【レポート】授賞式&受賞者記者会見

11月30日(土)、東京フィルメックス授賞式が有楽町朝日ホールにて行われ、たくさんの人が押しかけた。

5人の審査委員から、映画批評家のトニー・レインズ、俳優のべーナズ・ジャファリ、写真家の操上和美が式に出席。俳優のサマル・イェスリャーモワ、深田晃司監督はスケジュールの都合で欠席となった。コンペティションで上映された10作品の中から、学生審査員賞、スペシャル・メンション、審査員特別賞、最優秀作品賞受賞作品が発表された。

その前に、クロージング作品以降に上映される作品を除いた全プログラムから、観客賞に中川龍太郎監督の『静かな雨』が選ばれた。
代理で藤村プロデューサーが賞状を受け取り、中川監督からはビデオメッセージが届いた。

<中川龍太郎監督 ビデオメッセージ全文>
『静かな雨』監督の中川龍太郎です。学生時代から友人としょっちゅう通っていた映画祭で、観客賞というすばらしい賞を頂けて本当にうれしく思っています。何度もなんども行っていた映画祭ですので、そのときに一緒に見ていたお客さまからのご支持を少しでもいただけたのだとしたら、こんなに光栄なことはございません。
この映画は2月7日に、劇場公開されます。そのときはまた見ていただけたらうれしいです。今回はありがとうございました。

学生審査員賞は、ニアン・カヴィッチ監督の『昨夜、あなたが微笑んでいた』に贈られた。カヴィッチ監督本人が登壇し、賞状を受け取った。

<ニアン・カヴィッチ監督 受賞コメント全文>
学生審査員の皆さん、ありがとうございました。そして、2016年に自分を(タレンツに)選んでくださったタレンツ・トーキョーにも、あらためてお礼を申し上げたいです。今度は自分の作品を持って、東京フィルメックスにこうやって戻ってこられたことを大変光栄に思っています。本当にありがとうございました。

スペシャル・メンションは二つの作品に授与された。

一つめの作品は、広瀬奈々子監督の『つつんで、ひらいて』。昨年も『夜明け』(18)で同賞を受賞した広瀬監督本人が、賞状を受け取った。

<広瀬奈々子監督 受賞コメント全文>
昨年、スペシャル・メンションを頂いたばかりだったので、今年もこの場に立てるとはまったく思っていませんでした。市山さんにも、最初に「今年は賞とかは期待しないでください」と言われていたので、びっくりしています(笑)
お聞かせいただいた授賞理由の批評が本当にうれしくて、感動しております。装丁というジャンルの表現にこうして光をあててもらえるというのが、何よりうれしいです。本が売れない時代に紙の本について考え直すのは意義があると感じているので、一人でも多くの人に届いてくれたらいいなと思います。本日はありがとうございました。

二つめの作品は、ニアン・カヴィッチ監督の『昨夜、あなたが微笑んでいた』。学生審査員賞とのダブル受賞という結果になったカヴィッチ監督が、再び舞台上にあらわれた。

<ニアン・カヴィッチ 受賞コメント>
また戻ってきました(笑) まずは審査員の方々にお礼を申し上げたいです。本当に光栄に感じています。
ちょっと思い出したんですが、タレンツ・トーキョーに参加したときに、フライトに乗り損ねるというヘマをやらかしてしまいました。けれどもタレンツ・トーキョーさんが、もう一回チャンスをくださったんです。そして、作品を作り終え、皆さんにお見せすることができて、その上このような賞を頂けて、大変うれしく思っています。
この先はあまりそういう失敗はしないようにしたいです。ありがとうございました。

審査員特別賞は、グー・シャオガン監督の『春江水暖』。
代理で友人が賞状を受け取り、シャオガン監督からは時おり日本語を交えたビデオメッセージが届いた。

<グー・シャオガン ビデオメッセージ全文>
みなさん、こんにちは。私は『春江水暖』の監督のグー・シャオガンです。
あのう、すみません。スケジュールの都合で、会場で賞を受け取れなくてごめんなさい。審査員の皆さんが、この作品に賞を与えてくれると知ったときは、とても光栄でうれしく思いました。
まずは、出資会社に感謝を申し上げます。
この映画のエグゼクティブ・プロデューサーのリー・ジャーさんに感謝します。
プロデューサーのホアン・シューホンさん、そしてすべての制作チームに感謝します。
それから、私の家族に感謝します。
それと、この映画をサポートしてくれたすべての人に感謝します。
撮影スタッフの一人ひとりには、とびきりの感謝を伝えたいです。春夏秋冬の季節を一緒に歩んでくれて、どうもありがとう。私たちは力を合わせて、この映画を完成させました。みんながいなかったら、この映画も存在しなかったでしょう。だから、みんなに感謝します。
僭越ですが、私がスタッフと映画を代表して、東京フィルメックスの審査員の皆さま方に感謝を申し上げます。私たちの映画を激励し、認めてくれてありがとうございます。最後に、市山さんにも感謝します。
この映画を日本に連れてきてくれて、ありがとうございます。
ありがとうございます、はい

そして栄えある最優秀作品賞には、ペマツェテン監督の『気球』が輝いた。ペマツェテン監督は、これまで2度『オールド・ドッグ』(11)、『タルロ』(15)で本映画祭同賞を受賞。
主演のジンパが、ペマツェテン監督からのメッセージを代読した。

<ペマツェテン 受賞コメント全文>
こんばんは。東京フィルメックスに出品するたびに、このように賞を受賞することができるとは思ってもいませんでした。本当に、ご縁としか言いようがありません。映画祭に参加するたび、私はこの上ない感謝の気持ちを覚えております。
映画祭の組織委員会の皆さんには、私の最新作『気球』を日本に連れてきてくださり、そして熱心な日本の観客に届けてくださいましたこと、ありがたく思っております。
審査員の皆さん、この映画に大きな栄誉を与えてくださいましたこと、感謝しております。
最後に、皆さんに吉祥あれ。

最後に、トニー・レインズ審査委員長が講評を述べた。多様性に富んだラインナップに一つ共通点があるとすれば、本映画祭ディレクター・市山尚三の選択眼が特異なものだったと10作品を振り返る。多くの映画祭で審査員を務めるレインズだが、これほどまでにすべての作品が同じレベルに到達していることはまれだという。審査員団についても、多種多様な5人で「いいミックスだった」と述べた。
最優秀賞受賞作品は満場一致で決まったそうだ。「受賞暦がない人のほうがいいかもと考えましたが、『気球』のクオリティに強い説得力を感じ、“やはり……”となりました」

大きな拍手が鳴り響くなか、2019年、第20回東京フィルメックス授賞式は幕を閉じた。

 

続けて、受賞者記者会見がスクエアBにて開かれた。

カヴィッチ監督へ、「タレンツ・トーキョーで得たことは?」という質問が挙がる。カヴィッチ監督は、「参加者たちと直接顔を合わせなくても、連絡をとって作品の状況を話し合える関係が続いているのがすばらしい。チャンスをくださって、キャリアに大きく役立ちました」と答えた。また、「フィクション作品が上がったところ」と、次回作についても言及していた。

キャリアでフィクションとドキュメンタリーを1本ずつ手がけたことになる、広瀬監督。「今後の方向性は?」と聞かれ、「メインのフィールドとしては、フィクションをやっていきたいですドキュメンタリーには相当な忍耐力と時間が必要になる。本作では菊地信義さんとのすばらしい出会いがあったので追いかけられましたが、それだけの人にめぐり合える機会もそんなにありません」と答えた。

さらに、審査委員へ、「最優秀賞は全員一致だったそうだが、その他の賞の審査は難航したのか?」と質問が投げかけられた。

レインズ審査員長は、「審査員室の秘密は外に出してはいけないので、お話するのが難しい」と言いつつ、『春江水暖』は審査員のうち5人中4人がセカンド・チョイスに選んでいたと明かした。もう1人もディスカッションの末に、『春江水暖』を推したそう。
またレインズによれば、スペシャル・メンションには当初4本が候補に挙がったが、審査員同士で意見がぶつかったというより、「それぞれにお気に入りがあった」のだとか。「われわれは大人の会話をし、矜持を持って、リーズナブルな見解を生みました」とまとめた。

ジャファリは、審査はとても穏やかな話し合いだったという。「いろんな国の映画を見て、世界を一周したみたいです」とも。「でも共通するテーマは、やはり“神さま”でしょうか。こういう機会を頂くと、人間を知ることができますね」と、映画祭を通して考えたことを語った。

操上は、「価値観や文化的背景など、異なる出自の人たちが作った映画を、自分が審査するということは簡単ではない」と悩んだそう。「なるべく個人の好き嫌いは抑え、“映画としてどうか”を心がけて見て、こういう審査結果になりました」。そして、「あらためて、すばらしい作品をありがとうございました」と挨拶をした。

文・樺沢優希/写真・明田川志保、白畑留美

【レポート】『この世の外へ クラブ進駐軍』阪本順治監督・オダギリジョーQ&A

11月30日(土)、有楽町朝日ホールにて特集上映 阪本順治監督特集『この世の外へ クラブ進駐軍』が上映された。敗戦の名残りが色濃い時代に、米軍基地でジャズを演奏する5人の青年の物語。上映後のQ&Aには、阪本順治監督と俳優のオダギリジョーさんが登壇した。

初めに、市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターから、制作の経緯をたずねた。当時、かつて米軍キャンプ内で演奏していたミュージシャンが集うコンサートが毎年8月15日に開かれており、阪本監督がこれを見たことが制作のきっかけになった。『この世の外へ』のエンドロールにこのコンサートの模様が使われている。ミュージシャンと同世代の観客の姿に、初めてコークを飲んだのも、初めてジーンズを履いたのも、この人たちだったとの再発見が阪本監督にはあった。
戦争を知らない監督の世代にとって戦後を映画で描くことは度胸がいるが、音楽を介すればできるのではないかと思ったという。「敗戦処理をしているときが一番平和だった」という喜劇役者藤山寛美の言葉が阪本監督には印象に残っており、死の恐怖から解放された状況で前向きだった人たちを念頭に置いて今作は作られた。

一方、オダギリさんが15年前に公開された今作を見たのはかなり久しぶりで、記憶が曖昧な分、他人が演じた作品を初めて見たるようだった。唯一、ジョーさん(松岡俊介演じるベーシスト)に「ジャズが好きです」と言うシーンは、直前に「ジャズが好きです」と言うだろうなと思ったと話した。
オダギリさんの起用は、ユーモラスで、でも長崎で暗いものを背負っているというキャラクターに合うと思ったためと、阪本監督は語った。演奏できない人に練習してもらうことを決めていたので、オダギリさんにドラム経験があると後から知って悔しかったそう。オダギリさんによると、バンドマンを演じた俳優たちはすごい稽古をして、普通に演奏できるレベルになっていた。オダギリさんにとっては、初めの頃の素人としての演技の方がむしろ難しかった。

今作で基地司令官ジムを演じたピーター・ムランは、ケン・ローチ監督『マイ・ネーム・イズ・ジョー』でカンヌ国際映画祭の主演男優賞、監督・脚本を務めた『マグダレンの祈り』でベネチア映画祭の金獅子賞を獲得。撮影当時、オダギリさんはバンドメンバーとしてステージにいて、客席のムランさんとほとんど話す機会がなかった。
ムランさんの起用はハリウッドの俳優の出演交渉が難しかったことがあった。『ぼくんち』をベルリン国際映画祭に出品してベルリンにいた阪本監督のもとに連絡があり、スコットランドのグラスゴーで会ったムランさんは出演を承諾した。ジャズサックス奏者であり日本兵に恨みをもつ米兵役だったシェー・ウィガムの出演も、彼と共演できることが理由だった。

客席からの質問は、今作以降もタッグを組んでいる二人がもつお互いの印象について。阪本監督は、キューバで少人数で撮った『エルネスト もう一人のゲバラ』での親密なエピソードを挙げ、オダギリさんは一番大切な俳優だと語った。「困難な仕事でもやり切ってくれる」と信頼する。
役者と監督のいずれの視点から見ても、オダギリさんにとっての阪本監督は自分に厳しい人だという。「阪本監督のスタイルから多くを吸収してしまった」と語り、阪本監督のストイックさを思うと、監督を務めるときの自分は甘いと怒られそうだとした。3作品への参加で教えられたのは、映画に誠意をもって真面目に向き合うこと。会うたびにそれを思い出させられる怖さがあると語った。
横で聞いていた阪本監督は「呑んだら、「順ちゃん、まあ呑んでよ」って言いますからね」と、会場の笑いを誘った。

続く質問で、自身の監督作品への起用を問われると、阪本監督は『エルネスト』以上に困難な役の可能性と、「どこかの国に行くんじゃないかな」と語った。オダギリさんの作品には俳優でも助監督でも参加しないと断言。言われたオダギリさんは困り顔。『ある船頭の話』の撮影中に訪れた阪本監督の滞在時間が30分くらいとのエピソードを披露し、阪本監督も気を使うだろうから、どんな立場でも使えないとした。

最後に、阪本監督は『この世の外へ』に参加した米兵に関する思い出を教えてくれた。今作では米兵がボランティアで出演しているが、前年に始まったイラク戦争への派兵を前に参加した兵士もいた。阪本監督が贈ったビリケンのキーホルダーと一緒に写った写真を、彼らはイラクから送ってくれたそうだ。阪本監督にとっても、米兵たちがそういう現実を背負っていることで、脚本執筆時と違う意識が生まれた。

阪本監督の今後の予定は未発表だが、1本が公開予定、1本を製作中。オダギリさんは『ある船頭の話』が引き続き公開中。未見の方はぜひ劇場でご覧ください。

(文・山口あんな/写真・明田川志保、白畑留美)

【レポート】『KT』阪本順治監督Q&A

11月30日(土)、阪本順治監督特集上映として、『KT』(02)が有楽町朝日ホールにて上映された。日韓合作で1973年の金大中事件を描いたサスペンスで、第52回ベルリン国際映画際コンペティション部門に出品された。

上映後に阪本監督がQ&Aに登壇し、まずは本映画祭ディレクター・市山尚三が、「どのように本作の企画がスタートしたのか」と質問を投げかけた。
「『ビリケン』(96)を一緒に作ったシネカノンのリ・ボンウ(李鳳宇)さんと、また何かやりましょうとなったときに、2002年FIFA日韓ワールドカップが開催されていました。そこで、日本と韓国の間であったことを認識せず、特に日本が韓国側とシェイクハンドするのはいかがなものかという話がありました」と阪本監督は振り返った。
「その頃の韓国はキム・デジュン(金大中)政権下。いまなら事件の話をストレートに映画化できるのではと李さんが韓国サイドに持ちかけ、ぜひやりましょうとなりました」。

 

劇中に「日帝36年の恨(ハン)」というせりふがあるが、これは脚本を担当した荒井晴彦が「どうしても歴史のそこから始めなきゃいけない」と必要性を感じて入れたせりふだそう。だが一方で韓国公開の際、現地のジャーナリストからは「日本人が韓国人の苦しみをわかったようなふりをしてほしくない」という厳しい意見もあった。
阪本監督は、さまざまな反応も「覚悟の上で作りました」と当時の決意のほどを口にした。

本作は阪本監督にとって初のポリティカルな映画。実際の事件を題材にしたため、恐怖を感じるできごともあったという。「製作準備中にマンションを張られました。告発ではなく、キム・デジュン氏を守る側と拉致計画を実行する側の人間模様を描くのが目的でしたが、僕だけじゃなく皆に緊迫感がありましたね」と回顧した。
当初、阪本監督はキム・デジュン氏を守る側から本作を撮ろうとしたが、結局は彼を拉致する側を物語の中心に据えた。そのほうが観客に伝わるものが多いと考えたそう。「キム氏を殺そうとする側も、国家を背負い、自分と家族の命をかけて計画を実行せざるをえないという背景を、当事者たちに与えたかったんです」。

続いて、観客からは「本作はどれくらい事実に基づいているのか」という質問が挙がった。いくら日韓両方の資料を読んでも不明点は残る。事件の関係者はほぼ行方不明だ。そこで、仮説を立てたという阪本監督。キム・チャンウン(金東雲)がホテルグランドパレスの湯のみに指紋を残した理由を「のちに自身が殺されないための保険」としたのは、もっとも大胆に立てた仮説の一つだそう。
なんと金大中氏本人は、映画を見て「ほとんどこのとおりでしょう」とコメントしたという。
また、佐藤浩市が演じた主人公の富田満州男役にはモデルがおり、彼はいまも興信所で働いていると阪本監督は付け加えた。

物語の終盤、「日本も韓国もアメリカの手の上で踊るイエローモンキーだ」という富田のせりふがある。阪本監督は、「日韓のみの問題として終始してはいけないと思った。本作を見て、いまの日本と韓国の関係、そこにまつわるアメリカの存在に少しでもリンクしていただければありがたいですね」と最後に語って舞台を後にした。

(文・樺沢優希 /写真・白畑留美、明田川志保)

【レポート】『ヴィタリナ(仮題)』 ペドロ・コスタ監督Q&A

11月28日、有楽町朝日ホールで特別招待作品『ヴィタリナ(仮題)』が上映され、上映後のQ&Aにペドロ・コスタ監督が登壇した。本作は、ロカルノ国際映画祭で金豹賞と女優賞を受賞。夫を亡くした主人公ヴィタリナの哀しみを軸に、リスボンの移民労働者の生活が描かれ、陰影の深い映像美が高い評価を得ている。Q&Aでは熱心な観客から質問が相次いだ。

まず、劇中の圧倒的なヴィタリナの存在感を踏まえて、演技面で、俳優と監督との間でどのようなアプローチがあったかという質問があがった。コスタ監督は、ヴィタリナを初めとする出演者全員がプロの俳優ではなかったものの、彼らとの信頼と友情の上に成立した作品であることを強調した。「演技者全員が自分のセリフを自分で書いているため、彼らは俳優であると同時に脚本家を兼ねていました。自分の役割は監督というより、調整役のような存在」と振り返りながら、「私たちがやろうとしたことは、映画において長い間失われてきたやり方。かつては、プロの俳優ではない一般人を起用した作品が多かったけれども、今ではドキュメンタリーに登場するぐらい。一般人を起用して、より深く題材を探ることは少なくなりましたが、このやり方で得るものは大きいと思います」と持論を展開した。

また、本作ではスタンダードサイズが採用されているが、このサイズはコスタ監督の好きなフォーマットだという。「私の映画を培ってきたサイズで、人間をとらえるのに最も適したサイズだと思っています。閉じられた空間で人々がどうリアクションするかを見たいという興味もありました」と画角へのこだわりを語ってくれた。

続いて、ラストシーンの撮影地をめぐる解釈について問われると、「好きに解釈していいですよ」と返したコスタ監督。ラストシーンに至るまでの思いを次のように説明した。「撮影中、私はヴィタリナにずっと寄り添っているという思いでいました。怒りと絶望の中にいた彼女を支え、彼女と共にこの作品を組み立ててきました。しかし、彼女を閉じられた空間に閉じ込めたままにしておくのはフェアではない、彼女を解放したいと考えました。そこで、資金を調達して彼女の故郷カーボ・ヴェルデへ出向き、そこで撮影した3つのシーンがラストになります。」

前の質問とは対照的に、オープニングシーンについても質問が及んだ。コスタ監督は、傷ついた老兵士たちが何らかの儀式から家に戻ってくるイメージを持ちながら、ヴィタリナを迎える準備をするというシーンからストーリーを始めたいと考えていたこと、そして、古代ギリシャやローマの雰囲気を醸し出そうとしていたことも明かしてくれた。

会場では数多くの質問の手が挙がり、Q&Aの時間切れが惜しまれたが、言葉を選びながら質問に丁寧に答えてくれたコスタ監督には盛大な拍手が贈られた。

本作は、2020年夏に東京・ユーロスペースにて公開予定。

 

(文 海野由子、写真・明田川志保、白畑留美)

【レポート】『昨夜、あなたが微笑んでいた』ニアン・カヴィッチ監督Q&A

11月28日(木)、有楽町朝日ホールでコンペティション作品『昨夜、あなたが微笑んでいた』が上映された。本作は、カンボジアの首都プノンペンにある集合住宅「ホワイト・ビルディング」が、1963年の建造から半世紀を経た2017年に取り壊されていく様子と、そこに暮らす人々の最後の日々を追ったドキュメンタリーである。上映後には、ニアン・カヴィッチ監督と編集を担当したフェリックス・レームさんがQ&Aに登壇。客席からの質問に答える形で、制作の舞台裏を語ってくれた。

 

 

壇上に姿を現したカヴィッチ監督は、まず本作誕生の経緯を明かしてくれた。元々はドキュメンタリーを製作するつもりではなく、2016年に自身が生まれ育ったホワイト・ビルディングを題材にした劇映画を企画していた。ところがその後、政府が取り壊す計画を発表。そこで「人々が荷造りをして退去していき、建物が取り壊されるまで、すべての瞬間を記録してみようと考えました」。

これと並行して、予定していた劇映画の製作も進めるが、そちらは準備に時間を要した。そのため、フラストレーションがたまったこともあり、プロデューサーに「撮影した映像を何かに活用できないか」と相談。また、東京フィルメックスの関連事業「タレンツ・トーキョー」などのワークショップに参加して、撮影した映像を披露したところ、「ドキュメンタリーにしないのか」と聞かれることもあったという。

こういったことが本作の誕生に結びついたことから、カヴィッチ監督は「劇映画の製作に時間がかかりすぎることが、ドキュメンタリー製作の後押しになったのかも」と振り返った。また、予定していた劇映画の方も無事に撮影が終わり、これからレームさんと一緒に編集作業に入る予定だという。

 

続いて、話題は撮影した映像を1本の映画にまとめる編集作業に移る。当初は、カヴィッチ監督が自分で撮影した50時間ほどの映像を元に、自ら編集に着手したものの、「全て同じように見え、違いが見えなくなった」。そこでプロデューサーに相談したところ、「カンボジア人以外の人に編集をお願いしてみたら」とアドバイスを受けたことで、レームさんに編集を依頼することになったという。

この言葉を受けてレームさんは、カヴィッチ監督から依頼を受けた時のことをまず振り返ってくれた。

「最初は、いくつかのシーンを編集してみてくれないかと言われましたが、それでは意味がないと思い、一緒に映像を見て、話し合おうと提案しました」。

カヴィッチ監督によれば、撮影時は荷造りをして退去していく人々や、カメラの前で話をする人々の姿を記録することだけを考えていたため、ストーリーは特に決めていなかったとのこと。だが、映像を見ながらレームさんと話し合う中で、「記録の映画にする」という方針が決定したのだという。

 

映像を見たときの印象を「フレームの取り方や長回しの多用が印象的で、静けさや哀愁のようなものを感じました」と振り返ったレームさん。そこで、最初の編集では、監督のこだわりを尊重し、長回しの映像を多く取り入れてみた。ところが、それを見た人から、「建物(ホワイト・ビルディング)がなくなる理由がわからない」などの指摘を受けたため、監督のこだわりと観客に物語を伝えるバランスを意識して、さらに編集を進めたとのこと。

このほか、自身のこれまでの映画制作のキャリアやカンボジアにおける歴史的建造物保存の現状など、様々な質問に丁寧に応じてくれたカヴィッチ監督。「影響を受けた映画監督は?」との質問には、「気に入れば、なんでも見ます」と答えながらも、アピチャッポン・ウィーラセタクン、ホウ・シャオシェン、小津安二郎、アッバス・キアロスタミといった名前を挙げ、アジアの作家に強く影響を受けている様子が伺えた。

 

(文・井上健一、写真・白畑留美)

【レポート】トーク「審査員サマル・イェスリャーモワさんに聞く」

第20回東京フィルメックスの特別企画とて、トークイベント「昨年度最優秀作品『アイカ』主演女優、サマル・イェスリャーモワに聞く。」が行われた。

 

サマル・イェスリャーモワさんは、第19回東京フィルメックス最優秀作品『アイカ』の主演女優であり、昨年のカンヌ映画祭で主演女優賞を受賞した。そして、今年第20回フィルメックスには審査員として来日。

『アイカ』は、キルギス人であるアイカが大雪の舞うモスクワで過酷な不法移民としての生活が厳しく描かれた、セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督作品である。ドヴォルツェヴォイ監督とは、『アイカ』の前作でカンヌ映画祭「ある視点」賞を受賞、東京国際映画祭でもグランプリを受賞した『トルパン』でもタッグを組み、ドヴォルツェヴォイ監督10年ぶりとなった新作『アイカ』でもサマルさんが主演のアイカ役を務めた。

 

サマルさんは、「こんにちは(日本語)。日本に来れてとても嬉しいです。以前も『トルパン』が東京国際映画祭に出展した際に一度来日させていただきましたが、今回市山さんにお招きいただき、第20回東京フィルメックスの審査員として招待していただいたことをとても光栄に思っています」と挨拶された。

『トルパン』からサマルさんと日本との縁が続いており、2020年に劇場公開が決まった新作『オルジャスの白い馬』は、カザフスタンと日本の合作映画であり、森山未來とのダブル主演が話題となっている。

市山ディレクターは、第19回東京フィルメックスに来日されたドヴォルツェヴォイ監督とお話した時に『アイカ』が数年に渡って撮影されたと聞いて驚いたとし「実際どれくらいの期間にどのように撮影されたのか」を問うと、イェスリャーモワさんは「『アイカ』は6年という歳月がかけられています。しかし、映画の中での時間軸が出産直後の女性のとても短い期間となっているので、撮影の際に毎回その状態に戻らなければならなかった」と答えた。

実際、撮影の際にサマルさんは出産後の女性の身体を演じるために錘をつけて雪の中を走ったり、わざと疲れるように運動してから撮影に挑んだ。「疲れ過ぎても演技に支障が出てしまうので、そのバランスを取るのが難しかった」と語った。

長期間の撮影になった理由としてドヴォルツェヴォイ監督の映画の中での天候に対するこだわりがあったことも語り、毎年冬の大雪の日を狙って撮影されていたことを説明した。

また、もう一つの理由として、『アイカ』の時代設定が1990年代であり、旧ソ連が崩壊したロシアに周辺から逃げてきた不法滞在者を描いた作品であることにもこだわった。ドヴォルツェヴォイ監督は撮影の中で出てくるサマルさん以外の不法滞在者役を本当の不法滞在者に依頼していたという。

「彼らは本当の不法滞在者であったため、撮影中に警察に捕まってしまったり、仕事がなくなり国へ帰ってしまったりすることがありました。そうした理由からカットせざるを得なくなったシーンを役者を変えてもう一度取り直すこともあったのです」とサマルさんは明かした。

こうした過酷な撮影があったからこそ、臨場感溢れる作品が生まれたのだと市山ディレクターは述べた。

観客からは絶賛のコメントと共に、「ラストシーンでアイカが赤ちゃんをどうするかといった究極の選択を迫られるような難しいシーンが沢山ある中で女優として演じたサマルさんはどのような思いで演じられていたか」と問われると、「アイカはたしかに望んで母親となったわけではなかったが、ラストシーンによってアイカと赤ちゃんの絆はまた結ばれることになったというのが監督の考えでした。多くの恵まれない女性たちが不幸の中、子を捨てなければいけないという現実がある中で、それでも人間の心を忘れないということが大切なのだということをアイカを演じながら学びました」と語った。

2020年上映される新作『アルジャスの白い馬』は、『トルパン』でドヴォルツェヴォイ監督の助監督を務めていたエルラン・ヌルムハンベトフが監督を務めている。

市山ディレクターから主演に選ばれた時のことを聞かれるとサマルさんは、「エルランさんからは『アイカ』の撮影中の時から『オルジャスの白い馬』の主演はサマルさん以外いないから出て欲しいと言われていました。そして、去年のカンヌ国際映画祭で実際にお話しし出演を決めました」と当時のことを語った。また、「『アイカ』とは異なり、『オルジャスの白い馬』はプロフェッショナルな俳優たちと共演しました。中でも全編をカザフ語で演じた森山未來さんとの演技には驚き、感動しました」と語った。

 

限られた時間の中、濃厚なトークイベントとなった等イベントは、会場に訪れた人々に惜しまれながらも大きな拍手で幕を閉じた。

 

『オルジャスの白い馬』は、韓国の第24回釜山国際映画祭オープニング作品としても上映された。

日本では2020年1月18日(土)より、新宿シネマカリテほか全国ロードショーが決定。

(文・柴垣萌子、写真・明田川志保)

【レポート】「水の影」サナル・クマール・シャシダラン監督Q&A

11月27日(水)、コンペティション部門の『水の影』が、有楽町ホールにて上映された。

『水の影』は、インドのサナル・クマール・シャシダランによる監督第4作にあたる。女子学生ジャナキ、ボーイフレンド、ボスと呼ばれる男の3人の小さな旅の途中、彼女の身に突如降りかかる恐怖を克明に描いた。インドにあふれる女性への暴力を主題とし、全編に緊張の糸が張り詰めている作品だ。

上映後、シャシダラン監督がQ&Aに登壇した。

まずは本映画祭のディレクター・市山尚三が、本作の元になった実際に起こった事件についてたずねた。1996年のインドで、16歳の少女がボーイフレンドと外出した末に、40人の男性にレイプをされた。シャシダラン監督は、その事件を長いあいだ気にかけ、本作の製作に至ったという。

 

観客から「犬がカメラを見る瞬間や、立ち込めていた霧が急に晴れてさし込むヘッドライトの光。絶妙なタイミングはどう演出しているのか?」という質問が。「結局、幸運に恵まれるかどうかですね」と、てらいなく答えるシャシダラン監督。
続けて、「映画を作っているというよりは、起こる出来事をそのまま捉えています。映画を作っているのは私ではなく、自分は単なる道具にすぎない。そう思わせられるようなことを、たくさんはらんでいるのが映画づくりですね」と付け加えた。

 

 

次に、本作の後半におけるジャナキの行動についての質問が挙がった。「ジャナキはレイプされたにもかかわらず、ボーイフレンドの手は振り払い、逃げずにボスについて行くのはなぜか?」
シャシダラン監督は、本作の冒頭、祖母から孫娘への語りを思い起こしてほしいという。「男性が女性の宝物を奪い取る」という、本作を要約したような内容だった。
「多くの文化では、“女性は男性のために存在する”という見方があります。同時に、薄れつつある思想ではありますが、いまだ処女性が重要視されます。ジャナキも処女を失うと終わりだと思わされていて、それを奪った男性にとらわれてしまうんです」と、ジャナキの行動について説明する。

 

また、インドでは一度性犯罪の被害者になると、もう選択肢がないとも。「ゴミとして扱われる。だから、ジャナキが自分の育った村に帰って何事もなかったように生活するというのはありえません」と、悲しい現実を口にした。
ジャナキはまだ14〜15歳という設定だそう。「まだ自分の頭の中でレイプされたことを処理できず、解決策を見つけられない。もともとジャナキにとって結婚とは、親が勝手に相手を決めて、本人の意思を尊重せずに決めるもの。だから、彼女はボスに従って結婚することしか浮かばないわけですね」。

最後に、インドには、レイプ被害者と結婚すれば加害者は罪に問われないという奇妙な法律があるという。シャシダラン監督は、「もしこれが殺人や他の犯罪だったら? そんな人と一生の伴侶になれるでしょうか」と客席へ投げかける。しかし、レイプ犯だと問題ないとみなされ、家庭を築く。「そうした理由で、結婚後のレイプなどのドメスティックバイオレンスが続いてしまうんです」と負の連鎖を嘆いた。

シャシダラン監督は、終始にこやかかつ真摯に、センシティブだが議論すべき問題について観客と対話を試みていた。

 

「水の影」は11月28日(木)21:15よりTOHOシネマズ日比谷スクリーン12で上映されます。

(文・樺沢優希、写真・穴田香織、白畑留美)

【レポート】「鉄拳」阪本順治監督Q&A

今年でデビュー30周年を迎える阪本順治監督。第20回東京フィルメックスにて特集上映を行った。11/27(水)第一回目に上映された『鉄拳』は、これまで26本の長編作を撮ってきた監督の2作目となる。

上映後には、市山ディレクターそして阪本順治監督も登壇。客席から温かい拍手が送られた。

阪本監督は、1989年『どついたるねん』で衝撃のデビュー。移動式映画館「シネマプラセット」での劇場公開も話題となり華々しいデビューを飾った。そして翌年の1990年に発表した作品が『鉄拳』だ。

大スター菅原文太を主演に全国一斉上映ということも話題になった今作。

市山ディレクターは、「『鉄拳』はどこかで必ず紹介したいと思っていた作品」とし、今回の東京フィルメックスでの上映実現を喜んだ。

デビュー作である『どついたるねん』と『鉄拳』は、ボクシングを題材に作られた映画であるという共通点を持っている。しかし、題材は同じであってもその両者に両者の面白さがあり、そして全く違う映画となっている。

このことを踏まえながら市山ディレクターが、「どういった経緯で2作目に取り組まれたのか」と問うと、阪本監督から「最初はおじいちゃんのハードボイルド映画といった全く別の企画を立てていた」という意外な答えが返ってきた。しかし、プロデューサー荒戸源次郎さんからボクシング映画を2回続けて撮った監督は世界で一人もいないと言われ、もう一度ボクシングで映画を撮ることに決めたと語った。

阪本監督は、「『どついたるねん』は、ルールに基づいて戦いを行うスポーツとしての面の強いボクシング映画であったが、2本連続やるとなった時、今度はリングの外に出で戦うシーンを撮りたいと考えた」と語った。

 

客席からの質問では、イランの映画監督であるアミール・ナデリ監督が真っ先に手を挙げ、「映画内ではコメディーとシリアスの要素が入り混じっていたが、脚本段階でどのようにその2つを組み込んでいったのか」と質問された。阪本監督は、「ユーモアがあるからこそある種の緊迫感が生まれるのではないか」と答え、「当時そうした緊迫した場面と映画的ユーモアの両方に興味のあった自分にはどちらか一方に偏った映画を作るのは難しかった」と語った。

また、客席から「今の阪本監督から見て、初期の作品はどのような作品か」と問われると、「当時は今にはない暴力衝動があった。自分の中に蓄積されてしまったそれをある種映画の中で解消していくような作業だった」と阪本監督は語った。

しかし、だからといってヤクザや警察と戦う映画を作ることには違和感があったとし、ずっと戦う敵を探していたと言う。

「ボクシングは憎悪のない戦いだが、アクションとして撮ることができる。そして2作目の『鉄拳』では、敵をヘイト集団とすることで小さな社会で起こりうる事件性をもたせたかった」と阪本監督は答えた。

しかし、一方で自身の暴力性とは反対にユーモアや空想性なども自身の大事な側面であると語り、そうした側面もあったからこそ映画を作り続けることが出来たのではないかと答えた。

「ヘイト集団のモデルとなったものはあるのか」という質問には、様々な要因があるとしながらも一つに自身の身体コンプレックスや幼少期での体験などを挙げた。そうした違和感は当時の健康ブームなどへの違和感に繋がり、ああ言った排他的な集団が出来上がったと語った。

『鉄拳』は、緊迫したアクションシーンがとても印象的だが実際に敵のヘイト集団にはプロの格闘家を6人起用して行い、俳優たちは本当に痛い思いをして撮影していたと語った。

阪本監督は、「今はもうあんなことは出来ないだろう」と少し微笑みながらも「本物を作るんだという気持ちで取り組まれていた」と当時の映画に対する覚悟を明かした。

今回の特集上映一回となった『鉄拳』は、ユーモアとシリアス、暴力性と空想性というような一件対立する側面を両方持ち合わせた作品であり、そこから続いていく阪本監督作品の振れ幅の多さが存分に現れた作品であった。

特集上映第2回目は『ビリケン』11月29日(金)10時から上映。

第3回『KT』は11月30日(土)10時から。4回目の『この世の外へ クラブ進駐軍』は11月30日(土)、13時30分より上映。

 

(文・柴垣萌子、写真・白畑留美、明田川志保)

【レポート】『気球』ジンパさんQ&A

11月26日(火)、有楽町朝日ホールにて、コンペティション作品『気球』が上映された。チベットの草原で3人の息子たちと暮らす夫婦の生活と葛藤を描いた。上映後のQ &Aには、主演俳優のジンパさんが登壇した。

ジンパさんは、ペマツェテン監督の前作『轢き殺された羊』(第19回東京フィルメックスで審査員特別賞を受賞)でも、主演を務めた。今回が初めての来日となる。

 

最初に、市山尚三 東京フィルメックス・ディレクターが、客席に向けて「『轢き殺された羊』を観た方はどれ位いらっしゃいますか?」と尋ねると、ほとんどの人の手が挙がっていた。

ジンパさんは俳優になる以前、詩や文学の創作、教員、政府の仕事などを経験。2011年に初めて短編映画に出演し、2014年から本格的に俳優の道に進んだ。同年、北京でペマツェテン監督と初めて出会い、2017年に『轢き殺された羊』を、2018年に『気球』を撮影し、共に作り上げてきた。

「ペマツェテン監督は、私にとって様々なことを教えてくれる先生であり、友人です」とジンパさん。

 

続いて、客席との質疑応答に移った。劇中、暴れる羊を捕まえる場面が登場するが、その技術をどのように身につけたかという観客からの質問に、ジンパさんは「放牧を行う地域で育ったので、羊の扱いには子どもの頃から慣れていました」と答えた。

また、「子役の演技も自然で、本当の親子のようだった」という観客から、その秘訣を尋ねられると、撮影の1ヶ月前から一緒に過ごし、コミュニケーションをとったと明かした。一例として、お小遣いをあげてみたり、好きなことを言わせてみたり、とジンパさんが現実的な手段を挙げると、会場から笑いが起きた。

「嘘のない演技が、最も良いと考えています。私たちの演技を褒めてくだる方が多いのですが、それは彼らとのコミュニケーションが上手くいったからだと思います」

 

最後の質問は、アミール・ナデリ監督から。「編集も音も演技も演出も素晴らしく、こんなに純粋な映画をひさしぶりに観ました」と絶賛し、脚本について尋ねた。ジンパさんは「もともと脚本は完成していたのですが、撮影をする中で少しずつ修正していきました。映画の冒頭から順番に撮影したわけではありません。撮影の1-2ヶ月の間に、私の演技が上達するにつれて、色々な場面を加えていったのです」と説明した。

 

終始、和やかな雰囲気の中で行われたQ &A。ジンパさんも出演する、ソンタルジャ監督の『巡礼の約束』が2020年2月8日(土)より岩波ホールで公開されることが発表され、会場から温かな拍手が送られた。

 

(文・宇野由希子、写真・明田川志保)

【レポート】『評決』レイムンド・リバイ・グティエレス監督Q&A

11月25日(月)、有楽町朝日ホールにて、第20回東京フィルメックスのコンペティション作品としてレイムンド・リバイ・グティエレス監督の長編初監督作『評決』が上映された。夫が妻と娘に振るった家庭内暴力を発端に、フィリピンの司法問題に鋭く切り込む野心作だ。現代フィリピン映画を牽引するブリランテ・メンドーサ監督がプロデューサーを務めていることでも話題となっている。

冒頭、市山尚三東京フィルメックス・ディレクターは、「この作品は一組の家族のドメスティック・バイオレンスを描くと同時に、フィリピンの司法手続きの問題をあぶり出すという社会的テーマを持った力作だと思いました。なにか具体的な事件がもとになっているんでしょうか?」と問いかけ。グティエレス監督は「実はドメスティック・バイオレンスに関する映画を作ろうと考えていたわけではありませんでした。ある日偶然、パートナーに暴力を振るわれた女性が、助けを求めて私の家にやって来たのがきっかけだったんです。そうした現場を目にしたのは初めてだったので、大きな衝撃を受けました。それでなにか自分にできることはないかという気持ちをずっと抱えていました。後々被害を受けた女性に話を聞いたところ、裁判に持ち込みたいということだったんですが、なんと数日後にふたりは元のさやに戻ったんですね。ひどいことがあったのにそれを忘れて元に戻れるのだろうかと思ったんですが、『法に訴えるにはあまりに煩雑な不都合がありすぎる』と彼女に言われたんです」と当時を振り返った。

「司法問題以前に、警察の捜査の雑さが衝撃でした。相当な怪我なのに応急処置だけで被害者を振り回したり、流血沙汰を起こしたにもかかわらず被害者と加害者がずっと同行したり。実際、フィリピンの現状はどうなんでしょうか?」という観客からの質問に対しては、「この映画ではまず、フィリピンでの法のプロセスがどのように行われているかということを見せたいと思いました。実際、政府の方針としては家族優先、つまり家庭を壊さないためになるべく自分たちで解決してほしいという前提があるんですね。法的手段は機能しているといえば機能していますし、警察も仕事はしています。ただ、それが本当に有効なのかというとそうとは限らないわけですよね。人間誰しも落ち度があり、常にルールを順守できるとは限らない。法はあるけれども、法にも節穴はある。私が映画作家としてできることは、この映画で解決方法を提示するのではなく、いくつものカードをテーブルの上に並べて、『私たちの問題』として気づいてもらうこと。問題を解決するのは政府ではなく私たちなんだ、ということです」とグティエレス監督。

また「夫に用意された結末は、法廷では得ることのできなかった『正義』を、ほかの手段によって与えられたと受け取りました。監督はこの作品で、別の『正義』もありうるということを示したかったのでしょうか」と聞かれ、「それはぜひ観客のみなさんに決めてもらいたい。みなさんが考える『正義』を好きに解釈してもらいたいです。法的手続きが私たちの望む結果ではないこともあります。そのときに劇中では、もうひとつの『正義』が与えられた。でもそれは、夫がおかした罪に対して妥当な罰なのだろうか?ここで彼に下された結末は、法的なものよりもっと暴力的なものですよね」と回答。

質問は、今作のプロデューサーを務めたメンドーサ監督についてまで及んだ。「メンドーサ監督には、ドメスティック・バイオレンスというコンセプトは何度も題材にされているものだけど、君はそれでもやりたいのかと聞かれました。でもその現実を描きたかった。彼は長編の脚本を書き終えることができるなら、ぜひ読んで、自分の視点を加えて、映画化を考えてみようと言ってくださいました。脚本執筆にあたっては、ビン・ラウ監督の助けも得ました。撮影段階では、メンドーサ監督は本当に十分な自由を与えてくださって、自分の好きな解釈で撮ることができました。美的感覚が近いという意味でも、今作はメンドーサ風というのは否めないかもしれません。私が彼に教わったことは、観客はすべてわかっているという風に思わず、自分のストーリーをきちんと仕上げて、それを提示するということ。編集の段でも、ストーリーテリングにおいて常に自分に問いかける、自分を疑う、という助言をくださいました。そしてなにか間違いや欠点があっても、それも含めて自分のなかで良しとして次に進むということも学びました」と噛みしめるように話してくれた。

最後に「ラストシーンの妻の表情が、安堵しているようにも、哀しいようにも、自分を戒めているようにも見えました。どのような演技をつけたのでしょうか?」と問われると、「まず、監督はマジシャンのようなものだと思っているんです。自分のビジョンがあって、なんらかのトリックを持っていて、制作クルーや観客のみなさんをどれだけ触発しながら映画を仕上げられるか。それは俳優に関しても同じことが言えます。妻役で主演女優のマックス・アイゲンマンが現場に来た時、どんな人かというのをよく観察しました。そしてあえて演技指導をしなかった。考えすぎてほしくなかったし、自然に反応してほしかったから。一番難しかったのは最後、夫の結末に直面するシーンです。あの部分は本当に複雑な感情が入り混じっていると思ったので、彼女に解釈をゆだねて、外へ出て好きに歩いてとだけ伝えました。車にいきなり轢かれそうになるとか、どれくらいの距離をどこの方向に歩くかとか、言わなかったんですね。そして映画というのは、撮って終わりではない。編集もストーリーをガラッと変える力を持っているので、その段階でもどういうアングルで、どう繋げていくかよく考えました。映画のなかで観客がグッと掴まれたり刺さったりする部分があるとすれば、それはショックを受けるシーンがひとつあるからではなくて、全体の構成によって、盛り上がってできるものだと思うんですね。なのでそこに向けて、どういう風に観客を引き込むかということを常に考えていました」と締めくくった。

観客も監督もまだまだ話が尽きないといった様子だったが、時間になり終了となった。これを機に、家族、そしてそれを取り巻く社会のことを今一度考えてみてはいかがだろうか。

 

(文:福アニー、写真・明田川志保、白畑留美)