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映画字幕翻訳セミナー

1123jimaku_0111月23日、有楽町朝日ホール11階スクエアにて「映画字幕翻訳セミナー」が開催された。字幕文化研究会、翻訳家の樋口裕子さんの呼びかけで始まったこの講座だが、2009年から毎年開催され、すっかりお馴染みのイベントとなった。ゲスト講師の字幕翻訳家・映画評論家の齋藤敦子さんは今年で5回目の登場。今年は東京フィルメックス・コンペティションの審査員も務めている。

今回の演習は、この日朝日ホールで上映されたばかりのコンペティション作品『わたしの坊や』(カザフスタン)。上映を鑑賞した樋口さんは「この素晴らしい作品の世界に浸ってしまったので、今日は前置きなしでいきなり演習です!」と切り出し、会場の笑いを誘った。

舞台はカザフスタン、アラル海沿岸の村。かつて豊かな水量を誇った湖は環境破壊が原因で干上がり、不毛の土地となっている。「寡黙で、荒々しい雰囲気の作品」と齋藤さん。台詞は非常に少ない。その中で主人公ラヤンが、幼い頃に亡くなった母と歩く回想シーンが今回の課題。母の印象的な言葉を噛みしめるかのような美しいシーンである。

1123jimaku_02作中の言語はカザフ語。「監督のつけた英語字幕しか手掛かりがないのですが、ご覧になって分かるようにタイミングがずれていたり、元の言葉ではいろいろ喋っているようなのに、英語字幕では簡潔すぎる表現になっていたりします。そこを、日本語字幕では音と合わせてのせています」と言う齋藤さんに、樋口さんは「英語字幕がのっていないところに日本語字幕を補足するか否か、という問題がありますね」と応じた。「そこは付け加え過ぎない」と齋藤さん。「最近手がけた字幕で、『サウルの息子』(2015年1月23日公開)というハンガリー映画があるんですが、第二次大戦中のナチスの強制収容所が舞台で、ハンガリー語、ドイツ語、イディッシュ語、ポーランド語、ロシア語、フランス語などさまざまな言語が入り乱れているんです。主人公は収容者なので、ドイツ兵がいろいろと命令や怒号を浴びせるんですがそのドイツ語には英語字幕がついていなかったんですよね。主人公の行動に大きく影響する僅かな箇所にのみ字幕が付けられている。それは、作り手の意図があってのことでしょうから、補足はしていません」

今回、劇中の歌には英語字幕が付けられておらず、日本語字幕でも補足されていない。会場の参加者の中にいた松岡環さんから「歌詞の意味が気になってしまいました」との声が上がった。インド映画の字幕を数多く手がける松岡さんは、「インド映画では歌がとても重要なので、字幕にない場合は現地に問い合わせて歌詞を送ってもらう」という。

英語字幕の資料を読み、参加者全員で訳を発表。齋藤さんが添削していくという方法で、セミナーは進められた。“Of-course.”という台詞を「もちろん」と訳した参加者には「ここは「もちろんよ」の方がいい」と齋藤さん。話者は主人公の母親=女性だということを示している。実際の会話、特に若者の場合では、性別に特徴的な話し方をしない人が多いが、「そこはリアルさを追求しすぎない方がいい」と齋藤さん。流行語や、日本的なことわざを取り入れると違和感を覚えることが多いという。「観客の年齢層もさまざまだから、流行の若者言葉を使ってもわからなかったり。ほどほどに」

1123jimaku_03母から息子への“Sweetheart”という呼びかけの言葉を訳さなかったのは何故か?という参加者からの質問には「Honeyとか、英語ではよく出てくるけど日本語では表現しようのない言葉なので省略することが多い」と齋藤さん。「「坊や」でもいいのですが、重要な場面で「坊や」と呼びかけるシーンがあるのでここでは使わずとっておきました。この呼びかけを「ラヤン」と名前にすると、これは音でそうは言ってないことがわかってしまうので、避けますね」

ここで、実際に上映されるものの前段階である仮ミックスの字幕と、最終的に使用された字幕で同じ場面を見て答え合わせ。「これが正解、というわけではないんですが…」と齋藤さん。

今回のカザフスタンのように、日本人にとって馴染みの薄い国の映画では、付けられている英語字幕も癖のある英語だったり、地元の習慣を理解していないと意味が取りにくいものであったり、という苦労があるという。専門家や現地出身の方に監修についてもらうのが一番というが、時間の制約もある中で難しいケースも多い。それでも、齋藤さんは「映像を見ていると、ふっと意味が分かることがある」という。台本の文字だけでなく、映像を読み取って字幕に生かすことが大事、と強調した。「制限の中で出来る限りやる、というのが字幕翻訳家の仕事ですね」

1123jimaku_06齋藤さんは今回の課題の中で、「天国の門をくぐった者は二度と渇きを感じることがない」という母親の台詞が印象的だったという。「日本で暮らしているとわかりにくいですが、こういった乾いた土地の人には飢えよりも渇きに対する危機感が大きいのだ、と感じました。台詞にはその土地の文化や価値観が現れます」

ここで、翻訳から離れ、字幕の書体についての話題が上がった。「最近の映画ならまだしも、今回のピエール・エテックス作品のようなクラシックにいかにもデジタルといった書体で字幕がついていると少し違和感を感じてしまう」と年配の参加者。

ここで樋口さん、今回のトーク会場で音響と映像を担当していた、字幕投影の堀三郎さん(アテネ・フランセ)にマイクを向けた。

堀さんの字幕投影システムでは、商用可の規約の下に配布されているフォントを使用している。デジタル化以前には専門の字幕ライターがカードに手書きした文字を撮影し、フィルムにのせるという方法で字幕が付けられていたが、そのカードライターの手書き風フォントが作られており、利用できるという。とはいえ、味わいある文字は上映環境によっては読みにくくなってしまうことも。現在ははっきりと読みやすい丸ゴシック体が主流という。

ちなみに劇場公開作品の字幕は、以前は縦書きで付けられることが多かったが、パソコンやスマホで文字を読むことが多い最近の観客には横書きの方が馴染みがあるため、横書きが主流となりつつあるという。「縦と横では字幕の台詞の割り方も変わる」と齋藤さん。

樋口さんが、以前アジアフォーカス・福岡国際映画祭でチャン・リュル監督の通訳を務めたとき、暗い画面が印象的なシーンで「字幕の文字が明るく目立ちすぎている」と監督に指摘されたというエピソードを紹介し「監督は画面の色調をこだわって作りこんでいるわけですが、台詞がある以上字幕をつけないわけにはいきませんし…」と悩ましさを明かした。

堀さんによると、映画のスクリーンにはマット系とシルバー系があるが、鏡面反射するシルバースクリーンでは見る角度、客席の位置によって字幕の明るさに約2倍もの差が生じるという。いかに画面になじませるか工夫している、と字幕投影の苦心を語った。

最後に、樋口さんが担当したツァイ・ミンリャン監督の『あの日の午後』が紹介された。ツァイ監督とリー・カンションが語り合うドキュメンタリーだが、「2時間17分しゃべりっぱなしで、静かで台詞の少ないツァイ作品としては異例の字幕の多さ」とか。息のあった二人の掛け合いに、あっという間に時が過ぎた1時間半のセミナー。奥深い映画字幕の世界に話題が尽きなかった。

『あの日の午後』は11月28日(土)に有楽町朝日ホール、12月2日(水)には有楽町スバル座で上映される。今回の課題『わたしの坊や』は11月25日(水)にTOHOシネマズ日劇3にて二回目の上映が行われる。

(取材・文:花房佳代、撮影:白畑留美)

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