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『泳ぎすぎた夜』五十嵐耕平監督、ダミアン・マニヴェル監督Q&A

11月19日(日)、有楽町朝日ホールにて『泳ぎすぎた夜』が上映された。魚市場で働くお父さんに絵を届けようとする少年の一日を描いた本作。上映後のQ&Aには五十嵐耕平監督とダミアン・マニヴェル監督が登壇した。

五十嵐監督は「主演の鳳羅(たから)君と出会えたことが一番重要なこと。映画と一緒に、彼の人生との関係を育んでいけたらいいなと思っています」と挨拶し、「笑ったり、孤独な気持ちを感じてくれたらうれしいです。今日は来てくれてありがとうございます」という鳳羅君のメッセージを代読。ダミアン監督は「パーソナルな映画を作りたかった。私たちの子どもの時の思い出から、この話を書いた」と語った。

本作は、ロカルノ映画祭で知り合った二人の監督による共同制作。全ての事柄を話し合いで決めた。「自分の意見に固執せず、相手の方がいいアイディアを持っていること、別のところにアイディアがある可能性も常に忘れないようにしました」と五十嵐監督。

鳳羅君は、音楽ライブの会場で見つけた。「上演前に明らかに異常なテンションで走り回っている男の子がいて、しかも知らない人に話しかけて飴を配っていた」と五十嵐監督は振り返る。映画に登場するのは、鳳羅君の本当の家族。運転手は鳳羅君のおじさんが演じた。その理由について、ダミアン監督は「鳳羅君はきっと俳優を家族だと思い込めないから、本当の家族が必要だと思った」と説明した。

映画は、4:3のスタンダードサイズで撮影されている。ダミアン監督は、「子どもは小さいから、小さいフレームに入る。風景を撮っている時、子どもの絵みたいだと思った。だから全部ベーシックで、シンプルにした」と語った。カメラマンは髙橋航さん。「初めて一緒に仕事をしたけど、センスが素晴らしかった」とダミアン監督は称賛した。

続いて、観客から演出について尋ねられると、五十嵐監督は次のように説明した。「鳳羅君は、僕たちと一緒に映画を作りたいというモチベーションが高かった。でも、カメラの前に全然立てないんです。彼にはその瞬間、他にやりたいことができたり、僕たちと遊びたかったりして、撮影どころじゃなくなる。最初は叱ったりして、どうにかカメラの前に立たせようと思ったんですけど、そもそも子どもをコントロールしようという考え自体が間違っているなと。僕たちは彼のポートレートのような映画を作りたかった。コントロールしようとすると、彼の自由さや豊かさ、身体の動きが全部奪われてしまう。彼がこの物語の中で何をしたいのかを観察して、脚本に組み込みました」

また、就寝シーンの撮影について、五十嵐監督は「今から眠るシーンを撮るので、寝たふりをしてください、と言うと彼は本当に寝ちゃうんです。本当の俳優だと思います(笑)」と讃えた。

本作にはセリフがほとんどない。その理由を、ダミアン監督は「身体の動きが言葉だと思った。鳳羅君とは動きだけで話ができる。だから、全部そうしたかった」と説明した。五十嵐監督は、「サイレント映画の俳優のような身体性を、鳳羅君に感じました。身体に感情が乗っていて、それだけで全てを語っているような強さがある。そこに言葉を乗せると、むしろそれが削がれてしまうだろうと。彼の身体や顔は十分に物語を語っていると考えました」と話す。 続けて、ダミアン監督は「この映画はお父さんと息子の話でもある。二人の間には、愛と距離がある。だから沈黙はすごく大事だと思った」と付け加えた。

真冬の映画にも関わらず、ヴィヴァルディの『春』を選曲した理由について、五十嵐監督は「誰でも知っている音楽にしたかった。僕たちの子どもの頃の記憶から出発している映画なので、観る人と共通点が持てるといいなと思いました。それから、この映画はお父さんに会おうと頑張った1日が終わり、また次の1日が始まろうとしている。その間の何か『新しい』ものが生まれる感覚を入れたかった」と語った。

ほとんどの質問に対して、言葉を選ぶようにゆっくりとした日本語で回答するダミアン監督を見守る会場が、鳳羅君の冒険を見守る作中と重ね合わせられ、あたたかな空気に包まれたQ&Aとなった。

『泳ぎすぎた夜』は2018年春より、イメージフォーラム他で全国公開される。表情豊かな鳳羅君をぜひ劇場でご覧いただきたい。

(取材・文:宇野由希子、撮影:村田麻由美、吉田留美)


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