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特集上映「相米慎二のすべて ~1980-2001全作品上映~」






『あ、春』 Wait and See
1998 / 100分
©1998 トラム/松竹/衛星劇場
出演:佐藤浩市、山崎努、斉藤由貴

【作品解説】
順調に証券マンとしての道を歩んできた男の下に、死んだはずの父親が突如現れる。軌を一にして時を同じくして、彼の会社の経営状態も悪化していく......。巻き起こる波紋の中、自分の人生を見つめ直していく男とその家族の姿を描いたホームドラマ。1999年のベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。















相米慎二

1948年、岩手県盛岡市に生まれる。71年、中央大学文学部を中退し、日活撮影所に契約助監督として入所。その後フリーとなり、長谷川和彦、寺山修司らの助監督をつとめる。80年、『翔んだカップル』で監督デビュー。続く第2作『セーラー服と機関銃』(81)はその年の日本映画を代表する大ヒットを記録する。これら2作品は薬師丸ひろ子を主演に迎えた商業映画であったが、長回しを多用した大胆なカメラワーク、また俳優に対する厳しい演技指導など、独特のスタイルが映画ファンの間で大きな話題を呼ぶ。82年、長谷川和彦の呼びかけによってディレクターズ・カンパニーの設立に参加。その後も『魚影の群れ』(83)、『ションベン・ライダー』(83)、『雪の断章-情熱-』(85)などの話題作を監督。唯一のにっかつロマンポルノ作品である『ラブホテル』(85)も高い評価を受けた。85年に開催された第1回東京国際映画祭では『台風クラブ』がヤングシネマ大賞を受賞、審査員をつとめたベルナルド・ベルトルッチに絶賛される。同作品はフランスやアメリカなど海外でも公開され、相米慎二の海外での評価のきっかけとなる。93年、『お引越し』(93)がカンヌ映画祭「ある視点」部門で上映。『あ、春』(98)はベルリン映画祭パノラマ部門に選ばれ、国際批評家連盟賞を受賞。同時にキネマ旬報ベストテンの第1位に選出される。2001年には『風花』がベルリン映画祭フォーラム部門で上映。その後新作の撮影に向けて準備を行っていたが、同年9月9日、肺がんにより53歳の若さで急逝。その13本の監督作品は多くの監督たちに影響を与え続けている。












11/23『あ、春』トークイベント/ 佐藤 浩市
from ブロードキャスト 2011/11/23


 
11/23『あ、春』
トークイベント/ 東劇
ゲスト:佐藤 浩市(俳優)
聞き手:榎戸 耕史(映画監督)
 
Talk Session / Togeki
Guest: SATO Koichi (Actor)
MC: ENOKIDO Koji (Director)
 
----- * ----- * ----- * ------
『あ、春』
1998 / 100分
監督:相米慎二
 
Wait and See / Ah, Haru
1998 / 100 min.
Director: SOMAI Shinji





新情報は順次、追加されます。


『あ、春』トーク(ゲスト:佐藤浩市さん)
from デイリーニュース2011 2011/11/23

1123kouichi_01.jpg第12回東京フィルメックスの特集上映として開催中の「相米慎二のすべて~1980-2001全作品上映~」。11月23日は、1999年のベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞した『あ、春』(1998)を上映。終了後には、公私ともに監督と交流のあった主演の佐藤浩市さんをゲストに、トークショーが行われた。司会は、当時相米組の助監督をつとめていた映画監督の榎戸耕史さん。


まず、佐藤浩市さんが初めて相米作品に出演した『魚影の群れ』(85)の鮮烈な思い出から始まる。
「まず初日から、フィルムが回らない、という洗礼を受けました。今では考えられないが、照明もカメラも決まっていない。皆が腕組んで待つんです。そこそこ演技が固まってきた時点でやっと準備を始める」と佐藤さん。榎戸さんの「現場のスタッフは40人くらいいるから、80個の目が一斉に一人や二人の俳優に注がれる、というのが恒例なんです」という言葉に「これからどうなるんだろうという先行きの不安と、役者として足払いをくらったところから這い上がらなければならない、という恐怖を感じた」と、佐藤さんは当時を振り返る。


1123kouichi_02.jpg監督との初対面も衝撃的だったようだ。佐藤さんと相米監督との初対面に立ち会った榎戸さんから、「松竹のプロデューサーを交えて初めて会った時、相米さんが佐藤さんに何か訊くだろうと思っていたら、一言も発さない。5分くらい経って居たたまれなくなって佐藤さんが「申し訳ありません、僕、先に失礼します」と言って去ったら、相米さんがニタっと笑って「いいな」とつぶやいた」というエピソードが披露された。


話題は、監督の演出の変化に。
「『あ、春』は『魚影の群れ』とは全くテイストが違うが、演出方法は何か変わりましたか?」という榎戸さんからの質問に対し「『あ、春』のラストシーンの演出は実は案が2通り用意されていて、相米さんの方から「悪いけど2パターン撮らせてくれないか?」という申し出があった。そして、嘘か本当はわからないけど、最終的には女性スタッフの多数決でどちらにするかを決めた、と言われてびっくりしました。何か、変わったな、と。いい意味で、角が取れた感じで。例えば『魚影』の時、一週間のオフをもらって数ヶ月撮影していた現場の大間から東京へ帰った。再び現場へ戻ると、「てめえ、このやろう、東京の顔になってきやがって」と、本気で怒られました。その時に比べると、根っこの部分は変わらないにしても、物のつくり方の運びが洗練されたような感じがします」


1123kouichi_03.jpgそして、監督としてではない、一個人としての相米さんは佐藤さんの目にどう映ったか?という榎戸さんからの質問に対しては次のようなコメントが。
「『あ、春』以降、相米さんが亡くなるまで、親しくお付き合いしていました。ゴルフ行ってハーフで雨が降ると、そのまま競馬場にハシゴしたりして...粋といえば聞こえは良いけど、正直、俗物だなーと思いました(笑)。逆にそう思えたのは幸せなんですが...例えば内田吐夢さんみたいに人間嫌いで最後は一人で亡くなられたような哲学者然とした人もいれば、(映画監督の中には)相米さんのような人もいるんだな、と。映画のなかでは、自分の中のロジックと、映画を啓蒙する姿勢を我々に明確に見せてくれるんですけど、私生活の中では本当に普通の人なんです。現場で見せるストイックな映画人としての顔と、普段の相米さんとのギャップが魅力的でした。そして、監督と役者ということではなく、一個人として接してくれる...何人もの監督さんを見ていますが、ギャップということで言えば、相米さんが一番でした」


次に、『あ、春』で佐藤さんの妻役を演じた斉藤由貴さんから寄せられた相米監督へのメッセージが披露された。「『雪の断章―情熱―』(85)の時は相米監督はとても怖い方で少しの嘘も見抜かれてしまうようで、いつもびくびくしていました。『あ、春』で出演の依頼があったとき、大変辛かった撮影から12年経っていたこともあり、あえてどうなるか、自分がどう思われるか知りたくて、出させて頂きました。結果的には『あ、春』の撮影を通じて、人は常に変化の中で生きており、同じ人との仕事ですら、二度と同じではないと感じました。その時からは相米さん、子供のような純粋なところがとても好きです」と榎戸さんが読み上げると、一瞬、会場はあたかも斉藤さんがその場にいるかように和やかな雰囲気に包まれた。
榎戸さんの「斉藤さんも、佐藤さんと同じように初期の作品の撮影との変化を感じているんでしょうね」というコメントに対し、「そうですね、『あ、春』は演出してて監督自身嬉しそうでした」と佐藤さん。榎戸さんは「『あ、春』では佐藤さん、斉藤さんなど、相米学校の言わば生徒さんたちと、富司純子さんなど、憧れのベテラン女優さんたちとの間に挟まれて相米さんが楽しそうに映画撮っていて、あ、やはり相米さんも映画ファンの一人なんだな、と」と、厳しいだけではない、監督の愛すべき素顔を語った。


最後に、相米監督のショットへのこだわりが話題に上った。
「『魚影』のとき、「オープニングで撮りたかったのは、空撮で水中のマグロの群れを追っていくと、砂浜にお前と夏目がいる、という画だ」と言われたけど、そんな画は不可能。今ならCGで何とかなるけれど、ただ、今、それをやるかといったら多分やらないだろうな」と佐藤さん。すかさず「私も水中カメラと空撮が一緒になってる画を撮れと言われたことがあります。絶対無理なんですけどね」と榎戸さんも答える。相米監督と榎戸さんがともに助監督を務めた『太陽を盗んだ男』(長谷川和彦監督)の現場で、蟻が穴に入るところを撮るため、相米監督が延々とカメラ回していたというエピソードはあまりにも有名。「本編の中で3秒くらい使われたところなんだけど、彼はそれを1万フィート、つまり100分回したんです。きつい現場だったんで、その時間、スタッフは有難く皆寝てました(笑)。本当に変な人でしたよ」と榎戸さんが言うと、佐藤さんも大きく頷いた。
「今相米作品を初めて観る若い人たちはどんな風に観るのかな?ということに興味があります。特に初期の作品は長回しを成立させるために演技が過剰になるし、そのなかで集約されるマグマのようなものもあります。親切なカット割に慣れた人たちがこういった映画をどう思うのかということを含めて」と佐藤さん。


榎戸さんの「これを機に相米さんの映画が劇場で沢山かかるようになって、若いファンが出てくることを切に願います」という言葉でトークは締めくくられた。


(取材・文:一ノ倉さやか、撮影:清水優里菜)
1123kouichi_04.jpg 1123kouichi_05.jpg 1123kouichi_06.jpg





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