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『夏の庭 The Friends』トーク(ゲスト:河合美智子さん)
from デイリーニュース2011 2011/11/23
第12回東京フィルメックスの特集上映として開催中の「相米慎二のすべて~1980-2001全作品上映~」。5日目となる11月23日は祝日ということもあってか、会場の東銀座・東劇は様々な年齢層の相米ファンで熱気にあふれていた。上映されたのは名優三國連太郎が出演した『夏の庭 The Friends』(94)。死について興味を抱いた3人の少年が、近所に住む風変わりな三國扮する老人の死に際を見ようと家を見張り、ふとしたことから交流が始まり、老人の人生と対面することになるというストーリー。
上映後には、相米監督の初期作品『ションベン・ライダー』(83)などで現場を共にした女優の河合美智子さんを迎えて、当時助監督をつとめていた榎戸耕史さんと、相米組の撮影秘話や、監督のプライベートを語る運びとなった。
会場はしっとりとしたラストシーンの空気を残しつつトークへと入った。榎戸さんが映画の感想を聞くと「感動して泣いてしまいました」と涙声の河合さん。しかし、はっと我にかえって「この作品の3人も私と同じようにいっぱい走らされて、塀があれば登らされて、体張ってるな。と、当時を思い出しました」と、相米組の現場を懐かしそうに振り返る。
榎戸さんが、撮影現場で出演者3人の子供たちが監督からほとんど名前を呼ばれておらず、「デブ!」「メガネ!」などと呼ばれていたことを明かすと、すかさず河合さんは「まだ、それならいいかな。私はゴミかタコでした」と苦笑いした。
話題は必然的に過酷な撮影現場に。
「『夏の庭』は一人の老人を見つめる静かな映画なので、東京・横浜・名古屋を行き来したロードムービー風の『ションベン・ライダー』に較べると過激な場面が少ないと思われますが、それでも最初の方の場面で歩道橋の縁を歩くシーンなんかを観ると、『ションベン・ライダー』の現場を思い出しますか?」という榎戸さんの質問に対して、河合さんは「今ではあり得ないですよね。すごく危険」と、観客席に向って同意を求めた。『ションベン・ライダー』のエピソードでは、台本では丸太の上から河に飛び込むとあったのが、実際は行ってみたら「12~3メートルのつり橋から落ちろ」と言われたことや、今でも撮影時の傷が残っており、病院にも運ばれた、などという、「女優」という職業からは想像し難い武勇伝を披露した。
『ションベン・ライダー』でデビューした後、『光る女』(87)『あ、春』(01)と節目節目で相米作品に出演し、演出方法や、人柄など監督を総合的にどう思うか?という榎戸さんからの質問に対し、河合さんは「『ションベン・ライダー』では演技経験が全く無かったため、何故同じシーンを繰り返し撮るのか意味がわからなかった。しかも監督はゴザ敷いて寝ていて・・・終いには「もう一回」とも言わずに無言で○×の札を上げるだけ。本当にイライラさせられました」と振り返る。
しかし、その後出演した作品では、監督に対する評価が変わっていったようだ。「『光る女』でウェイトレスの役を演じた時、安田成美さんと武藤さんの演技を見る機会があって、リテイクするうちにどんどん演技が変わって行くのが分かった。もしかして、私もそうだったのかな、と。『あ、春』で看護婦役を演じたときは、いつも3日間くらいテストに費やしていたのに、あっという間に本番になって「今日は早いなー」と思っていた時、監督に「お前、どうみても看護婦にしか見えねーんだよ!」と言わたんです。これって、もしかして超褒め言葉?と思って...その後、楽屋に帰って両親に泣きながら電話しました。「相米さんに褒められたから、もう辞めてもいいかも」って。今でも演っていますけどね(笑)」と長年かかった監督との邂逅を明かした。
映画監督として、ひたすら厳しいイメージの相米監督だが、意外な一面もある。
ある時、京都の五重の塔が見える高級料亭に呼ばれた河合さんは、会食中に監督から「俳句を詠んでみろ」と言われ、酔った勢いで<春の月 光集めて 禿げちゃびん>と詠んだところ、大層監督が気に入ったとのこと。それ以来、相米組では、「禿げちゃびん」という言葉がブームになったそうだ。その他、「飯行こうと言われて、ラーメン店に行ったのですが、先に「ご馳走様」と言われてしまって」と、監督の憎みきれない、何とも不思議なキャラクターが垣間見えるエピソードで締めくくられた。
なお、この上映は東京フィルメックス初の試みとして、聴覚障がい者向けに日本語字幕付きで上映され、トークイベントでは手話通訳も実施した。
また第五回<「映画」の時間>として、親子20組40名を招待。主人公たちと同じ小学生の観客も、大スクリーンでの映画鑑賞を楽しんだ。
(取材・文:一ノ倉さやか、撮影:清水優里菜)
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