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【レポート】『名前のない墓』Q&A

11月18日(日)、TOHOシネマズ日比谷12にて特別招待作品『名前のない墓』が上映された。多彩な文学作品を引用しつつ、クメール・ルージュの支配がいかに無軌道であったかが語られる。上映後のQ&Aにはリティ・パン監督が登壇した。

パン監督は『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』(03)で犠牲者と加害者の関係を問い、「Duch, le maître des forges de l'enfer」(11)で政治犯収容所S21の所長だったドッチを撮った。15年以上前から温めてきたテーマは、「人々の心に宿った暴力性」であるという。

「これらの映画をつくる過程で考えたのは、どうすれば死者を悼むことができるのか。よく『赦す』などと言いますが、それは何が起こったかが分かって初めてできること。大量虐殺の場合、犠牲者の遺体の所在が分からないことが問題です。この映画では死者のさまよえる魂を探求することになりました」

映画には監督自身も出演している。「出るつもりはありませんでしたが、あるとき、この映画のアプローチを尊重しなければならないと思ったのです。例えば、霊媒師や僧侶が儀式に参加するよう、私を手招きします。そうすると、どうしても頭の一部や手の先が写ります。霊媒師の一人が、私の父の魂を呼び出して自らに憑依させたとき、父が私を呼んでいるのだと分かりました。そのとき、私はカメラを回し続けて後ろにいるべきか、父に会いに行くべきかを考えました。そして、後者を選んだのです。あまりにも強く彼女が私を抱きしめたので、本当に父の魂がそこにいるのだとはっきり分かりました。その時から、自分がフレームの中に存在することが当然のことになりました。けれども、実に謙虚な気持ちでカメラの前に立っています」

観客からは、「2人の村人の証言が重要な要素となっているが、彼らは犠牲者と加害者のどちらの側にいたのか」という質問が挙がった。

「村には新人民と旧人民がいました。新人民は1975年にクメール・ルージュによって『解放』され、都市から地方へ強制移動をさせられた人々です。私もその一人でした。インタビューを受けているのは、2人とも元から村にいた旧人民です。一人は農民で、新人民より権力を持っていました。もう一人は軍人で、1950年代から革命に参加し、戦争にも出陣した幹部です。この映画は、彼らのような旧人民、犠牲者、私を含めて生き延びた人々という、三角関係で成り立っています」とパン監督。さらに、霊媒師も重要な役割を果たしていると言い、「霊媒師は村人が心を打ち明ける相手です。ですから、彼らはその土地で起こっていることや、人々の抱える苦しみもよく理解しています。トラウマを癒やすには、薬よりも言葉が効くこともあるのです」と説明した。

上映の数日前、クメール・ルージュの幹部2人に大量虐殺の罪で有罪判決が出された。そのニュースをどのように受け止めたかとの質問に、「このような犯罪を裁ききるのは不可能だと思います」とパン監督。「その判決は、チャム族とベトナム系民族に対してのみ認められました。『大量虐殺』は、ルアンダ、ボスニア、カンボジアのケースでそれぞれ異なり、毎回定義し直す必要があると思います。犠牲者の数だけでなく、イデオロギー的な暴力が行われ、個人の尊厳が破壊されていることも考えなければなりません」。続けて、「ロヒンギャやイエメン、そしてカンボジアでも再び、同様のことが起こっています。だから私は過去に戻り、起こった出来事を再び理解しようと努めている。カンボジアで200万人の犠牲者がいるとすれば、200万本の映画が必要です。私にとって映画とは、再び生まれる行為で、今を生きる存在証明のようなものです」と熱く語ると、会場からは自然に拍手が起きた。

最後に、映画を作り続けた上での変化を問われると、「以前より心が平穏になったように思います」とパン監督。「私は常に死者と共に生きています。彼らの犠牲の上に、今の私があるからです。私の仕事は、人々の『記憶』を撮り続けること。当時何が起きたのか、誰が犠牲者で加害者なのか。それが分かれば、次の世代は重荷を抱えることなく、新しいページに進むことができます。死ぬ直前に思い浮かべるのが、私の好きな人たちの微笑む姿だったら。その瞬間に向けて、映画をつくっているように思います」と語った。

質問は尽きなかったが、予定時間を大幅に上回り、Q&Aが終了。一つひとつの質問に丁寧に答えるパン監督の姿が印象的だった。


※終電間際にもかかわらず、多くの方が残られてトークに耳を傾けておりました。

文責: 宇野由希子 撮影: 吉田(白畑)留美


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