上映作品ラインナップ【東京フィルメックス-京都出張編2020-】

東京フィルメックス -京都出張編2020- 上映作品ラインナップ・上映スケジュールはコチラ(https://demachiza.com/movies/5967)

TOKYO FILMeX in KYOTO 2020 東京フィルメックス -京都出張篇-

<上映スケジュール・上映作品のご確認は上記リンク、または画像をクリック下さい>

<開催期間・上映劇場>
@出町座 3/13(金)-3/19(木)
@京都シネマ 3/14(土)-3/20(土)

<料金>
当日一般:1,500円
ほか通常料金設定。

<主催>
認定NPO法人東京フィルメックス、シマフィルム株式会社

市山ディレクター、ベルリン映画祭新部門「Encounters」審査員に

今月20日に開幕する第70回ベルリン国際映画祭。エクゼクティヴ・ディレクターにGerman Filmsの前代表マリエッテ・リッセンベーク、アーティスティック・ディレクターにロカルノ映画祭前アーティスティック・ディレクター、カルロ・チャトリアンという新体制で初の開催となる2020年は、映画祭にとり節目の70回目のアニバーサリーです。先週、発表されたコンペティション部門のラインナップにはホン・サンス、ツァイ・ミンリャン、リティ・パンとフィルメックスでもお馴染みの監督たちが名を連ねました。

そして、今年メインのコンペティションの他に、「Encounters」というコンペティション部門が新設され、東京フィルメックスのディレクター市山尚三が他の2監督と共に審査員を務めることになりました。

Encounters Jury:
https://www.berlinale.de/en/festival/awards-and-juries/awards-encounters.html

Encounters部門の紹介ページ
https://www.berlinale.de/en/press/press-releases/detail_29668.html

東京フィルメックス -京都出張編2020- を開催します!

昨年12月に閉幕した第20回東京フィルメックスより、特別協賛としてご支援頂いてるシマフィルム。スポンサーとしてご参加頂いたことを期に、シマフィルムの拠点となる京都の2劇場にて、東京フィルメックスで過去に紹介した作品、シマフィルム作品を合わせた特集上映企画を実施する運びとなりました。

<上映作品>
近日発表となります。

<開催期間・上映劇場>
@出町座 3/13(金)-3/19(木)
@京都シネマ 3/14(土)-3/20(土)

<料金>
当日一般:1,500円
ほか通常料金設定。

<主催>
認定NPO法人東京フィルメックス、シマフィルム株式会社

 

【レポート】12/1『カミング・ホーム・アゲイン』Q&A

12月1日、最終日を迎えた第20回東京フィルメックスでは、TOHOシネマズ日比谷12で最終上映が行われた。上映作は、クロージング作品として前日にも上映された特別招待作品『カミング・ホーム・アゲイン』。本作は、1995年に雑誌「ニューヨーカー」に寄稿された作家チャンネ・リーの自伝的な物語に基づき、在米韓国人の家族を描いた作品。上映後には、ウェイン・ワン監督が登壇した。

さっそく質疑応答に移り、まず、本作における料理の意味について問われると、「食べることが大好き」と答えたワン監督。「息子(男性)が母親の料理を再現し、それが母との最後の晩餐になるわけですから、料理は本作を動かす重要な要素」と説明した。さらに、サンフランシスコにある韓国料理の3つ星レストランのシェフをコンサルタントとして起用し、豪華な料理ではなく家庭料理のアドバイスをもらったというエピソードが紹介され、料理へのこだわりをのぞかせた。

続いて、狭い室内をシネマスコープで撮影した意図について質問が及んだ。通常、シネマスコープは動きの多いアクション映画で使われることが多いが、本作では、「狭い室内で展開するミニマルな家族の物語を、あえて広い視野で見せよう」と考えたというワン監督。ただし、狭い室内での撮影には苦労したそうで、部屋の中のシーンのほとんどは、部屋の外から撮影されたとか。そして、自身の映画学校時代を振り返り、そこでシャンタル・アケルマン監督の『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』(’75)の固定カメラによる構図の取り方に感動し、何もない空間に意味を持たせることを学んだことを回想した。

次に、画質としては全体的に青色のトーンが印象的だと指摘されると、少し冷たい感じが母親や家族の苦難を表していると説明。それに対してフラッシュバックのシーンでは、少し温かみのあるトーンにしたという。また、室内では自然光を使って撮影したことも明かしてくれた。自然光を上手く使う撮影監督としてネストール・アルメンドロスの名をあげ、晩年、彼が視覚を失いかけたとき、肌で光を感じたという逸話を紹介した。

また、長らく映画を撮るうちに創作に対するスタンスにどのような変化が生じたかという質問に対して、ワン監督は自身の作品を振り返りながら説明。ワン監督が映画を撮り始めた頃、アジアンアメリカンをテーマにした作品はアメリカ的な視点で描かれたものしかなく、監督自身はアジア文化を正しく反映することを意識したそうだ。初期の作品『Dim Sum: A Little Bit of Heart』(’85)、『Chan Is Missing』(’82)、『夜明けのスローボート』(’89)がその例となる。続く『ジョイ・ラック・クラブ』(’93)はハリウッド手法で大成功を収めたが、そこで一つのイメージの枠にはまることに違和感を持ち、『スモーク』(’95)、『ブルー・イン・ザ・フェイス』(’95)で実験的な作品に挑戦したという。それらを経て、『千年の祈り』(’07)以降には再びアジアンアメリカンをテーマに、自分自身を含めた本当のアジアンアメリカンの姿、アジア文化を描くことを意識していると語った。

最後に、ワン監督は、遅い時間にもかかわらず最後まで残ってくれた観客に「皆さんはこの映画祭の最後の生き残り(サバイバー)です」と賛辞を送り、第20回東京フィルメックスの作品上映及びイベントがすべて終了した。

 

(文・海野由子/写真・明田川志保)

【レポート】『フラワーズ・オブ・シャンハイ』Q&A

12月1日、第20回東京フィルメックスは最終日を迎え、有楽町朝日ホールでは特別招待作品フィルメックス・クラシックとしてホウ・シャオシェン監督の『フラワーズ・オブ・シャンハイ』が上映された。
最終日にあたり、上映前には市山尚三 東京フィルメックス・ディレクターから、すべての来場者及び運営協力者に謝辞が述べられた。また、来日が叶わなかったホウ・シャオシェン監督から届いたメッセージも読み上げられた。

「『フラワーズ・オブ・シャンハイ』では、ほとんどが1シーン1カットで製作されています。本作を初めて公開したとき、私は観客に『この映画を観るとよく眠れます』と言いました。あれから21年が夢のように過ぎ去り、この修復版の上映に際して何かを言うとするならば、『良い夢をご覧ください!』でしょうか」

そして、上映後には、『HHH:侯孝賢』(’98)に引き続いてオリヴィエ・アサイヤス監督が登壇し、『フラワーズ・オブ・シャンハイ』のプロデューサーを務めた市山ディレクターとともに思い出も交えながら、Q&Aが行われた。

会場で久しぶりに本作を鑑賞した感想を問われたアサイヤス監督は、「ホウ監督の作品群の中でも間違いなく素晴らしい作品の1つ。まったく廃れていない永遠性、純粋で明晰なエクリチュール、普遍的な人間の感情、どれをとっても唯一無二の作品」と絶賛した。

本作はホウ監督にとって初めての歴史劇だが、アサイヤス監督も『感傷的な運命』(’00)で歴史劇に挑戦している。歴史劇特有の苦労を問われると、アサイヤス監督は「歴史に忠実であること」を強調し、「映画を通して歴史を知る観客に対して、登場する衣装、小物、人々のたたずまい等、語っている時代の魂を正確に再現する責任がある」と説明。ディテールへのこだわりで歴史劇を大成功させた映画監督としてルキノ・ヴィスコンティ監督の名を挙げ、その点においてはホウ監督にも志の高さを感じると述べた。

市山ディレクターも、時代を再現することに心血を注いでいたホウ監督の姿を目の当たりにしたという。例えば、言語へのこだわり。ホウ監督は、本作の舞台が上海であることから北京語ではなく上海語で貫くことにこだわり、上海語に苦労していたトニー・レオンさんには、広州から来た役人という設定を提案したというエピソードが披露された。

さらに、ホウ監督に質問したいことは何かと問われたアサイヤス監督。「本作には独特のリズムがあり、形式的な意味でも成功している」とした上で、溝口(健二)監督から影響を受けているかどうか訊きたいとか。同じ質問をしたことがあるという市山ディレクターは、「ホウ監督が溝口監督について明言を避けている節があり、ライバルのように感じているのではないか」と語った。さらに、アサイヤス監督は、時の経過の扱い方についても訊きたいそうで、本作では「アヘンの存在が時の経過と人々の苦痛に効果的に作用しているのではないか」と分析した。

会場からの質問では、ホウ監督とリー・ピンビン撮影監督との関係性について話が及んだ。アサイヤス監督は、密室劇での撮影には撮影監督とのコラボレーションが欠かせないと語るも、『HHH:侯孝賢』にリー撮影監督の姿はない。その理由を問われると、『HHH:侯孝賢』に登場する人物の決定権はホウ監督が握っていたが、リー監督が登場しなかったのは撮影時に不在だったというような単純な理由ではないかとのこと。また、ドキュメンタリー映画『風に吹かれて―キャメラマン李屏賓の肖像』(’09、クワン・プンリョン監督、チアン・シウチュン監督の共同監督作)では、本作の撮影時にホウ監督とリー撮影監督が激しく議論を交わしたという回想エピソードがあったと観客から指摘されたが、市山プロデューサーによると、2人は仲が悪いわけではなく、若い頃からよく知っている間柄だからこそ意見を戦わせているのではないかとのこと。

次々とエピソードが明かされ、観客の興味は尽きない様子であったが、『HHH:侯孝賢』でのQ&Aに続き、ホウ監督の魅力を語ってくれたアサイヤス監督には観客から惜しみない拍手が送られた。

 

(文・海野由子/写真・明田川志保)

 

【レポート】『HHH:侯孝賢』オリヴィエ・アサイヤス監督Q&A

12月1日(日)に有楽町朝日ホールにて、第20回東京フィルメックスの「特別招待作品 フィルメックス・クラシック」として、『HHH:侯孝賢』がデジタルリマスター版で世界初上映された。オリヴィエ・アサイヤス監督がホウ・シャオシェン監督に迫った1997年のドキュメンタリー作品で、映画監督が現役の映画監督を撮るというフランスのテレビシリーズ「我らの時代の映画」の一環として制作された。上映後には、新作『冬時間のパリ』のキャンペーンで来日中のオリヴィエ・アサイヤス監督が登壇。市山尚三東京フィルメックス・ディレクターが「今回の“フィルメックス・クラシック”ではホウ・シャオシェン監督の1998年作『フラワーズ・オブ・シャンハイ』もデジタル修復版で上映されるので、それならぜひ『HHH:侯孝賢』も上映させていただきたいとお願いしました。まずは出会いの経緯をお聞きしたい」と話を切り出した。

アサイヤス監督は「出会いは1984年にさかのぼります。当時の私は映画監督になる前で、“カイエ・デュ・シネマ”で映画批評家をしていて、香港映画特集の取材で香港を訪れていたんですね。そのときに“チャイナ・タイムズ(中国時報)”で映画批評をしていたチェン・クォフーさんから、『ぜひ台湾映画を発見するべきだ』と強くすすめられて、台北にも行きました。その頃に台北を訪れる外国人ジャーナリストは本当に少なかったと思うんですが、そこで新しい世代、いわゆる”台湾ニューウェーヴ“の監督たちの存在を知ったわけです。大変な衝撃を受けました。ホウ・シャオシェン監督は『風櫃の少年』を撮っていましたし、”台湾ニューウェーヴ“のもう一人の重要な作家であるエドワード・ヤン監督もクリストファー・ドイル撮影で『海辺の一日』を撮っていました。ホウ・シャオシェンの初期の作品を観たときに、中国映画の歴史に残るような作品だと確信していました。中国映画の巨匠というだけでなく、世界の映画の巨匠となるべきだと。その2年後に私は映画監督になるんですが、非常に影響を受けましたね。彼と私の友情はそのときから始まって、いまでも続いているということです。お互い初期の頃に出会えてラッキーでした」と当時を振り返った。

観客から「素晴らしい作品をまた観ることができてよかったです。このような作品をまた撮るとしたら、誰を撮りたいですか」と問われると、監督はまず「この作品はフランスのテレビシリーズの一環として作られたものですが、ほかの作品には“時間の概念”が欠けているなと思っていたんです。それまではどちらかというと伝統的な問題提起の仕方で作られていましたが、私がやりたかったことはシネフィル的な視点ではなかった。ホウ・シャオシェンの映画を紹介しようとか彼のテーマを分析しようとかではなくて、ひとりのアーティストのポートレートとして、ホウ・シャオシェンという人間その人、友人としての彼をおさめたかった。それは1997年の制作当時、すでに13年の付き合いがある私にしかできないだろうと思っていました。まだどちらも無名だったからこそ、すごく親密で打ち解けた付き合いができたし、信頼というものを築き上げることができました。たとえばカラオケのシーンもそうですが、この映画はそんな特別な友情関係の賜物だと思います」と話し始めた。

そして「ほかの監督を私が撮ることができたなら、あるいは撮るべきだったならという問いかけに対して答えるとすれば、エドワード・ヤン監督です。この作品のなかでは彼は不在ですが、私のなかでは非常に重要な映画人(シネアスト)として位置付けられています。現代の映画史においても、中国映画を新しくリノベーションしたという意味でも。彼とはホウ・シャオシェンと同じくらい深い友情を築き上げていて、この作品でも出演してもらいたかったんですが、彼自身がそれを望まなかったという経緯があります。ホウ・シャオシェンとエドワードがちょっと気まずい関係にあったこともあり、またおそらくエドワードはホウ・シャオシェンではなく僕のポートレートを撮るべきだと思っていたのではないでしょうか。そんなわけで、エドワードのポートレートをやりたくても結果としてできませんでした。彼はあまりにも早くこの世を去ってしまいましたから」と続けた。

「撮影監督のエリック・ゴーティエは最近では是枝裕和監督の『真実』にも参加していますが、彼を起用した経緯は?また、なぜ“台湾ニューウェーヴ”というムーブメントがあの時代のあの瞬間に起きたのか、ホウ・シャオシェン監督に実際にインタビューして感じられたことがあれば」と質問が飛ぶと、監督は「エリック・ゴーティエは『イルマ・ヴェップ』で最初に起用した時に、とてもいいなと、私自身すごく喜びを感じたんですね。初めての場所で知らない世界を発見する好奇心があって、ホウ・シャオシェンの世界観に対する新鮮な視点を持っているというところもよかったと思います。撮影監督のエリック・ゴーティエ、彼の助手のステファン・フォンテーヌ、そして音響のドゥ・ドゥージ。当時はまだ名が知られていませんでしたが、いまでは重要な作り手になっている才能ある人たちと一緒に仕事ができたというのは、ラッキーでした。また“台湾ニューウェーヴ”がなぜ起こったかということですが、当時台湾には戒厳令が敷かれていて、それに対抗するような知的階級のムーブメントがあったんですね。抑圧的な台湾の文化政策からの解放、台湾の政治や現代社会に対しての言論の自由を謳った人たちがいました。そうしたジェネレーションが小説などを契機として、映画の世界にも広がったと認識しています」と話してくれた。

最後に「“台湾ニューウェーヴ”“が起きた後に台湾から香港に出資があり、その後に香港映画が飽きられたというくだりが劇中にありました。2000年代以降になると中国の力が強くなって、その資金で香港映画を制約し始めたということもあるかと思います。そうしたなかで、映画作りの現場にいらっしゃるアサイヤス監督としては、中国の勃興に代表されるような近年の変化は映画制作にどのような影響を与えていると感じていますか」と聞かれると、「私自身はその後ヨーロッパで作品を撮り続けていましたから、アジア映画の現場に立ち会っていたわけではないんですが」と前置きしたうえで、「『HHH:侯孝賢』を撮った後、台湾映画を巡る経済的状況はかなり変化を遂げていますね。助成金が随分と少なくなっている。ツァイ・ミンリャンなどはいても、台湾映画でホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンのような大きな監督たちが出てこなくなった。そして台湾映画は、自国の映画をどれだけのパーセンテージで上映しなくてはならないという制度に長らく守られていたところがあった。でもいまはそれも変わってきている。中国映画が変化して、市場を開放したというのもあると思います。さらに台湾で制作していた人たちが北京に移っていったということもあります。先ほども申し上げたチェン・クォフーさんも北京をベースにして、プロデューサーとして香港のツイ・ハーク監督をプロデュースしています。『HHH:侯孝賢』の共同プロデューサーであったペギー・チャオさんも、北京と台湾を行ったり来たりしていますね。世界の映画は、経済的なものによって新しいプラットフォームができたり映画配給の仕方が新しく変わりつつあったりしますが、私自身はどこから出資されたお金かということで映画の質が変わることはないと思っているんです。たとえばアップル、ネットフリックス、コカ・コーラ、あるいはフランス政府のお金であろうがなかろうが、私たちが作る作品にまったく影響を及ぼすことはないと思っています」と回答。大きな拍手のなか会場を後にした。

アサイヤス監督の新作『冬時間のパリ』は12月20日(金)から公開される。この機会に監督のフィルモグラフィーはもちろん、アジア映画の系譜を辿ってみてはどうだろう。

 

文:福アニー/写真:明田川志保

 

【レポート】11/30『カミング・ホーム・アゲイン』ウェイン・ワン監督Q&A

11月30日(土)、有楽町朝日ホールにて、第20回東京フィルメックスのクロージング作品としてウェイン・ワン監督の『カミング・ホーム・アゲイン』が上映された。韓国系米国人の作家が、大晦日に集まる家族のために、母親から教わった手料理を作り始める。そうして人生における様々なフラッシュバックを挟みながら、在米アジア人の家族を描く作品だ。上映後にはウェイン・ワン監督が登壇し、「東京フィルメックスは何度もお邪魔していますが、その度に若いフィルムメイカーたちからたくさんのことを学んでいます。この作品は彼らの影響を受けているように感じるんですね。私はハリウッドで作品を作っていた時期もありますが、いまは映画作りというものを、また一から学び直している感覚なんです」と話し始めた。

続けて市山尚三東京フィルメックス・ディレクターが「昨年は審査委員長を務めていただいて、今年はこんなに素晴らしい作品でまた来ていただいて、本当にありがとうございます。『カミング・ホーム・アゲイン』を観て、たとえば初期の『Dim Sum: A Little Bit of Heart』など、アメリカ在住の中国人の家族を描いた作品を彷彿とさせました。今回は韓国人の家庭を扱っていますが、この映画を作られた経緯は?」と問いかけると、「今回一緒に脚本を執筆したのはチャンネ・リーさんという韓国系米国人作家なんですが、もともとは別の作品を映画にしようとしていたんです。でも難航していて、ある日ランチを食べている時に、だったら違うことをやろうと。それで1995年にザ・ニューヨーカー誌に発表した母親と韓国料理についてのエッセイを僕も読んだことがあったので、それを原作として、映画化しようと。そこからはトントン拍子に話が進んでいきました」と監督。

観客から「『Dim Sum: A Little Bit of Heart』もこの作品も『食』が中心にありますが、監督にとって家族を喚起させるような『食』はありますか?」と質問が飛ぶと、監督は「やはり点心かもしれません。祖母も母も餃子がとても得意だったのですが、残念ながらふたりとも亡くなってしまったので、その餃子も口にすることができなくなってしまいましたが…」とぽつり。また「監督は中国系アメリカ人ですが、この映画に出てくるのは韓国系アメリカ人の家族です。同じアジア系といっても、韓国系と中国系で違うところはありますか」との問いには、「準備中、毎日違うなと感じていました。なのでリアリティを出すために、様々なコンサルタントに入っていただいて、その違いを指摘していただきました。中国系、韓国系、日系それぞれに違う文化を保ち続けていて、とはいえアメリカ人でもある。今回主人公を演じたジャスティン・チョンさんは韓国系なのですが、彼に言われたのが、たとえば夕食のシーン。あの場面だと韓国系の方のほうが気持ちが高ぶってしまって怒りが爆発するから、よりバイオレントになると思うと。もしかしたら中国系の方よりも韓国系の方のほうが、気持ちを正直に、素直に出すということがあるのかもしれませんね」と話してくれた。

「終盤、息子が母の部屋を片付けるシーンがあってそれで終わりかなと思ったんですが、そのあとふたつのシーンが付け加えられていますよね。それはなぜですか?」と聞かれ、「ふたつのシーンは、それまでの時間の流れや感覚とはちょっと違う、エピローグとしてイメージしていました。冒頭に出てきた『骨に繋がった肉』に関わるものとして。そして、実は原作の短編がそういう終わり方をしているんですね。それは核の部分であったので、リスペクトを込めて最後につけています」と監督。また「それと関連して、エピローグでは劇伴が入っていて、本編ではラジオやCDから聞こえてくる曲はあるにせよ劇伴が使われていなかったのは、時系列が違うということを意識されていたからでしょうか」との問いにも、「まさにおっしゃったとおりです。それだけ最後のセクションは特別なものになっています。あとはすべてに意味を持たせる、すべてを因果関係で繋げるということを、あえてしたくなかったんですね。歳を重ねるにつれ、なにも意味を持たないシーンも面白いんじゃないか、具体的な意味がなくても興味深いと思えるようになりました。とくにハリウッドの映画作りというのは、どのシーンも常に意味を持たなければいけないことが多いですからね。意味というのは観客の手にあると考えています。シーンに劇伴をつけるのは、どうしても作り手の思惑を強いてしまうようなところがありますから」と答えてくれた。

最後に監督が思う「死」について聞かれ、監督は「日本の方は変化を受け入れる感性をお持ちだと思っている。『もののあはれ』(日本語で!)というんですかね。たとえば小津や成瀬といった日本映画を観たことで、自分はその死生観にとても影響を受けていると感じます。『カミング・ホーム・アゲイン』も、変化に対する受容、そうした感覚にオマージュを捧げるような映画になっているかなと思います」と締めくくった。もうすぐ大晦日。改めて家族の形を考えてみるのもいいかもしれない。

 

文:福アニー/写真:明田川志保

 

【レポート】『狼煙が呼ぶ』豊田利晃監督・渋川清彦・飯田団紅 舞台挨拶

第20回フィルメックス最終日は、急遽10時より特別上映決定した豊田監督新作『狼煙呼ぶ』の上映から幕上げとなった。

10時になり、劇場のブザー音なりおわると会場内に突如頭巾を被り法被を羽織った男性現れた。男性は「やあ、やあ、やあ」と会場中に響き渡る大きな声を張り上げ「ここ朝日ホールに狼煙をあげさせていただきます」と叫んだかと思うと観客席を重々しい足取りで駆け回りはじめた。
不穏な、しかしどこか期待と予感入り混じる空気の中、男性は「外郎売り」を凄まじい迫力で読み上げる。その肉声響き渡る会場は、はやくも映画の世界観に観客を一気に引き込んだ。
この演出は約3分に渡り行われ、興奮覚めやらぬ中舞台上には市山ディレクター、そして豊田利晃監督、渋原清彦さん、切腹ピストルズ隊長飯田団紅さん登壇された。

去年のフィルメックスではドキュメンタリー映画『プラネティスト上映された豊田監督。
「今日は朝早く来ていただきありとうございます。今回16分の映画を急遽上映させていただけて本当に嬉しく思っています」と挨拶された。
渋川清彦さんは、2009年豊田監督作品『蘇りの血』第10回東京フィルメックスで上映された時の思い出を語り、「あの時も豊田さんは出所後だったそして今回も出所後ですね」と会場を笑わせ、「朝日ホール、そして東京フィルメックスは1番思い出深い映画祭」と挨拶された。
今回『狼煙呼ぶ』の出演や音楽を担当される切腹ピストルズ隊長飯田団紅も続けて挨拶を行い、会場からは大きな拍手贈られた。

豊田監督は2019年4月に拳銃不法所持で逮捕されている。しかし、その拳銃は豊田監督の祖父第一次大戦の時に使っていたものであり、豊田監督はすぐに釈放となった。
しかし、その頃マスコミは逮捕時には豊田監督の逮捕を必用に報じたにも関わらず、釈放後はほとんど放送しなかったという。豊田監督は「相乗効果でいじめのようなものの対象になってしまった」と当時のことを語り、「記者会見を開くかという話もあった、だったら映画で返答しようと思った」と思いを語った。
16分という長さについては、「すぐ作り、すぐ流さなければ今の時代に対応できない」とし、映画に対して「(自身の事件)それだけでなく、この世の中の不条理や矛盾にもうみんなそろそろ立ち上ろうという気持ちで作った」と述べた。

  

最後、渋川さんそして、飯田さんにマイク渡ると飯田さんは「(この映画は)何かの前振りなのではないか」とし、「16分という時間を集中して、前のめりになって見てほしい」と締めくくった。

狼煙呼ぶ』は、渋川清彦、浅野忠信、高良健吾、松田龍平、中村達也、伊藤雄和、仲野茂、MASATO、MIUら豪華な俳優陣出演する。たった16分と短い映画ではある、その迫力はまさに何かを予感させる、贅沢な16分となっている。

文・柴垣萌子/写真・明田川志保

【レポート】授賞式&受賞者記者会見

11月30日(土)、東京フィルメックス授賞式が有楽町朝日ホールにて行われ、たくさんの人が押しかけた。

5人の審査委員から、映画批評家のトニー・レインズ、俳優のべーナズ・ジャファリ、写真家の操上和美が式に出席。俳優のサマル・イェスリャーモワ、深田晃司監督はスケジュールの都合で欠席となった。コンペティションで上映された10作品の中から、学生審査員賞、スペシャル・メンション、審査員特別賞、最優秀作品賞受賞作品が発表された。

その前に、クロージング作品以降に上映される作品を除いた全プログラムから、観客賞に中川龍太郎監督の『静かな雨』が選ばれた。
代理で藤村プロデューサーが賞状を受け取り、中川監督からはビデオメッセージが届いた。

<中川龍太郎監督 ビデオメッセージ全文>
『静かな雨』監督の中川龍太郎です。学生時代から友人としょっちゅう通っていた映画祭で、観客賞というすばらしい賞を頂けて本当にうれしく思っています。何度もなんども行っていた映画祭ですので、そのときに一緒に見ていたお客さまからのご支持を少しでもいただけたのだとしたら、こんなに光栄なことはございません。
この映画は2月7日に、劇場公開されます。そのときはまた見ていただけたらうれしいです。今回はありがとうございました。

学生審査員賞は、ニアン・カヴィッチ監督の『昨夜、あなたが微笑んでいた』に贈られた。カヴィッチ監督本人が登壇し、賞状を受け取った。

<ニアン・カヴィッチ監督 受賞コメント全文>
学生審査員の皆さん、ありがとうございました。そして、2016年に自分を(タレンツに)選んでくださったタレンツ・トーキョーにも、あらためてお礼を申し上げたいです。今度は自分の作品を持って、東京フィルメックスにこうやって戻ってこられたことを大変光栄に思っています。本当にありがとうございました。

スペシャル・メンションは二つの作品に授与された。

一つめの作品は、広瀬奈々子監督の『つつんで、ひらいて』。昨年も『夜明け』(18)で同賞を受賞した広瀬監督本人が、賞状を受け取った。

<広瀬奈々子監督 受賞コメント全文>
昨年、スペシャル・メンションを頂いたばかりだったので、今年もこの場に立てるとはまったく思っていませんでした。市山さんにも、最初に「今年は賞とかは期待しないでください」と言われていたので、びっくりしています(笑)
お聞かせいただいた授賞理由の批評が本当にうれしくて、感動しております。装丁というジャンルの表現にこうして光をあててもらえるというのが、何よりうれしいです。本が売れない時代に紙の本について考え直すのは意義があると感じているので、一人でも多くの人に届いてくれたらいいなと思います。本日はありがとうございました。

二つめの作品は、ニアン・カヴィッチ監督の『昨夜、あなたが微笑んでいた』。学生審査員賞とのダブル受賞という結果になったカヴィッチ監督が、再び舞台上にあらわれた。

<ニアン・カヴィッチ 受賞コメント>
また戻ってきました(笑) まずは審査員の方々にお礼を申し上げたいです。本当に光栄に感じています。
ちょっと思い出したんですが、タレンツ・トーキョーに参加したときに、フライトに乗り損ねるというヘマをやらかしてしまいました。けれどもタレンツ・トーキョーさんが、もう一回チャンスをくださったんです。そして、作品を作り終え、皆さんにお見せすることができて、その上このような賞を頂けて、大変うれしく思っています。
この先はあまりそういう失敗はしないようにしたいです。ありがとうございました。

審査員特別賞は、グー・シャオガン監督の『春江水暖』。
代理で友人が賞状を受け取り、シャオガン監督からは時おり日本語を交えたビデオメッセージが届いた。

<グー・シャオガン ビデオメッセージ全文>
みなさん、こんにちは。私は『春江水暖』の監督のグー・シャオガンです。
あのう、すみません。スケジュールの都合で、会場で賞を受け取れなくてごめんなさい。審査員の皆さんが、この作品に賞を与えてくれると知ったときは、とても光栄でうれしく思いました。
まずは、出資会社に感謝を申し上げます。
この映画のエグゼクティブ・プロデューサーのリー・ジャーさんに感謝します。
プロデューサーのホアン・シューホンさん、そしてすべての制作チームに感謝します。
それから、私の家族に感謝します。
それと、この映画をサポートしてくれたすべての人に感謝します。
撮影スタッフの一人ひとりには、とびきりの感謝を伝えたいです。春夏秋冬の季節を一緒に歩んでくれて、どうもありがとう。私たちは力を合わせて、この映画を完成させました。みんながいなかったら、この映画も存在しなかったでしょう。だから、みんなに感謝します。
僭越ですが、私がスタッフと映画を代表して、東京フィルメックスの審査員の皆さま方に感謝を申し上げます。私たちの映画を激励し、認めてくれてありがとうございます。最後に、市山さんにも感謝します。
この映画を日本に連れてきてくれて、ありがとうございます。
ありがとうございます、はい

そして栄えある最優秀作品賞には、ペマツェテン監督の『気球』が輝いた。ペマツェテン監督は、これまで2度『オールド・ドッグ』(11)、『タルロ』(15)で本映画祭同賞を受賞。
主演のジンパが、ペマツェテン監督からのメッセージを代読した。

<ペマツェテン 受賞コメント全文>
こんばんは。東京フィルメックスに出品するたびに、このように賞を受賞することができるとは思ってもいませんでした。本当に、ご縁としか言いようがありません。映画祭に参加するたび、私はこの上ない感謝の気持ちを覚えております。
映画祭の組織委員会の皆さんには、私の最新作『気球』を日本に連れてきてくださり、そして熱心な日本の観客に届けてくださいましたこと、ありがたく思っております。
審査員の皆さん、この映画に大きな栄誉を与えてくださいましたこと、感謝しております。
最後に、皆さんに吉祥あれ。

最後に、トニー・レインズ審査委員長が講評を述べた。多様性に富んだラインナップに一つ共通点があるとすれば、本映画祭ディレクター・市山尚三の選択眼が特異なものだったと10作品を振り返る。多くの映画祭で審査員を務めるレインズだが、これほどまでにすべての作品が同じレベルに到達していることはまれだという。審査員団についても、多種多様な5人で「いいミックスだった」と述べた。
最優秀賞受賞作品は満場一致で決まったそうだ。「受賞暦がない人のほうがいいかもと考えましたが、『気球』のクオリティに強い説得力を感じ、“やはり……”となりました」

大きな拍手が鳴り響くなか、2019年、第20回東京フィルメックス授賞式は幕を閉じた。

 

続けて、受賞者記者会見がスクエアBにて開かれた。

カヴィッチ監督へ、「タレンツ・トーキョーで得たことは?」という質問が挙がる。カヴィッチ監督は、「参加者たちと直接顔を合わせなくても、連絡をとって作品の状況を話し合える関係が続いているのがすばらしい。チャンスをくださって、キャリアに大きく役立ちました」と答えた。また、「フィクション作品が上がったところ」と、次回作についても言及していた。

キャリアでフィクションとドキュメンタリーを1本ずつ手がけたことになる、広瀬監督。「今後の方向性は?」と聞かれ、「メインのフィールドとしては、フィクションをやっていきたいですドキュメンタリーには相当な忍耐力と時間が必要になる。本作では菊地信義さんとのすばらしい出会いがあったので追いかけられましたが、それだけの人にめぐり合える機会もそんなにありません」と答えた。

さらに、審査委員へ、「最優秀賞は全員一致だったそうだが、その他の賞の審査は難航したのか?」と質問が投げかけられた。

レインズ審査員長は、「審査員室の秘密は外に出してはいけないので、お話するのが難しい」と言いつつ、『春江水暖』は審査員のうち5人中4人がセカンド・チョイスに選んでいたと明かした。もう1人もディスカッションの末に、『春江水暖』を推したそう。
またレインズによれば、スペシャル・メンションには当初4本が候補に挙がったが、審査員同士で意見がぶつかったというより、「それぞれにお気に入りがあった」のだとか。「われわれは大人の会話をし、矜持を持って、リーズナブルな見解を生みました」とまとめた。

ジャファリは、審査はとても穏やかな話し合いだったという。「いろんな国の映画を見て、世界を一周したみたいです」とも。「でも共通するテーマは、やはり“神さま”でしょうか。こういう機会を頂くと、人間を知ることができますね」と、映画祭を通して考えたことを語った。

操上は、「価値観や文化的背景など、異なる出自の人たちが作った映画を、自分が審査するということは簡単ではない」と悩んだそう。「なるべく個人の好き嫌いは抑え、“映画としてどうか”を心がけて見て、こういう審査結果になりました」。そして、「あらためて、すばらしい作品をありがとうございました」と挨拶をした。

文・樺沢優希/写真・明田川志保、白畑留美