第19回東京フィルメックスの関連イベントのひとつ、国際批評フォーラム「映画批評の現在と未来を考える」の基調講演が11月22日(木)に有楽町朝日ホールスクエアBで開かれ、フランスの映画評論家のシャルル・テッソンさんが、現代の映画批評の役割や将来像などについて自身の体験を交えて語った。
テッソンさんは1979年から映画評論を始め、フランスの映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」などに執筆、同誌の編集長も務めた。アジア映画にも詳しく、黒澤明監督やアッバス・キアロスタミ監督に関する著書を刊行。2012年からは、長編2作目までの新人監督を対象にするカンヌ国際映画祭の批評家週間のアーティスティック・ディレクターに就任。また、パリ第3大学(新ソルボンヌ大学)で教鞭を取り、外国映画の製作費を助成するフランス国立映画センター(CNC)の「シネマ・デュ・モンド」の会長も務める。
多彩な顔を持つテッソンさんだが、「私自身は、映画評論家という言葉はあまり好きではない。アーティスティック・ディレクターとして見ていただきたい」と語る。「批評家週間では、その名の通り、プロの映画プログラマーではなく批評家が作品を選びます。単に映画を批評するだけでなく、国際的な観衆に向けて映画を選ぶことはいい経験になっています。多様な映画を見る機会に恵まれるし、これはどういう映画なのか、世界やフランスにとってどんな意味を持つのか……と、様々な疑問を持つことができる。以前よりも実際的な形で映画を見るようにもなりました。時には作り手から話を聞いて参考にすることもあるし、先方から『長すぎない?』などと聞かれればそれにも答える。一人の観客として見たり、製作者と同じような立場で見たり、自分の中で様々に思考を変えるのです」
批評家としての仕事では「映画との対話」を大切にしているという。「映画とは何か、映画はどのように進化しているのか、美的な観点、倫理的な観点はどうか、映画をめぐる関係性、現代の映画にその作品が何を持ち込んでいるのかといったことを考えます。つまり『対話』するのです。そうやって様々な思考をめぐらすことが、映画批評につながるのだと思います」
仕事の中心になるのは試写会で新作を見ること。「時間に限りもあるのですべてを見ることはできないけれど、なるべく多くの作品を見るようにしています。映画を扱うメディアは多いけれど批評家にとって新たなチャンスになるものばかりではないので、おのずとエネルギーは見ることに注がれる。それは大切なことです。文化のアドバイザーと言ってもいいかもしれませんが、映画を50本見て、一番おすすめのものは全ページ、2番目は半ページ、最後は写真無しでほんの数行書くといったことを毎週毎週やっています」
批評を書くためには自分の意見を表明しなければならない。だが、好き嫌いだけを語る文章は「あまりにお粗末」。健康診断や車のパーツ点検のように、音響や撮影などを部分ごとにきりわけて評価するやり方も「あまりいいとは思わない」と言う。
「私自身は、映画を見たら一晩ほど時間をあけたい。映画評論家として年に400本以上見ていますが、2カ月前に見た作品に心が捕らわれたのなら、それが私にとって意味のある映画だということになります。映画を見てから現実に戻るわけですが、そこに変革が現れる。2か月に再度見る時には、自分の頭の中にあるものと現実の間に乖離が生じます。アイデアがどんどん頭の中で膨らみ、2回目に見るときはさらにレベルが上がっていることもある。間に経験をはさむことは有益です」
若い頃は一生懸命メモを取りながら映画を見たが、いまはほとんどの場合、記憶に頼っているという。「私にとって重要なのは、映画が何を望んでいるかということです。映画は時に傲慢で、時に荒々しく、時にはシャイなこともある。つまり、見る者に語りかけて来るのです。それをどう受け止めるか。予想外の展開に虚を突かれることもあるし、肩透かしを食らうこともある。単に美しいと感じるだけだったり、何が何だかわからないことも。それでいいのだと思います。そんな風に、映画とは何か、映画はどうありたいのかを経験することは大切です」
ただし、現在の視点だけで映画を判断すると見落とすものもある。「映画批評家としては、様々な映画文化を旅して、現在だけではなく過去に何が起きたかもとらえたい。1984年に香港に行き、様々な映画を発見したことがあります。後にウォン・カーウァイ監督の作品を見たとき、それらの映画を想起しました。ある映画がそもそもどういうところから来たのかを知った上で批評を書くのと、知らずに書くのとでは大違い。自分が映画史に通暁しているとは申しませんが、過去の蓄積を活用することは重要だと思っています」
批評家の仕事を長く続ける上では、楽観性も大切だという。「物事を前向きにとらえず、『昔の方がよかった』と言うだけの人は、別の仕事を探した方がいい」。テッソンさん自身も、楽観主義者を自認する。批評家週間の作品選定で様々な国の新人作品と向き合う際は、その国の歴史や社会背景に関心を寄せ、映画に近づこうと心がける。「そうしない限り、新しい発見はできません」
楽観性と並んで大切にしているのは寛大さ。「映画よりも賢い映画評論家を私は好きではありません。『自分はなんでも知っている』『君が何をしたいかわかるけれど、僕の方が賢いよ』と言うような映画批評家は苦手なのです。自分の感情を表現し、たとえ失望したとしても、映画を寛大に受け止めたい。『君が何を言いたいのか全部お見通しだ。作りたいのはこういうことだろう』と頭ごなしに決めつけるのはよくないし、危険だとすら思います。寛大さや好奇心は映画批評家にとって重要な要素。少なくとも、私自身はそういう要素を持って作品と向き合うことを心がけています」
そうやって出会ってきた映画作家の名前を世界地図に落とし込んでいくと、時代の変化がわかるという。「1950年代の『カイエ・デュ・シネマ』は欧米色が強かった。そこに例外的な存在としてに黒澤明や溝口健二らの作品が加わりました。60年代になるとヌーヴェルヴァーグの大島渚や吉田喜重ら新しい監督が現れた。セルジュ・ダネーはメキシコの商業映画に着目し、インド、香港、エジプトなどにもハリウッドとまったくつながりのない大衆映画が人気を博していた。1980年代にはアジア映画が世界中の批評家の注目を集めました。今ではどの国にも映画があることが知られ、国際映画祭でも上映されています」「批評家も、例えばタイやシンガポール、インドネシアとその他の地域はどう違うのかといった地政治学的なことも考えるようになりました。欧米中心の時代には“その他大勢”扱いだった国がそうではなくなってきた。こうした国々の作品にも虚心坦懐に向き合わなくてはいけない。いまは批評家にとって、いい意味で競争が激化しています」
では、映画批評家を取り巻く状況はどうなのか。映画大国のフランスでも、「映画批評をメインにして食っていくのは厳しい」という。「新聞などの伝統的メディアに書く人もいますが、1ワードいくらで書くしかない人もいる。映画館でのトークショーなどの副業をする人もいますが、出演料が出るとはいえ、それだけで生活できる額ではない。けれども、大学で教えていると、素晴らしいことに批評家志望者の若者はけっこういるんですね。ネットにも志望者はたくさんいる。生活を支えられる仕事かどうかはさておき、批評家の数は増えているのかもしれません」
逆に、新興国では批評家の不在を嘆く声をよく耳にするという。国際映画祭で脚光を浴びても、自国の批評家がいないため、地元の観客にきちんと作品の存在が伝わらないのだ。「フランスで好評だったカンボジア映画も自国ではきちんと見られない。コロンビアでは政府が新人監督に助成しているのに、批評家がいない。ジョージア(グルジア)の国立映画センターのディレクターも『作品を国際映画祭に出しても、いざ上映するとさっぱり。国内に有力な批評家がいないので観客を導けない』と話していた。これは問題です。カザフスタンやアゼルバイジャンでも新しい監督が育ち、東京フィルメックスのタレンツ・トーキョーでもラオスなどの企画発表を聞いた。作品は次々作られ、政府も支援しているけれど、映画が完成した後はどうなるのか。人々にこんな作品があるんだよと知らせる役割がこれらの国々には必要です。フランスとは違う意味での戦いがあるのです」
批評家として活動して40年近くたった今も、他の人が書いた批評を読んで様々な発見があるという。「彼には見えたが私には見えないものがある、それは何故なのだろうと考えることがあります。ひとり一人と作品との関係を批評家が作ってくれるのです」。ただし、ネット時代の到来で、批評の形は揺れている。「新興国では映画と観客をつなぐ批評家の役割が極めて重要です。それぞれの国でも、批評は転換点にあるのかもしれません。ヴェネチアやカンヌの声を反映する必要はないのかもしれないし、そこから出てくる批評を参考にしてもいい。批評を通して、世界中でいろいろなことができるのではないか。私はそんな風に考えています」
質疑応答でも、テッソンさんは「対話」の重要性をたびたび説いた。「製作者にとっては批評家は怖い存在。どうしたら健全な関係を作れるのか」との質問には、キアロスタミ、ジャ・ジャンクー、ホン・サンスら様々な監督との交友に触れ、双方がホスピタリティーを持って語り合える関係作りの大切さを語った。映画批評家をしていて良かったと感じるのはどんな時かという問いには、「いい映画を見たとき」と即答。「しばらくは別の映画を見たくなくなる。極上のワインを飲んだ後に、他のものでぶち壊しにしたくないのと同じです」
批評家週間やシネマ・デュ・モンドの仕事で世界各地の新しい才能を発掘してきただけに、各地の状況に話が及ぶとひときわ言葉に熱がこもった。「いまは南アジアのプロジェクトに優秀なものが多い。このエリアは注目です」。東京フィルメックスでも出会えることを期待したい。
文責:深津純子 撮影:村田麻由美
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【レポート】国際批評フォーラム「映画批評の現在と未来を考える」シャルル・テッソンさん基調講演
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