新情報は順次、追加されます。
水曜シネマ塾「字幕翻訳セミナー」partⅡ
from デイリーニュース2012 2012/11/14
11 月14日(水)、第13回東京フィルメックスのプレイベントとして、水曜シネマ塾「映画字幕翻訳セミナー」の2回目がmarunouchi cafe SEEK にて開催された。外国語映画を見る時に欠かせない字幕をテーマに取り上げたこのセミナー。前回に引き続き、講師に映画評論家・字幕翻訳家の齋藤敦子さん、進行役に中国語通訳・翻訳家の樋口裕子さんを迎え、満席の会場は熱気に包まれた。
前回出席されていない方のために、齋藤さんの経歴の簡単に紹介。字幕翻訳家への道を進むにあたって斎藤さんは、「映画監督は、映画を撮ることによって映画監督になる」というアニエス・ヴァルダ監督の名言を引用し、「字幕翻訳家は、字幕を翻訳することで字幕翻訳家になるんだ」と自分に言い聞かせて、フランス映画社を退社する際の挨拶まわりで売り込み、字幕の仕事を引き受けるようになったそうだ。「お金を稼いで学ぶ」が持論と語る齋藤さんだが、映画に関する深い見識に裏打ちされてこその余裕がうかがわれる。
早速、字幕制作の基本的な流れについての説明。通常、配給会社による映像素材の入手、翻訳者選定、字幕なしの試写を経てから字幕翻訳制作に入る。翻訳者は、台本ハコ書き(セリフに番号を付ける)、字幕制作会社や現像所の起こすスポッティング(セリフの長さを計る)のプロセスを経て、台本とスポッティングリストに基づき翻訳を開始する。翻訳の入稿が完了すると、スタジオでの仮ミックス(映像と字幕データのチェック)、初号試写という流れに移る。こうした基本的な流れはあるものの、作品によってプロセスが変わることも多いのだとか。また、TVの場合は字幕の制限文字数が通常とは異なることも。
翻訳時には粗悪な素材しかもらえず、初号試写で映像を見て驚くことも多々あると語る樋口さん。同様に斎藤さんも『THE GREY 凍える太陽』(2011)を手がけた時、スポッティングがずれていたためやり直すことになり、改めて届いたDVDを見て、モノクロ作品だと思っていたものがカラー作品だと初めて知って驚いたとか。暗くて話者が判別できないまま、あるいは何が映っているのかわからないまま訳すこともあり、試写のスクリーンや大きなスクリーンで見て初めて見えるものもあるのだという。それほど翻訳者が置かれている環境が厳しいという事実に参加者も驚いた様子だった。ちなみに、予告編の字幕とタイトルには、翻訳者はほとんど関与することがないそうだ。
次に、齋藤さんが字幕を手がけられた作品の中でも代表作の『アメリ』(2001)を4分ほど鑑賞。この作品は流行を生み出したことでも知られており、当時日本ではあまり知られていなかった「クレーム・ブリュレ」を有名にした作品だそうだ。「クレーム・ブリュレ」をどう訳すかということで悩んだ経緯を明かしてくれた斎藤さん。最初は「焼きプリン」と訳されたが、フランス好きなおしゃれな女性をターゲットにしたいという配給会社の意向でいったんは「クリーム・ブリュレ」に。それでも英語の「クリーム」とフランス語の「ブリュレ」の組み合わせに違和感があった齋藤さんが、フランス語のままにすることを提案し「クレーム・ブリュレ」に落ち着いたという。ひとつのお菓子の名前をめぐる字幕制作秘話に、参加者は熱心に耳を傾けていた。
『アメリ』の字幕がとても洒落ていて、齋藤さんの日本語力の素晴らしさを感じたと語る樋口さんに対して、「日本語にしかないような言い回しをフランス映画の字幕に取り入れ過ぎると、本当にフランスではこんなことを言っているのかと観客が思ってしまいます。そうすると流れが止まってしまうのでダメだと思います」と斎藤さん。
ここで会場から『アメリ』に出てきたことわざの訳し方についての質問。齋藤さんはことわざを直訳したそうだが、何か迷った時は直訳にするそうだ。ひねった日本語にすると字幕が浮いて見え、字幕翻訳者の色がついてしまって監督の意図を損ねかねないという。
その流れで、ドキュメンタリー映画の字幕は難しいという話に移った。フレデリック・ワイズマン監督の作品を例にあげ、「前後のつながりや映画のテーマを考えずに言葉の意味だけを訳すと、全体がばらばらになってしまう危険性があります。ワイズマン監督は編集が上手い監督。監督の編集のやり方を知って字幕を付けるのと知らずに付けるのでは、映画の味わいが全く違ってきます。どれだけ映画を咀嚼するか、解釈しているかで字幕の良し悪しが如実に表れます。ドキュメンタリーは生半可な気持ちでは取り組めません」ときっぱり話す斎藤さん。
続いて、前回のセミナーで翻訳課題として出されたイラク映画『111人の少女』の冒頭シーンを、参加者とともに齋藤さんが訳された字幕と見比べていくことに。冒頭シーンのセリフを一文ずつ取り上げながら、会場から活発な質問が寄せられた。
翻訳するにあたって斎藤さんが指摘したポイントは、情報として字幕に取り入れなければならない必要なものは何かということ、人物の背景や関係などを読みほどくことが重要ということだ。また、テクニカルな面では、日本語の字幕には句点、読点は使わないこと、漢字、ひらがな、カタカナを適度に混ぜて読みやすくすること、横書きでは1行あたり12~13文字、映画祭などの字幕は縦書きになり1行あたり10.5文字で改行と決まりがあることなどが説明された。
この作品は、大統領に手紙を書こうというキャンペーンを題材にしたイラクの風刺映画だそうだが、そうした映画の背景となる情報をどれだけ取れるかということで、翻訳としての深さが変わってくるという樋口さんの指摘に参加者も大いに納得の様子。たとえば課題の中にも、何をしているのか見えないシーンがあったが、そこで見えなくても後の方でわかるので、なぜそこにそうしたセリフがあるのか読み解くことができるそうだ。「言葉の選び方で映画の印象が変わってくるので、翻訳の役割は重要ですね」と樋口さん。
次に、前回のアンケートから、監督の意図を汲むことができるようになるには、映画をたくさん見ることしか方法はないのかという質問が紹介された。これに対して斎藤さんは、「見ないより見た方がいいでしょう。映画を見る時は、ただ漫然と見るよりも、この作品は何を言いたいのか、テーマやポイントを考えながら見る方がいいと思います。娯楽映画でもなんでも、監督が言いたいことを逃さないように見るといいと思います」と答えた。
また、「監督が編集で残したセリフには意味がありますが、字幕では字数制限があるため取捨選択する作業をします。取捨選択を誤ると映画がぼやけてしまいます。"この場面でこの人にこの言葉を言わせなければならない"という台詞があったり、流れの中で伝えなければならない情報もあったり、パズルのようなところがあります。それを探りながら作っていかなければならないので、映画をわかっていないと、監督が言いたいことがわからないとできないでしょう」と斎藤さん。
最後に樋口さんから、「字幕は言っていることの3分の1、あるいは2分の1にしか入れられないので、何を残し、何を捨てるのか責任があります」。続いて齋藤さんからは、「前回も言いましたが、映画の字幕は自分が理解している以上のことは字幕にすることはできません。監督の意図と同じぐらいの気持ちで向き合い、監督の意図がわからなければわかろうとすること、噛り付くことが大切です」とのメッセージ。お二人ともプロらしい厳しい一面をのぞかせて、セミナーを締めくくった。
2回連続で開催された水曜シネマ塾「映画字幕翻訳セミナー」。齋藤さんと樋口さんの豊富な経験談を交えて、普段はあまり聞くことのできない字幕制作秘話に会場が何度も沸く場面が見られ、また参加者からの積極的な発言もあり、映画字幕への関心の高さがうかがわれる内容であった。
(取材・文:海野由子、撮影:穴田香織、村田まゆ)
水曜シネマ塾「映画字幕翻訳セミナー」
from デイリーニュース2012 2012/10/31
10月31日(水)、今年で13年目を迎える東京フィルメックスのプレイベントとして、水曜シネマ塾「映画字幕翻訳セミナー」がmarunouchi cafe SEEK にて開催され、映画評論家・字幕翻訳家の齋藤敦子さんと中国語通訳・翻訳家の樋口裕子さんが登壇した。東京フィルメックスでは、2006年より三菱地所・丸の内カフェとの共催で映画に関する国内外のゲストを招いたトークイベントセミナーを数々開催してきたが、今年は外国語映画を見る時に欠かせない字幕をテーマに2回連続で取り上げる。
映画字幕翻訳セミナーは2009年から、樋口さんの発案で東京フィルメックス開催期間中に行われており、昨年には齋藤さんをゲストとして迎えている。観客の評判も上々だったことを踏まえ、今回は、さらに多くの方々に字幕を通じて映画をより深くより身近に感じてもらい、これまでとは違った視点で映画に接してもらえる機会を用意する企画となった。
映画評論家・字幕翻訳家の齋藤敦子さんは、これまで多くの作品の字幕を手がけられており、東京フィルメックスとも縁が深い。最新作は現在公開中のロバート・レッドフォード監督作『声をかくす人』。また映画評論では、河北新報の「シネマに包まれて」で国際映画祭のレポートを寄稿されている。齋藤さんの聞き手となる中国語通訳・字幕翻訳家の樋口裕子さんは、中国映画の字幕翻訳を手がけられ、東京フィルメックスでは上映される中国作品のQ&Aの通訳も務めている。
さっそく進行役の樋口さんが、字幕翻訳を手がけるまでの道のりについて齋藤さんに尋ねた。齋藤さんは大学・大学院時代は東洋哲学を専攻していたが、もともと好きだった映画の世界へ転向すべく、大学院を退学し映画監督を目指して渡仏。映画好きのお父様の影響もあったことをも明かされた。パリでは編集コースを修了後、監督コースを履修したものの、製作実習でいかに自分が監督に不向きかということを悟ったいきさつをユーモアたっぷりに紹介して会場の笑いを誘った。帰国後、月刊イメージ・フォーラムにアンドレイ・タルコフスキー監督の『ノスタルジア』(83)に関する原稿を投稿したことが縁で、フランス映画社に入社し、宣伝部で活躍。意外にも、字幕翻訳を手がけることになるとは思っていなかったと話す齋藤さん。社内でスポッティングリストをベースに字幕用の原稿用紙作りを頼まれたことが字幕制作への入り口となったそうだ。字幕デビューは『エリア・カザンの肖像』(82)。
続いて話題は、齋藤さんがイラン映画の字幕制作を手がけることになった経緯へ。1990年、ナント三大映画祭のイラン映画回顧展でソフラブ・シャヒド・サレス監督の『静かな生活』(74)を見て衝撃を受け、イラン映画を紹介したいと思ったのだそう。その後アッバス・キアロスタミ監督の『友だちのうちはどこ?』(87)に興味を持ち、ある配給会社に買い付けを持ちかけたがまとまらなかったという。その続編となる『そして人生はつづく』が1992年カンヌ国際映画祭ある視点部門で上映されたことを機に別の配給会社が2本とも買い付けた際に、字幕制作をぜひやりたいと直談判したのだそうだ。ただし、2本の字幕制作に2ヶ月を要し、ギャラも安くて大変苦労されたと本音もちらり。何よりも原語がペルシャ語で、ビデオに付いていた英語字幕は、セリフと字幕のタイミングが合っておらず、結局、聴き取ったペルシャ語をカタカナで書き下した台本をベースにスポッティングリストを作成したとの制作秘話には、会場から感嘆の声が洩れた。
次に、実際に齋藤さんが手がけられたミヒャエル・ハネケ監督の『白いリボン』(09)の映像の一部を見ながら、その字幕の言葉選びの難しさについて話が及んだ。「この作品は第一次大戦と第二次大戦の間でドイツのある村に起こる物語。ミヒャエル・ハネケ監督は人間の暗部を取り上げるのが得意で、ほとんどの登場人物が悪人。それは、人間の暗部が第二次大戦に向かっていくドイツそのものを描いている」 と斎藤さんが説明。
そこで、樋口さんが気になって選んだという、字幕の日本語が辛辣なセリフのシーンを見てみることに。齋藤さんは、「ここは曖昧に訳すと人間の極限が出てこず、ハネケ監督らしい面白さが出てきません。アウトラインをつけるような感じできつめに訳しました」と言葉選びの背景を明かした。また、「(字幕を付ける映画について)自分が理解している以上のものは字幕にできません。映画への理解が深い人ほど良い字幕が付けられるのだと思います。字幕を付けようとする人は、映画をとことん理解して、監督がどのような意図でセリフを言わせているのかがわからないと、意味は合っていても違ったものになってしまいます」と、作品への理解の必要性を熱く語った。
続いて、実際の字幕制作について、ハコ割り、スポッティングリストの作成、翻訳、入稿、仮ミックス、訂正、シミュレーション、初号試写という作業工程についての大まかな説明。齋藤さんは「ラボに行くと、字幕というのは共同作業ですから翻訳者だけに責任を負わさないでねと、みんなに言うんですよ」と茶目っ気たっぷり。作業している間に字幕の文字に慣れてしまい、誤りに気付かないことがあるため、しっかりチェックして欲しいと言うことを齋藤さんなりに伝えているという。
「字幕はひとりよがりになりがち」と指摘する樋口さんに対して、齋藤さんは「一番いけないのは、言葉ばかり見ていて画を見ないこと。翻訳は間違っていないけれど、映像に乗ったときはどうなるのかを考えなくては。字幕は動いていくもの。止まってはダメ。観客は字幕を見たらどんどん忘れていくものです。流れがあるのだから翻訳が自然に頭に入らないとダメ。凝った字幕は字が浮いて見えます。字幕で映画が映えるように、いかに映画を素晴らしく見せるかが字幕の極意。字幕が素晴らしかったねというようなものはダメ」と、プロフェッショナルらしい持論を展開して参加者をうならせた。
ただ、持論が通らないこともあるというエピソードも紹介。最近手がけたアメリカで製作された日本人監督の作品では、監督の指摘で多くの手直しが入ったのだとか。「もちろん映画は監督のものですし、監督には作品の細かい部分への思いやこだわりがあるということがよくわかりました。字幕翻訳者が流れを汲んで翻訳したとしても通じないことがあります。監督とは喧嘩できません」と齋藤さん。
ここで、字幕へのより深い理解のために、今年の東京フィルメックスで上映される『111人の少女たち』の冒頭シーンのセリフに字幕を付けるという宿題が参加者に出された。冒頭シーンの映像を見ながら、齋藤さんは「字幕は冒頭が一番難しいのです。冒頭部分にはこれから始まる映画の大部分の情報が隠されています。そういうことを読み取ることができれば、映画が二重に楽しめるのではないでしょうか」と、この部分を選んだ理由を説明。次回セミナーでは、齋藤さんが付けられた字幕と参加者自身が訳した字幕を比較できるとあって、参加者も興味津々の様子。
最近は字幕についてもネットに書き込まれることがあって、翻訳者もいろいろ悩みながら字幕をつけていることを理解して欲しいとも語った斎藤さん。字幕翻訳者の苦しみと喜び、映画祭で上映する作品と配給会社が公開する作品の字幕の付け方の違いなどは、次回セミナーにて取り上げられる予定。
最後に質疑応答へ。「なぜこのセリフをここで言っているのかわからない時はどうするのでしょうか」という質問には、「なんとかつけます」と笑顔で答えた齋藤さん。また、字幕と吹き替えの違いについての質問には、「吹き替えは字数が多く、字幕にはできないニュアンスを出すことができると思います。吹き替えは肉声で役者の個性もあるわけですから、翻訳より演出という才能が必要なのではないでしょうか」と答えた。
予定時間を超えて盛り上がった字幕をめぐるお2人の楽しいトークに魅了された参加者からは、大きな拍手が寄せられた。次回の水曜シネマ塾PARTII「映画字幕翻訳セミナー」は、11月14日(水)にmarunouchi cafe SEEKにて開催予定。
(取材・文:海野由子、撮影:吉田留美)
|