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国際シンポジウム『アジアからの「映画の未来へ」』

11月20日(日)、有楽町朝日ホール11階スクエアBにて、国際シンポジウム『アジアからの「映画の未来へ」』が開催された。
基調講演は、第17回東京フィルメックス特別招待作品『山<モンテ>』のアミール・ナデリ監督。パネルディスカッションはナデリ監督のほか、第17回東京フィルメックス審査委員長を務める映画評論家・映画祭プログラマーのトニー・レインズさん、釜山国際映画祭エグゼクティブ・プログラマーのキム・ジソクさん、市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターが登壇した。

まず、司会の林 加奈子東京フィルメックス・ディレクターが満員の客席に挨拶。アジアの監督たちが、アジア域内で、あるいはヨーロッパ諸国などと共同制作するということは、以前から行なわれている。例えばイスラエルは共同制作が特に活発で、その成果として作られた作品は国際的な評価を高めているという。林ディレクターは本シンポジウムについて「そのような作品を作り出すに当たっての提言を、アジア映画に詳しい方、またはその制作の現場にいらっしゃる方など、第一線の皆さんにお話いただく機会です」と説明した。

基調講演を行うナデリ監督はイラン出身。イタリアで制作した最新作『山<モンテ>』の他、『ベガス』(08)をアメリカ、『CUT』(11)を日本で完成させている。林ディレクターが「どの国であっても、彼でなければできない、という映画を作っている」と評する通り、自身の表現を追求してきたナデリ監督。その経験をもとに、若い世代の作り手たちへのメッセージを語った。

アジア映画の将来についての話を始めるにあたり、ナデリ監督は「アジアに限らないが、資金や条件の面で映画作りの環境は悪化している」と楽観的ではない。かつて日本ではスタジオシステムがあり、娯楽としての映画が作られるかたわら、作家性のある映画を作らせる余裕もあった。しかし現在では、新しい世代はチャンスをつかむことが難しくなっている、と感じているという。

アメリカではサンダンス映画祭によるインディペンデント映画に対する支援が行われていることを挙げ「こういった支援は重要」と語った。また、韓国では政府による資金援助が充実しており「韓国の映画界に対して私は完全に満足しているわけではありません。凡庸な作品もあります。しかし、それでも毎年何本かは素晴らしい韓国映画が現れている」と評価した。しかし、「日本については、優秀な人材が数多くいるにもかかわらず、私は少し心配しています」と話す。若い人が映画に向かわなくなっていることは世界的な傾向だが、日本ではそれが顕著だと感じるという。それでは、映画の作り手たちは何をすべきか。例えば大学やカフェといった公共の空間で上映会を開催したり、ウェブ上で映画についての執筆活動を行うなど、地道な活動によって観客を育て、集めることが重要だ、とナデリ監督は提案する。「こういった活動はフランスやイギリス、中国、日本でもかつて行なわれていたこと。映画に関わる人々が集まり、協力して新しい波を起こすのです」

国際共同制作について、ナデリ監督は自身の経験から、環境や文化の違いを困難と感じたという。
例として、日本で『ライク・サムワン・イン・ラブ』を制作した盟友アッバス・キアロスタミ監督の経験を紹介した。即興を旨とするキアロスタミ流の演出と、街頭での撮影にも事前の許可が必要な日本の環境とがなかなか折り合わず、監督はストレスを感じていたという。
地理的に近いアジアの国同士でも文化や政治状況がまったく異なり、そういった条件を克服して映画を作るには非常に時間がかかるようだ。「資金を調達し、十分な制作環境を整えることに奔走するあまり、ようやく撮影にこぎつけた時には10%くらいのエネルギーしか残っていない。本当に悲しいことです。それでは、ハリウッドのように恵まれた条件の下で100%のエネルギーを注いで作られた映画に敵うわけがありません」
インディペンデント映画が直面するこういった壁を乗り越えることは困難だが、それでもインディペンデントは守られなければならない、とナデリ監督は強調する。映画は世界を深く理解するための偉大な媒体であり、若い映画作家たちは困難を乗り越えて努力を続けて欲しい、と力を込めた。

「皆さんは、オリジナリティの強い映画を映画祭に応募しても断られるのではないか、と心配しているかもしれません。しかし、それこそが映画祭が求めているものです。自分がどのような人間であっても、それを取り繕わず表現してください。今日ここにいらっしゃる映画祭ディレクターの方々が求めているのは、オリジナリティです。皆さんが映画祭を必要としているのではなく、映画祭が皆さんを必要としているのです。流行を追ったり人の真似をするのではなく、自身の心に忠実であり続けてください。それは終わりのないフルマラソンのようなものですが、そうすれば映画を変えられるかもしれない」
ナデリ監督は、かつてキアロスタミ監督と、自分たちの映画について長い時間かけて語り合ったという。世界に出て行くという見通しはなかったというが、二人は自分の心に忠実に映画を作り、その後、イラン映画は国際的な評価を得ることになった。

最後にナデリ監督は、5年前に東京フィルメックスのグランプリを獲得した『ふゆの獣』を挙げた。自主映画として作られ、予算はわずか100万円だったことで話題を集めた作品だが、ナデリ監督は「映画全体に心がある、すごい映画」と高く評価する。決して恵まれない状況でも優れた作品を生み出すことはできる、と若い作り手たちに熱いエールが送られ、基調講演はおなじみの「カット」の言葉で締めくくられた。

 

続いて、登壇者によるパネルディスカッションが行われた。

キム・ジソク:
1996年に始まった釜山映画祭では、当初からアジア映画の新たな才能の発掘・育成を目的の一つとしており、以後21年間にわたる支援の実績があります。アジアの新人監督が対象のニュー・カレンツ部門は、その名の通り新しい波を作り出そうと設立されました。
また、アジアン・プロジェクト・マーケットは作り手と出資者を引き合わせ、プロジェクトをまとめるプラットフォームの役割を担っています。教育プログラムとしてはアジアン・フィルム・アカデミーがあり、これまでに約300人の卒業生を輩出し、世界で活躍する人材も数多い。
それに加え、アジアン・シネマ・ファンドという資金調達プログラムがあり、支援対象はシナリオ、ポストプロダクション、ドキュメンタリー制作という3つのカテゴリーに分かれています。

将来に向け、何をしたらよいのか?という話ですが、一つ目にはアジア映画の市場を拡大すること。アジアにおいて共通のマーケティング体制はなく、特にアートフィルムと呼ばれるものについては、配給されることは難しい。この体制を整えることです。
二つ目ですが、アジアには若い才能ある監督がたくさんいます。しかしプロデューサーが不足していることが、アジアの泣き所で、この部分を強化していくべきです。タレンツ・トーキョーでもプロデューサーの育成をしています。釜山では、ロケ撮影の支援を行う釜山フィルム・コミッションが、釜山アジアン・フィルム・スクールを新たに開設し、第21回釜山映画祭の期間中に説明会が開催されましたが、この学校でも、アジアの若いプロデューサーのためのコースが設けられています。先述のアジアン・フィルム・アカデミーでも同様のコースがあります。状況は変わりつつあります。
映画のショーケースを提供するだけではなく、作り手たちのネットワーク構築のチャンスを提供することが映画祭の重要な役割となってきているといえます。

トニー・レインズ:
ナデリ監督の話にあったとおり、独創的な活力に満ちた映画があれば、アジア映画であれなんであれ世界中から注目されるでしょう。インディペンデントの映画作家はいまや非常に増えており、映画祭や評論家は新しい才能を紹介したがっている。オリジナルな輝きを持った作品が注目される可能性は高い。しかし、難しいのはそれ以降です。キム・ジソクさんの言ったように、有能なプロデューサーが不足している。自国ばかりでなく海外の市場の仕組みや観客の好みについて理解し、成功に導く人材。ですから、グローバルな映画界で活躍できるプロデューサーの育成は重要です。

第二次世界大戦後、アートハウスシネマ(日本ではミニシアターや単館系と呼ばれることが多い)というシステムがありました。フランスを中心に発展し、アメリカでも普及しました。商業的なエンターテインメント映画よりも高い芸術性を持った映画がありうるということが認識された。野心的な映画を作っている映画作家と、芸術性の高い映画を観たいという観客を受け入れる体制が、50年間あったのです。ここ東京でも、1960年代にアートシアターギルド(ATG)がありました。ATGはいくつかの映画館を持ち、大島渚のようにスタジオシステムから逸脱した映画作家を受け入れ、支援しました。
これは過去の歴史です。最近では、アートシネマは死に絶えているところです。東京と同様、世界中のアートシネマは、なんとか観客を呼ぼうと商業的なメインストリームの映画を上映するようになっている。冒険的でクリエイティブな映画が、以前ほど観客の関心を集めなくなっている。

中国では、ジャ・ジャンクーが汾陽と北京でアートシネマを開設し、中国全土でのチェーン展開も視野にいれているが、これは例外的な動き。映画館で映画を観ようという人口は減っている。スマホやタブレットで観ることができるのですから。また、若い人々は他の人と一緒よりも一人で観る方を好むようです。古い劇場のシステムは、テレビと共存していました。かつてテレビ局には外国映画や先進的な映画に興味を持つようなバイヤーがいたものですが、テレビ局が映画を買わなくなってしまった。映画を観る方法は、過去のままではなく、まったく変わってしまうでしょう。
先のお二人がおっしゃったとおり、多くの才能がいて、映画へのビジョンを持っていることは確かです。問題は、それをどうやって観客に届けるかということ。もっとも重要なのは、プロデューサーなのです。いかにして事業として企画を進めるか、外国の観客にどのようにアプローチするのか、といったことをわかっている人が必要なのです。
映画館に未来がないのなら、何か別のものが取って代わらなくてはなりません。私自身はノスタルジーへの想いが強い人間でして、映画祭にしがみついていますし、映画雑誌に寄稿し、古いタイプの観客に向けて語っています。しかし同時に、システム自体が変わっていることも理解しています。マレーネ・ディートリッヒがかつてオーソン・ウェルズにこんな言葉を言っています。「将来は私のものではなく、若い監督のもの。観客に届ける新しいやり方を見つけるのはあなたよ」と。

アミール・ナデリ:
私はプロデュースの仕事もやっていますが、専門的なプロデューサーではありません。私の仕事は才能を発掘すること。若い人たちの才能、脚本のオリジナリティを見極め、支援します。お金や時間の無駄遣いを避けるために助言をすることはありますが、彼らの自己表現のやり方を指示することはありません。それは自分自身で行うことです。私個人としては、ジソクさんには申し訳ないが、プロデューサーに学校は必要ないのではないかと思います。現在は自分でさまざまな情報を集められますから。必要なのは予算やスケジュールを管理する能力です。

監督として映画を作るとき、私はいつもプロデューサーの意見に耳を傾けます。プロデューサーは映画作家にとって良き父親だったり、良き母親だったりするのです。

市山尚三:
ナデリ監督がおっしゃったように、日本のインディペンデント映画の製作費は15年ほど前と比べると非常に低予算化しています。DVD売上が減少したことが大きな要因といえますが。一方、商業映画については恵まれています。人気のある原作を押さえて、ターゲットを明確にして作るならお金を集めることは難しくない。一方で、オリジナルの企画は売れない、と断られることが多い。ですから、政府などからの助成が少しでもあればとても助かるんです。
それを実践しているのが釜山です。アジアン・シネマ・ファンドについて、少し補足したいと思います。まず企画の段階で、日本円で100万円ほどが、選ばれた企画に与えられる。私がプロデュースした『桜並木の満開の下に』でポストプロダクションへの支援を受けましたが、韓国のメジャー映画が使用するような一流のスタジオで行うことができました。この映画の予算は1000万円ほどで、この規模の作品で日本でポスプロを行った場合、ここまでのクオリティにはならなかったと思います。
これは日本にはないシステムです。日本の製作費の助成は、予算5000万以上でなければならない、という大きなハードルがあります。国際共同制作に対する助成もでき、それ自体は素晴らしいことだが、予算が一億円以上という条件があります。いま日本で劇場公開されている映画で、ある程度有名な俳優が出演しているようなものでも、5000万円以下で作られているものはたくさんあるのですが、そういった映画は助成に応募すらできないことになります。企画開発に対する助成もない。脚本がないと助成を検討してもらえないが、企画への助成ならば、脚本執筆中のお金も支援できることになる。
「助成を受けると、商業的なことを考えない映画ができてしまう」という意見もあるかもしれないが、そもそもオリジナル企画がはねつけられている現状を考えるとそんなことは言っていられないんです。
ナデリ監督が言ったように、才能のある若い監督がたくさんいる。そういった監督たちの努力によって成り立っている映画の現状に、もう少しの支援があると全然違います。
そのあたりを突破するものとしての、国際共同制作の可能性がありますが、簡単ではありません。ヨーロッパ各国の助成は、その国で使わないといけないことが多い。フランスのシネマ・デュ・モンドは5〜6年前から日本からも応募可能になったもので、多くて2000万くらいですが、半分は現地での撮影やフランス人スタッフ、キャストに支払われなければならないルールがあります。
文化庁の国際共同制作の助成金は、予算1億円以上という制限があります。
インディペンデントの監督に課せられているそういった制約を乗り越えていくためには、プロデューサーの存在が重要になります。監督本人がプロデューサー意識を持っている場合もありますが、助成金の活用や海外のパートナー探しを判断できるプロデューサーは必要です。
アジアンフィルムスクールを見学しましたが、韓国は日本よりもその点で一歩進んでおり、素晴らしいと思います。

林加奈子:
タレンツ・トーキョーも釜山の背中を追いかけて進んでいます。
企画開発への助成も、少額だが始まっている。最初の太鼓判を押してあげるという役割を果たし、そこからチャンスを広げていきたい。

レインズ:
批評家へのサポートをしなければなりません。インディペンデント映画へ観客の関心を集めるためには、批評家の存在が不可欠。メインストリームの映画ならば、プロモーションにお金をかけることは容易です。日本はこの点で大いに遅れています。国際的な批評家というものがいないのです。インディペンデント映画を評価すべき批評家が、新しい才能を探すということを行っていない。素晴らしいインディペンデント映画がたくさんあるのに、批評家は何も書かない。私はこの夏に日本でさまざまな映画を観て、輝きのある、特別な作品を見つけました。小松孝監督の『食卓』(PFFアワード2016グランプリ、バンクーバー国際映画祭正式出品)という40分の短編です。観た人は少ないですね。批評家はこれを取り上げたでしょうか?こういった作品を批評家がもっと取り上げ、注目を集める、その努力が必要とされているのです。

観客との質疑応答は次の通り。

Q:キムさんに。国内から見て、韓国映画の質の高さが評価されている要因は、どこにあると思われますか。

キム:
言うまでもなく才能ある監督たちがいて、政府による手厚い支援体制がありました。また、韓国には多くの映画学校があります。60以上はあるでしょうか?日本に比べて非常に多いと思います。しかし、政治情勢の変化から支援が後退しています。制作の支援ばかりではなく、優れたアートハウスシネマへの支援もいまはほぼなくなってしまいました。依然として人材は豊かですが、私は心配しています。

林:
21年間、釜山映画祭がどれほど韓国映画を支えてきたかという功績は強調したい。コリアン・パノラマという韓国映画のみの部門があり、海外はもちろん地元の観客に紹介するという活動を継続的に行っている。

Q:市山さんに。日本映画がより高いレベルを目指していくためには、プロデューサーにはどのようなキャリアが望ましいでしょうか。大きな映画会社に就職してプロデューサーになるとなれば、組織のしがらみもあるでしょう。どうすれば日本映画の流れを変えていくことができるでしょうか。

市山:
答えるのが大変難しい質問です。インディペンデントで活動することは自由だが、人脈がないと困難が伴う。ぜひ東宝とか松竹に入って、その中で全然違うものを作る努力をするとか…僕自身、かつて松竹にいて、とても松竹が作るとは思えないような映画を何本もプロデュースしてたんですけど…メジャー会社の中で冒険をすることも面白いんじゃないかと思いますね。がんばっていただきたいです(笑)

Q:レインズさんに。アジアの中で、注目している国や作品を教えてください。

レインズ:
私は30年以上アジア映画を欧米に紹介する仕事をしています。その間、新しい波がどんどん出てきました。中国の第五世代と第六世代、日本のスタジオシステムが崩壊した1970年代に現れた、長崎俊一、山川直人、利重剛、矢崎仁司、石井聰亙(岳龍)といった世代。私が観てきたのはインディペンデント映画でした。こういう人々は本当に熱意があり、苦労を乗り越えても自分の作品を信じて作ろうとしていた。その覚悟がありました。それが、私が最も尊敬する仕事です。作家であれプログラマーであれ、私が応援したくなるのはこういった人々です。

Q:日本では東京フィルメックスをはじめ、山形国際映画祭、大阪アジアン映画祭、東京国際映画祭などで、アジア映画を年間100本は観ることができます。観客にとっては喜ばしいですが、他の国と比べてどうでしょうか。

キム:
釜山映画祭では約300の上映作品のうち、110本ほどがアジア映画です。単純に比較はできません。しかし数の比較よりも重要なことは、映画祭がどうやって優れた映画を発見し、育てていくかということです。私は第一回東京フィルメックスから17年間、毎年観に来ています。若く、質の高いインディペンデント映画が観られるからにほかなりません。

ナデリ:
映画祭の中には、観客を集めるために商業的な映画を取り上げることが多くなっているものもあります。もっと誠実な映画祭もありますが。

レインズ:
1970年代に書かれたイギリスの批評家デヴィッド・ロビンソンの”World cinema”は500ページの大著ですが、そのうちアジア映画については、日本やインドのごく限られた巨匠の作品を取り上げたにすぎませんでした。ロビンソンの批判をしているわけではありません、彼はアジア映画を観る機会がなく、その歴史を知らなかったのですから。当時の欧米諸国の状況はそんなものでした。1980年代から、私はアジア諸国を回って映画作家と会い、ロンドンやエディンバラの映画祭でこの地域の映画を紹介してきました。しかし悲しいことに、アジア、とくに東アジアの中で互いに交流することが難しいという状況があります。フランスやイギリスで配給される可能性の方が、アジアの近隣諸国で配給されるよりも高いのです。
映画祭というのはガラパコス現象のようなものです。映画祭では多くのインディーズ、アートハウスの映画を紹介することができます。しかし、映画祭が終わってから、どれだけ一般に公開されるか、という問題がある。これは我々の義務であり、なんとしても手を打たなければならないと思います。

林:
私たちが見続けることがとにかく映画の未来に続く、応援していく、それしかないとしかいいようがない。映画祭2日目で、上映の前に開いたシンポジウムにこんなにたくさんのみなさんが来てくださり、2時間おつきあいいただいてありがとうございました。
ゲストにもお礼を。貴重なコメントをいただきありがとうございます。どうぞみなさん拍手を。

(取材・文:花房佳代、撮影:伊藤初音、村田麻由美)


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