。そこで、仮説を立てたという阪本監督。キム・チャンウン(金東雲)がホテルグランドパレスの湯のみに指紋を残した理由を「のちに自身が殺されないための保険」としたのは、もっとも大胆に立てた仮説の一つだそう。
なんと金大中氏本人は、映画を見て「ほとんどこのとおりでしょう」とコメントしたという。
また、佐藤浩市が演じた主人公の富田満州男役にはモデルがおり、彼はいまも興信所で働いていると阪本監督は付け加えた。

物語の終盤、「日本も韓国もアメリカの手の上で踊るイエローモンキーだ」という富田のせりふがある。阪本監督は、「日韓のみの問題として終始してはいけないと思った。本作を見て、いまの日本と韓国の関係、そこにまつわるアメリカの存在に少しでもリンクしていただければありがたいですね」と最後に語って舞台を後にした。
(文・樺沢優希 /写真・白畑留美、明田川志保)

【レポート】『ヴィタリナ(仮題)』 ペドロ・コスタ監督Q&A

11月28日、有楽町朝日ホールで特別招待作品『ヴィタリナ(仮題)』が上映され、上映後のQ&Aにペドロ・コスタ監督が登壇した。本作は、ロカルノ国際映画祭で金豹賞と女優賞を受賞。夫を亡くした主人公ヴィタリナの哀しみを軸に、リスボンの移民労働者の生活が描かれ、陰影の深い映像美が高い評価を得ている。Q&Aでは熱心な観客から質問が相次いだ。

まず、劇中の圧倒的なヴィタリナの存在感を踏まえて、演技面で、俳優と監督との間でどのようなアプローチがあったかという質問があがった。コスタ監督は、ヴィタリナを初めとする出演者全員がプロの俳優ではなかったものの、彼らとの信頼と友情の上に成立した作品であることを強調した。「演技者全員が自分のセリフを自分で書いているため、彼らは俳優であると同時に脚本家を兼ねていました。自分の役割は監督というより、調整役のような存在」と振り返りながら、「私たちがやろうとしたことは、映画において長い間失われてきたやり方。かつては、プロの俳優ではない一般人を起用した作品が多かったけれども、今ではドキュメンタリーに登場するぐらい。一般人を起用して、より深く題材を探ることは少なくなりましたが、このやり方で得るものは大きいと思います」と持論を展開した。

また、本作ではスタンダードサイズが採用されているが、このサイズはコスタ監督の好きなフォーマットだという。「私の映画を培ってきたサイズで、人間をとらえるのに最も適したサイズだと思っています。閉じられた空間で人々がどうリアクションするかを見たいという興味もありました」と画角へのこだわりを語ってくれた。

続いて、ラストシーンの撮影地をめぐる解釈について問われると、「好きに解釈していいですよ」と返したコスタ監督。ラストシーンに至るまでの思いを次のように説明した。「撮影中、私はヴィタリナにずっと寄り添っているという思いでいました。怒りと絶望の中にいた彼女を支え、彼女と共にこの作品を組み立ててきました。しかし、彼女を閉じられた空間に閉じ込めたままにしておくのはフェアではない、彼女を解放したいと考えました。そこで、資金を調達して彼女の故郷カーボ・ヴェルデへ出向き、そこで撮影した3つのシーンがラストになります。」

前の質問とは対照的に、オープニングシーンについても質問が及んだ。コスタ監督は、傷ついた老兵士たちが何らかの儀式から家に戻ってくるイメージを持ちながら、ヴィタリナを迎える準備をするというシーンからストーリーを始めたいと考えていたこと、そして、古代ギリシャやローマの雰囲気を醸し出そうとしていたことも明かしてくれた。

会場では数多くの質問の手が挙がり、Q&Aの時間切れが惜しまれたが、言葉を選びながら質問に丁寧に答えてくれたコスタ監督には盛大な拍手が贈られた。
本作は、2020年夏に東京・ユーロスペースにて公開予定。
 
(文 海野由子、写真・明田川志保、白畑留美)