【レポート】『ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト(仮題)』

11月22日(木)、TOHOシネマズ日比谷12にてコンペティション作品『ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト(仮題) 』が上映された。舞台は中国貴州省の凱里。父の葬儀のために久しぶりに帰郷し、ネオンに彩られた街を歩く主人公ルオの脳裏に、過去の記憶がよみがえる。約1時間にわたるワンカットの3Dに挑戦した、野心的な作品だ。上映後のQ&Aにはプロデューサーのシャン・ゾーロンさんが登壇した。

シャンさんは、2010年の東京フィルメックスの人材育成事業「ネクスト・マスターズ・トーキョー」(「タレンツ・トーキョー」の前身)の修了生。本作の中国での劇場公開直前のタイミングのため、プロモーションなどに多忙で来日が叶わなかったビー・ガン監督の代理で出席した。
観客からはまず、3Dのシーンの撮影手法についての質問が挙がった。
シャンさんは「長回しはビー・ガン監督がどうしても譲れないところでした。ただ、3Dカメラでの長回しは難しく、2Dのカメラで撮影し、後から3Dに変換しました」と説明した。3台のカメラで撮影し、ワンカットに見えるよう、2回繋いでつくっている。ドローン撮影も取り入れ、様々な手法を駆使した。撮影には2度挑戦したが、1回目は何テイク撮っても失敗。人気俳優が出演している作品のため、なかなか彼らのスケジュールを確保できなかったが、今年2月に全員が集まり、再チャレンジした。5日間で準備し、2日に分けて撮影。5テイク中2テイクが成功したという。

劇中、馬が突然暴れ出す場面がある。どうやって撮影したかとの質問には、「あのシーンは天の采配です」とシャンさん。馬も何回もやらされて疲れきっており、怒りを爆発させたタイミングだった。そこへやはり疲れ切っていた主人公二人が登場。映画の雰囲気とも合っていたことから、そのまま採用したそうだ。
主題歌には中島みゆきさんの「アザミ嬢のララバイ」が使われている。ビー監督はこの曲を聞きながら脚本を書いていた。そこでシャンさんは、この楽曲を映画で使えるよう奔走したが、ビー監督は最後になって「使わない」と言った。そのため、カンヌ映画祭では別の中国の曲がかかっている。しかし、シャンさんが「すでに予算超過している作品なのに、この曲のために高額の楽曲使用料を払っているのだから、使わないのはおかしいだろう」と言ったところ、ビー監督も同意し、この楽曲を使うことになったのだという。

最後に、「3Dは上映の機会が限られる面もあるのでは」と観客から指摘されると、「いいご質問をありがとうございます」と答えるシャンさん。中国では80~90%の映画館が3Dに対応しているので問題はない。しかし、例えばフランスでは40~50%と各国で状況が異なる。そのため、2D版と3D版の両方を提供することにしているが、「製作サイドとしては、できるだけ3Dで観てもらいたいと考えています。これは技術的な面ではなく、映画の美術を追求した結果、3Dの方がいいと判断したためです」と訴えた。
なお、本作は2019年夏に日本の劇場公開が予定されている。ビー監督の長編第1作『凱里ブルース』(15)も併せて公開される可能性があるとシャンさんから発表されると、会場からは一際大きな拍手が起こった。

※深夜にもかかわらず多くの方が残ってQ&Aに参加してくださいました。
文責:宇野由希子 撮影:明田川志保

【レポート】『シベル』Q&A

11月21日(水)、有楽町朝日ホールでコンペティション作品の『シベル』が上映された。本作は、トルコの山岳地帯にある村を舞台に、言葉を喋れない少女シベルの逞しい生き様を通じて、様々な問題を浮き彫りにしたドラマ。上映後には共同で監督を務めたチャーラ・ゼンジルジさんとギヨーム・ジョヴァネッティさん、そして主人公シベルを演じたダムラ・ソンメズさんがQ&Aに登壇。客席からの質問に答える形で、作品の舞台裏を語ってくれた。

 これが三作目となるチャーラ・ゼンジルジ監督とギヨーム・ジョヴァネッティ監督のコンビは、前作「人間」を全編日本で撮影している。そこでまず、ジョヴァネッティ監督が「5年前、日本で映画を作りました。今日は東京に戻ってこられて幸せです」と日本語で挨拶した。

Q&Aでは、まずジョヴァネッティ監督が物語の舞台となった地域について説明。豊かな自然と森の風景が印象的なこの村が存在するのは、トルコ北東部の黒海に面した山岳地帯。トルコの他の地域と比較して森林が多いのが特徴で、その反面、生活するには厳しい環境でもある。「そういう地形的な事情により、人々は昔から口笛で会話する文化を育んできました」。その口笛を使った独特の会話法は、本作で重要な位置を占める。口のきけないシベルは、全ての会話を口笛で行なうからだ。

シベル役のダムラ・ソンメズさんは、劇中でその口笛を見事に使いこなし、力強い演技と併せて見る者に鮮烈な印象を残す。だが、彼女にとっては「全てが初めての経験」。当初は「何から手を付ければいいのかわからなかった」のだという。そこでまず、長い時間を掛けて監督たちと一緒に口笛で会話する文化について学び、自分のリズムで喋れるように、言葉を口笛に「翻訳」する作業を実施。さらに、ひとつひとつの動作と口笛のタイミングがシンクロするまできめ細かい練習を積み、シベルという主人公が出来上がった。

ゼンジルジ監督は、そんなソンメズさんについて「信じられないほどの努力を積んだ」と絶賛。これに応えてソンメズさんが劇中と同じように口笛を吹くと、客席から大きな拍手が送られた。
さらにゼンジルジ監督は、日本人に馴染みの薄いトルコの村を舞台にしたこの物語で描かれた社会的な問題について説明。
「映画を製作する時は、地域性を意識しながらも、普遍的に描くことを心がけています。この作品で扱った問題は、トルコに限らず、全世界で起こり得る事」と前置きした上で、2つの問題を挙げた。

まずひとつ目が「女性に対する社会の不平等」。近年は世界的な問題でもあるだけに、「もしかしたら、日本も似たような状況にあるのでは」と指摘した。
さらに、2つ目の問題として「父権社会、家父長制が女性に与える影響」を挙げると同時に、「父権社会、家父長制が男性に与える影響も意識した」と補足。そして、「どれほど(女性を公平に扱う)進歩的な家庭で育った男性でも、社会に出て何らかの問題に直面した時は、元に(旧態然とした家父長制、父権社会的な態度に)戻ってしまう可能性がある」と問題を提起した。
この他、ヨーロッパでインディーズ映画を作る難しさや合作映画におけるプロデューサーの重要性など、日本では知りえない欧州の映画製作を巡る事情についても説明。数々の質問に、予定時間をオーバーしながらも丁寧に応じてくれた。
『シベル』は11月23日(金・祝)21:15より、TOHOシネマズ日比谷12にて2度目の上映がある。上映後の舞台挨拶では、この3名に加え出演のエルカン・コルチャックさんも登壇予定だ。
取材・文:井上健一 撮影:明田川志保

【レポート】『轢き殺された羊』Q&A

11月20日(火)、有楽町朝日ホールにてコンペティション作品『轢き殺された羊』が上映された。チベットの荒地で、トラック運転手のジンパは同じ名を持つ男を車に乗せる。彼はこれから父の仇を討ちにいくのだという。カラーとモノクロ映像を挟み、二人の出会いを現実と幻想を入り交えながら描いた。上映後のQ&Aにはペマツェテン監督と、録音技師のドゥカル・ツェランさんが登壇した。

ペマツェテン監督は、東京フィルメックスのコンペティションへの参加は3回目となる。過去に『オールド・ドック』(11)では最優秀作品賞を、『タルロ』(15)では最優秀作品賞及び学生審査員賞を受賞している。ペマツェテン監督は、「フィルメックスにまた新作を持ってこられて嬉しいです」とコメント。ドゥカルさんは、「フィルメックスへの参加は初めて。皆さんと一緒に映画を観られて嬉しいです」と挨拶した。

本作は二つの短編小説が原作となっている。一つはツェリンノルブさんの『人殺し』、もう一つはペマツェテン監督の『轢き殺された羊』だ。数年前に『人殺し』を読んだ監督はぜひ映画化したいと考えたが、5000~6000字程度と短い小説だったため、それが難しかった。そこで、自身の短編小説と組み合わせることを思いつく。『人殺し』は父の仇を討とうとする男、『轢き殺された羊』は轢き殺した羊の魂を来世に送ろうとする男の物語であり、その二つを軸に話を構成した。

脚本が完成したのは4年前。その頃、ウォン・カーウァイ監督の製作会社ジェット・トーン・フィルムズがチベットを題材にした作品を撮りたいと考えていたため、ペマツェテン監督に声が掛かった。一度ロケハンに行ったが、その時は作品として成立しなかった。脚本を練り直し、申請が通った結果、ウォン監督がエグゼクティブ・プロデューサーとして制作に参加することになったという。

映画の冒頭には、チベットの箴言が登場する。「夢を話しても忘れられる。夢を実行したら覚えられる。関係ができると、私の夢はあなたの夢になる」。これは、チベット族の間では共有されている概念だが、チベット族以外の人にはこの映画で語ろうとすることは分かりづらいかもしれない。そう考えたペマツェテン監督は、物語をリードし、映画の雰囲気をつくる要素として、この箴言を冒頭に置いたのだという。

「この作品を観た人は、トラック運転手のジンパの夢の中に、復讐をしようとしているジンパが出てくると考える人もいるかもしれません。夢か現実か、映画の中でははっきりと語っていません」とペマツェテン監督は言い、解釈は観客に委ねたいと語った。狙いは映画自体がまるで夢であるかのようなイメージで撮ること。「二人のジンパは表裏一体で、一人の人間の両面を表しているともいえる。物語を強化すると共に、荒唐無稽な雰囲気も出したかったため、主人公の名前を同じジンパにしました」とペマツェテン監督は明かした。ジンパには、チベット語で「他者のために施しをする」という意味がある。「互いに名前を尋ねるシーンでは、二人が対になるように撮影しました。鏡に映った一人の 人物の両面であるように表現したいと思ったからです」

エンドロールで流れる主題歌も印象的だ。これはチベットの「西蔵病人」というバンドの楽曲で、「悔いの中で人生を送る」という歌詞のテーマが映画に登場する人物の心情とも合うことから選んだ。歌手は、主役のトラック運転手を演じた俳優ジンパさんの実弟だという。

ペマツェテン監督がプロデューサーを務めた、ソンタルジャ監督の『草の河』(15)でも、音響・音楽を担当しているドゥカルさん。現在、監督として準備中の一作があり、年末から撮影に入る。音楽の要素を盛り込んだロードムービーで、遊牧民を描く。ジャ・シャンクー監督がエグゼクティブ・プロデューサーを、ペマツェテン監督がプロデューサーを務める予定だ。ドゥカルさんは、「新作を持って、またフィルメックスに来たい」と決意を語った。作品の上映を楽しみに待ちたい。

文責:宇野由希子 撮影:明田川志保

【レポート】『幸福城市』Q&A

11月20日、有楽町朝日ホールにてコンペティション作品『幸福城市』が上映された。

本作は、2056年という近未来の台北を舞台にした刑事の物語から、現在、過去と主人公の人生を遡る3部構成の作品。監督、脚本、編集を担当したホー・ウィデン監督の長編3作目で、トロント映画祭のプラットホーム部門で最優秀作品賞を受賞した。上映後のQ&Aにホー監督が登壇し「本日はせっかくのいいお天気の中、こんな暗い映画を見にきていただきありがとうございます」と会場の笑いを誘った。

映像美やカメラワークが印象的な本作はフィルムで撮影された作品。市山尚三東京フィルメックスディレクターからフィルムでの撮影を選んだ経緯を訊かれたホー監督は、フィルム撮影が得意で、今までも3本の作品を35mmフィルムで撮影してきたという。「パリのラボで大量の富士フィルムが見つかり、誰も使わなかったら劣化してしまうので使いたいと思って。台湾にはまだ現像所もあるし。35mmフィルムを使ってみたいという若手作家がいたら、高いからやめた方がいいと止めるのではなく、どこかに未使用のフィルムがあるかもよ、と言いたい」と微笑んだ。

会場からの質疑応答では冒頭から多くの手が上がった。最初の質問は、全編を通して効果的に使われていた主題歌について。台湾では80年代を代表する有名な曲で、歌手のリウ・ウェンジェンさんの曲だそう。「主題歌には、母親を象徴するような、母親の時代の曲を探していた。編集中に見つけたこの曲は、”私に愛を与えすぎないで”(原題:愛不要給多太)という曲名もストーリーにぴったりだった」と明かしてくれた。

第1部の初老のチャン役はホウ・シャオシェン作品の常連でもあるガオ・ジェさん。彼と同世代の役に、台湾のロックバンド「メイデイ(五月天)」のストーンさんをキャスティングした経緯について訊かれると「台湾で希少な”いぶし銀”的な俳優、ガオ・ジェさんはすぐ決まった。ストーンさんにこの役をオファーしたのは、一見、悪者に見えない、でも心の底に何かありそうな人物像が、たまたま見つけた彼の雰囲気にぴったりだったから。お金持ちで表面的にはいい人そうだけど、悪者っぽい感じが良かった」とホー監督。物語については、偶然が多すぎるなど批判もあったが、台湾で実際に起きたニュースを元にしていると説明した。

未来、現在、過去と時系列を遡る構成は、シャワーを浴びている時に思いついたというホー監督。「この手法は、イ・チャンドン監督の『ペパーミント・キャンディ』(99)のようだと言われることもあるが、もっと昔のジェーン・カンピオン監督の『ルイーズとケリー(原題:Two Friends)』(86)で使われたのが最初だと思う。その後、ギャスパー・ノエ監督の『アレックス』(02)にも影響を受け、いつかこの手法で撮りたいと思っていた」と述懐。

撮影監督にフランス人のジャン=ルイ・ヴィアラールさんを起用した理由、フィルム撮影の魅力については「映画におけるヨーロッパの審美眼が素敵だと思っている。パリで大量のフィルムを発見してくれたのも彼だ。私はデジタルでしゃれた映像をとる人ではなく、フィルムでしっかり撮影できる撮影監督を起用する。フィルムの柔らかい雰囲気が好きだ。デジタルの時代は、明るく、シャープに、クリーンに、という整った映像ばかりにこだわっている。そもそも、映画製作とは未完成なものだと思っている。ピントが合っていないとおかしいという人もいるが、私はそれこそが映画だと思う」と監督自身の映画への思いを語った。シーン毎にメイク直しされた顔も不自然に映るので、俳優たちにはできるだけノーメイクで演じてもらったというエピソードも。

最後に、ホウ・シャオシェン監督の『悲情城市』が想起されたという観客からタイトルについて訊かれると「今の中国には、消費者心理を惹きつけるために”幸福”という広告コピーが街中に溢れている」と原題のヒントを明かした。英題の「Cities of Last Things」については「作家のポール・オースターが好きで、彼の作品「最後の物たちの国で (原題:In The Country of Last Things)」の語感が良かった。「最後の物」には宗教的な意味合いがあり、天国と地獄、審判、死、という4つの要素を指している」と説明。ここで惜しくも時間となり、活発な質疑応答が終了した。
本作品は、11月21日(水)21:15よりにTOHOシネマズ日比谷12にて再上映される。

文責:入江美穂 撮影:吉田(白畑)留美

【レポート】『幻土(げんど)』

11月19日(月)、有楽町朝日ホールにてコンペティション作品『幻土』が上映された。シンガポールの刑事ロクは、埋立地の建設現場で働く中国人移民労働者ワンの失踪事件を担当する。次第に明らかになっていく男の過去。上映後のQ&Aにはヨー・シュウホァ監督と、撮影監督の浦田秀穂さんが登壇した。

ヨー監督は、東京フィルメックスの映画人材育成プログラム「タレンツ・トーキョー2015」の修了生でもある。「この映画の企画は、タレンツ・トーキョーから始まりました。完成した作品をフィルメックスのお客様に観ていただけて嬉しいです」と挨拶し、企画の着想を語った。
「原題『A Land Imagined』は、私が魅了されている母国シンガポールを表しています。シンガポールは50年以上前の植民地時代より、他国から輸入した砂で土地を埋め立て、今では国土を25%拡大しています。人口の1/4が移民であり、重労働者の99.9%が移民です。シンガポールを描くには、彼らの物語が欠かせないと思いました」

浦田さんは、2011年からシンガポールのラサール芸術大学で教授を務めている。脚本の草稿は3年前に受け取り、クランクイン前に6~8ヵ月かけて監督と撮影場所を探した。監督からの唯一のリクエストは、「今まで見たことのないシンガポールの夜を撮ること」。美術監督はイギリス人、プロデューサーはスペイン人であり、浦田さんは「僕も含めてアウトサイダー的なスタッフを集めたのではないか」と指摘する。撮影では事前にカット割りはせず、現場で決めたという。

劇中では様々な音楽が使われている。観客から「途中で懐かしい感じのする曲が流れましたが、選曲の理由を教えてください」と尋ねられると、ヨー監督は「夢の世界を作り上げるため、記憶の引き金となるような音楽を選びました」と明かした。「ご質問いただいた曲は、80年代の日本の曲をマレーシア人の歌手がカバーし、台湾で人気を博したバラードです。そういうミックスされた要素も、この作品にぴったりだと思いました」

現実的な労働問題に、幻想的な夢の要素を取り入れた理由について、「敢えて違う手法で撮りたかった」とヨー監督。「シンガポールは、繁栄しているという意味で夢の都市といわれますが、埋め立てによって自らをつくり直し続け、変容する国でもあります。たった数年で国の形が変わります。そこで生きる私自身が、いつも夢の場所にいるかのようなふわふわした感覚を味わっています。足元にあるのは堅固な土ではなく、砂です。映画をつくる過程で様々な移民労働者に会いましたが、面白いことに彼らもシンガポールでの生活は夢の中にいるようだと言っていました。私自身の立場は映画の刑事ロクと同じ。移民労働者と背景は違いますが、映画では夢で皆の意識を繋げました。厳しい労働環境だけでなく、シンガポールで生きるという経験を表したかったのです」

ヨー監督の発言を受けて、浦田さんは「中国語のタイトル『幻土』の『土』には、マイノリティーという意味もあります。刑事ロクは、シンガポールのメタファーと捉えて撮影しました」と解説。「実は許可が下りず、きれいな景色はほとんどマレーシアで撮っています。そういった意味で、現実的な描写とコントラストが生まれたと思います。シンガポールに山はありません。そういったことも含めて、この映画は監督が夢見たシンガポールだったんでしょうか?そうですよね?」と浦田さんが念押しすると、会場から笑いが起きた。

ヨー監督は「そうです。かつてはシンガポールにも山があったのですが、埋め立てで平地になりました」と同意。「私は前作でドキュメンタリーを撮り、半分はドキュメンタリー作家という意識があります。撮影の制約はありましたが、できるだけリアルなシンガポールを捉えたいと思い、様々な手法を使いました。主役以外は本物の移民労働者です。それは作り物ではいけないと思ったからです」
本作は第71回ロカルノ国際映画祭で金豹賞、第63回バリャドリッド国際映画祭で撮影監督賞を受賞。『幻土』は11月22日(木)、有楽町朝日ホールでも上映される。

文責:宇野由希子、撮影:村田麻由美、明田川志保

【レポート】『マンタレイ』Q&A

11月19日(月)、有楽町朝日ホールでコンペティション作品の『マンタレイ』が上映された。本作は、世界的に注目を集めるロヒンギャ難民の問題を念頭に、1人の漁師と彼に助けられた男、そして漁師の別れた妻が織り成す人間模様を綴ったドラマ。上映後にはプッティポン・アルンペン監督がQ&Aに登壇し、客席からの質問に答える形で、作品に込めた思いを語ってくれた。

登壇したアルンペン監督はまず、「ロヒンギャ難民に捧ぐ」と冒頭に表示される意味を含めて、本作が誕生した経緯を語った。
企画がスタートしたのは2009年。具体的な内容は未定のまま、国境を舞台にアイデンティティをテーマにした作品を作りたいと考えていたアルンペン監督は、2010年にあるニュースを目にする。それが、迫害を逃れてミャンマーを出国したロヒンギャの難民300人が、タイから入国を拒否され、行方不明になったという痛ましい事件だった。
「国籍や宗教の違いがこの悲劇を生んだと考え、それを物語にしたいという思いから、この映画が生まれました」。

さらに、2015年にはマレーシアとタイの国境付近で、地中に埋められたロヒンギャの難民の遺体が多数発見されるという衝撃的な事件も発生。この事件も映画に取り入れたいと考えたアルンペン監督は、発光する石や赤ちゃんの人形など、地中から様々なものが出てくるという形で表現している。
また、本作で強い印象を残すのが、夜の森に浮かぶ色とりどりの光や色彩感覚に溢れた遊園地の照明など、随所に盛り込まれた鮮やかな光のイメージ。
ここには、アルンペン監督自身の体験に基づく思いが込められている。2009年にタイとミャンマーの国境地帯を旅した時のこと。国境を守る施設もなく、警備の兵士すらいない場所に辿り着いたアルンペン監督が目にしたのは、モエイ川という小さな川。そこでは、タイ側からやって来た少年2人と、ミャンマー側の少年1人が、一緒に仲良く遊んでいたのだという。
「その時、感じたのです。想像上の国境や私たちを隔てる線のようなものは、実際には存在しないのだと。その想いを映画的言語に落とし込もうとした結果、生まれたのがこの光を使った演出です。有機的で美しい森に、人工的なLEDの光が入り込む様子が、それを象徴しています」。

タイトルになっている「マンタレイ」とは、日本名「オニイトマキエイ」という巨大なエイの一種を指す。劇中ではラストにそのイメージが挿入されるが、ここにも監督の深い思いが。
ダイビング好きなアルンペン監督は、2009年に初めて訪れたアンダマン海でマンタレイに遭遇する。未知の生物だったために恐怖を感じたものの、「後で調べてみたところ、実はとても人なつこい生き物だと分かりました」。
タイトルは、その時の経験からつけられた。未知の相手に対して、無条件に恐怖を感じる人間の性質を実感したアルンペン監督の中で、それがロヒンギャの問題と結びついたに違いない。

この他、漁師の妻役にタイの有名な歌手を起用したというキャスティングの裏話や、フランスなどとの合作映画になった経緯など、アルンペン監督はひとつひとつの質問に丁寧に回答。Q&Aは短いながらも充実した時間となった。

取材・文:井上健一、撮影:明田川志保

【レポート】『空の瞳とカタツムリ』舞台挨拶、Q&A

11月18日(日)、有楽町スバル座にて特別招待作品『空の瞳とカタツムリ』が上映された。上映後、舞台挨拶とQ&Aが行われ、斎藤久志監督、出演者の縄田かのんさん、中神円さん、藤原隆介さん、脚本を担当した荒井美早さんが登壇した。

左より斎藤監督、縄田さん、中神さん、藤原さん、荒井さん
斎藤監督より「どういう感想を持たれたかぜひお聞かせいただければ」と一言。本作が初めての主演作であった縄田さんは「撮影期間は10日間で、本当に濃い毎日でした」と振り返り、「役と自分が同化する瞬間や、観ている景色、光、匂い、空気が触れる瞬間を味わうことができて、贅沢でかけがえのない瞬間を経験させてもらった」と挨拶。初めてセリフのある役をもらったという中神さんは「斎藤監督はカメラを回すまでのテストを何回もするので、映画でこんなにカメラが回らないものなんだ」と思ったそうだ。初めて映画出演となった藤原さんは「オールアップがちょうど19歳の誕生日でその日に、濡れ場のシーンがあって、前貼り記念で19歳になった壮絶な誕生日でした」と笑いながら話し、「スタッフさんから貰ったケーキと花束をもらって、それを見ながら僕は役者で生きていこうと覚悟した作品」だと語った。荒井さんは「不器用な人たちもいるんだと思ってもらえたらうれしい」と挨拶した。




そのままQ&Aに移り、市山尚三東京フィルメックスディレクターが作品制作の経緯を尋ねたところ、アクターズ・ビジョンのワークショップから始まったそうだ。「相米慎二さんが遺したタイトル案である『空の瞳とカタツムリ』で荒井さんに脚本を書かないかという話が荒井さんに伝わって物語が出来上がりました」と斎藤監督。続けて、市山ディレクターがタイトルからインスピレーションを得て書いたのかという問いに「タイトルをいただいた時に、カタツムリのことを調べました」と荒井さん。調べるとカタツムリが交尾をする時、恋矢(れんし)という生殖器官を頭に突き刺すことを知り、その恋矢を突き刺すことは相手の寿命を低下させることを知って、本作を着想したそうだ。

本作は縄田さんをキャスティングすることは早めに決まっており、脚本が出来上がった時に、ワークショップに受講していた中神さんが決まったそうだ。中神さんは「もともとワークショップの時は縄田さんが演じた役を与えられていて、縄田さんがその役に決まったので、もう一人が決まらなくて、オーディションすることになり、立候補しました」と配役のエピソードを話してくれた。

リハーサルも本番テイクも重ねる制作方法に質問に対し、斎藤監督は『サンデイドライブ』(2000)まではフィルムでテイクをあまり重ねることはできなかったが、デジタル以降はそれが可能になったと前置いたうえで、「演じるということより、そこに存在してほしい、芝居しているかわからなくなるくらい彼女たちを麻痺させたいという想いが伝わっているのでは」と斎藤監督は話した。
作中の2人の女性が再会するのではという質問に荒井さんは「10代、20代は付き合ったり別れたりしてたんですけど、30代になってまた一度別れても40年後に会うことができるのかもしれないように、2人はまた出会うかもしれないです。出会うことができなくても別の人の中に生きていて出会うことができるのだと思います」と答えた。
作中に出てきた映画館はどこにあるのか、という質問が上がり、斎藤監督は「あれは高崎電気館という場所で、今は映画館として機能していませんが、イベントとして高崎映画祭で使用される場所です。映画館のシーンは朝から夜中の2時までかけて撮影しました」と回答した。
市山ディレクターが映画評論家の宇田川幸洋さんが出ていられましたね、とコメント。それを受けて、「宇田川さんは面白い人で、過去にも作品に出てもらったのですが、今回もお願いして高崎まで来てもらいました」と斎藤監督。
本作が映画初出演の縄田さん、中神さん、藤原さんの映画で演技をしたことについての質問が及び、まず縄田さんは「今までは舞台が多かったんですけど、自分の中であまり違いは感じていません。でも、撮影を経ていく上で、アンテナのようなものが張った気がします」と語った。中神さんは「今まで頭の中で役を考えて演じていましたが、すごく楽にお芝居ができるようになりました」と答えた。藤原さんは「演じていたというより、存在しようって思いました」と語った。
作品の物語性の質問に対して、斎藤監督は「お話という部分に関しては脚本家が作っています。一緒に話しながらつくっているものもありますが、基本的に荒井さんのオリジナルストーリーです」と話したうえで、「特殊な人たちかもしれないけれど、特殊であると簡単に捉えず、存在している一人一人は誰の心の中にもある存在として、自分自身の中に投影して作っていました」と語った。
本作は2019年2月に公開を予定している。市山ディレクターが「ぜひとも知り合いの方にお勧めいただきたい」と締めの言葉を語り、会場より温かい拍手が送られた。

文責:谷口秀平、撮影:明田川志保、吉田(白畑)留美

【レポート】『共想』舞台挨拶、Q&A

11月18日(日)、有楽町スバル座にて特別招待作品『共想』が上映された。本作は『あれから』(2013)、『SHARING』(2014)(第15回東京フィルメックス特別招待作品)に続く東日本大震災を見つめた篠崎誠監督の最新作だ。上映に先立ち舞台挨拶が行われ、篠崎監督、善美役の矢﨑初音さん、珠子役の柗下(まつした)仁美さん、さらに櫻井保幸さん、大杉樹里杏さん、播磨誌織さん、村上春奈さんが登壇した。
挨拶の前に、市山尚三東京フィルメックスディレクターが本作は出来上がったばかりでこの後も変わるかもしれないというギリギリで完成した作品だとコメント。

第1回、第15回に続き第19回東京フィルメックスに参加することとなった篠崎監督は「東京フィルメックスに帰ってくることできて嬉しいです」と喜びの言葉が。また本作品はとても小さな作品だと表現し、「市山さんが観た段階から、ワンシーン増やしました。数日前に出来上がった作品で、まだ僕しか観ていません」と語った。矢﨑さんは「小さな映画ですが、私の中で大切にしたい作品」と話し、柗下さんは「タイトルの通り、皆さんと一緒に大切な人や会えなくなってしまった人を共に想える作品だと思います」と話した。櫻井さんは「すごい心に残る作品」、大杉さんは「演者、スタッフが一人一人自分たちの役割を考えて作った作品です」、播磨さんは「伝えられることは言いたいことは大事に言わないといけないと思えることができる映画です」、村上さんは「篠崎先生は大学の先生で、大学に入学したての頃に撮影に呼ばれて、撮影が始まって、試写が始まって、舞台挨拶をしているのでとても緊張しています」と想いを語った。

上映後、質疑応答には篠崎監督、柗下さん、矢﨑さんが登壇。本作品が持つ雰囲気は脚本の段階から考えていたのか、編集の段階で作ったのかという質問が上がると、「最初から最後まで書いたシナリオではなくて、ワンシーンだけセリフはしっかり書かれていて、あとは大体の展開を考えて、説明しました」と篠崎監督。また柗下さんと矢﨑さんに本作撮影の前に3月11日に何をしていたのかをインタビューをするところから始めたそうで、矢﨑さんは「1回目は実際に自分たちが経験した話を撮影して、その後、善美はこうだ、珠子はこうだったというのを付け加えて、2回目で実際役を通して撮影しました」と語ってくれた。出演者に「こういう経験はありますか」と聞いて、それを踏まえて矢﨑さんや柗下さんと話して、さらに撮影当日に2時間くらい話して、テストなしで本番撮影を行ったそうだ。「なので、脚本の段階というより、撮りながら考えて作っていきました」と篠崎監督は語った。また編集の段階でも順番を変えたり、一回撮影したものを落としたり戻したり、悩みながら作っていくうちに作品の雰囲気が形作られていったと話していた。

本作から2人でいることについての映画だと感じた観客より、監督や出演者にとって、2人でいることの意味について質問があった。回答に当たって、矢﨑さんが自分と柗下さんが同じ専門学校出身の友達同士であることや、ラストシーンは撮影の2日目、3日目の早い段階で撮影したというエピソードを語り、「自分たちのどこがゴールなのかわからない状態でラストシーンを撮ったのですが、柗下さんとの関係もあって、珠子が柗下さんで良かった。ラストシーンが2人で居る意味の答えになって、そこに向かってどんどん映像を埋めていったって感じです」と振り返っていた。柗下さんも「矢﨑さんじゃないと成立しませんでした。何もセリフを決まっていなかったんですが、私がしゃべったらそれに応えてくれると信頼して委ねていたので、2人でできてよかったです」と語った。篠崎監督は「2人は僕が言ったことを覚えてくださって、頑張ってくれていました。(撮影時は)緊張しながら観ていて、ラストシーンでは2人の何年か積み重ねがちゃんと映っていて、僕はカメラ脇で観てて泣きそうになりました。そのシーンを見た時、この映画は出来た。ここに向かっていければいい」と話した。

作中に出てきた詩についての質問があり、詩は篠崎監督の娘が小学校の時に学校の課題で書いた詩で、非常に印象に残ったそうで、「いつか映画で使ってもいいと、許諾を得たんです」と言うと会場から笑い声が。続けて「この映画を撮った時に、これはいいかな、と思って使った」と答えた。
ラストシーンは丘で撮影した理由を聞かれ、篠崎監督が学生時代、『おかえり』(1996)で撮影に使用した場所であり、35年かけて3回撮影しているエピソードを語ってくれた。また、本作は室内で撮影する映画なので、最後は広い場所で終わりにしたいと考え、採用したそうだ。
今作はエチュードの手法が取り入れられた経緯を問われると、「1本撮り終えてから次の映画まで時間がすごくかかります」と語り「もう少し身軽にとは言わないのですが、かつて中学校の時に8mm映画を撮った時は、同級生に『今日夕方空いてる?』と声をかけて、そこで集まったメンバーの顔を見ながら即興で話を作っていたのを思い出し、その場で『一緒に何かやりませんか』と言って、『いいよ』って言ってくれた人たちとやってみたい」と話した。
2017年3月に撮り始めて、今まで時間をかけるつもりはなかったが、「自分の中で映画が終わり切れていないという想いが消えずにいて、無理やりまとめるより、少し距離を置いて作ろう」と思ったそうだ。「本来はデッサンとかエチュードのつもりでしたが、結果としてものすごく中断しつつ長い映画になりました。そうしないと次の映画が作れないような気がしました」と篠崎監督。
質疑応答後、篠崎監督は東京フィルメックスのスタッフ、本作品に携わってくれたさまざまな人への感謝、何らかの形で本作品を上映したいと想いが述べられた。東日本大震災を通じて変化していく人々を描く篠崎監督の作品に胸を打たれた観客から盛大な拍手が送られた。


文責:谷口秀平、撮影:明田川志保

【レポート】『コンプリシティ』舞台挨拶、Q&A

11月17日(土)、有楽町スバル座にて近浦啓の長編デビュー作『コンプリシティ』が上映された。本作はトロント国際映画祭でワールドプレミア上映され、続いて釜山国際映画祭の「アジア映画の窓」へ出品、日本国内では初の上映となる。昨今、社会問題と化している失踪した技能実習生を主人公に、異国の地でどう行きていくか、普遍的な物語を描いた意欲作だ。他人になりすまして蕎麦屋に住み込みで働き始める中国人青年チェンを中国人俳優ルー・ユーライが演じ、寡黙な蕎麦屋の主人役を藤竜也が演じる。上映に先立って近浦啓監督、藤竜也、赤坂沙世、松本紀保の舞台挨拶を行われた。

藤竜也さんはルー・ユーライさんとの共演を振り返り「非常に新鮮な現場でした。ユーライさんは当然ながら日本語はしゃべれません。共通語はお互いの不確かな英語です。でも、基本的に俳優として難しいコミュニケーションをとる必要はないんです。演じる上で、何となく分かり合えちゃうんですよね」と両社の間に役者同士の通じるものがあったと語った。

赤坂沙世さんは、「ユーライさんは悪夢除けのために、日本の5円玉みたいなのを枕の下にいれて寝ていて、それをホテルに忘れてきちゃって大変だった」とエピソードを語り、会場の笑いを誘った。蕎麦屋の娘役を演じた松本紀保さんは「わたしは蕎麦屋の娘でユーライさんにいろいろ教える役でしたが、オフの時でも日本語を覚えようと一生懸命な姿が印象的でした。普段のにこやかな印象と撮影前の真剣な表情のギャップに驚きました」と語った。

近浦監督は「この映画で描いた技能実習生、不法滞在者については、最近ニュースでよく話題になっています。しかし、この映画では社会的なテーマではなく、もっと小さな物語、彼らが何らかの理由で姿を消し不法滞在者になったあとに、どう異国の地“日本”で生きていくかを描きたいと思いました」と述べた。

上映後のQ&Aでは、近浦監督と藤さんが登壇した。藤さんの出演のきっかけは「会いたい人に会いにいく」がテーマの近浦監督が立ち上げたインタビュ−サイトだったと明かした。それを発端に、近浦監督による『Empty House』という20分の短編に藤さんは出演、続いて製作した『SIGNATURE』という短編では、本作の主人公チェン・リャンの前日譚が描かれる。藤さんは本作のオファー時にこれを観て「すごく感動した、ルー・ユーライが説明出来ないような不思議な存在感で、なんて悲しそうでせつない顔をしているのだろう」とユーライさんに魅了され出演を快諾したという。

会場からは、「技能実習生の失踪というタイムリーなテーマですが、参考にしたものがありますか?」と質問があがると、近浦監督は「2014年に起こったベトナム人の技能実習生が農家で育てていたヤギを除草剤で殺して解体して食べたというニュースがあって衝撃を受けました」と答えた。それをきっかけに、監督は技能実習生の制度の仕組みを調べ、そして多くの実習生が失踪し、年々その数字が上がっている状況を知る。「失踪したあと、彼ら、彼女たちはどのように生きただろう」と想像をふくらますことが着想のきっかけとなった。彼らの置かれている状況や故郷に帰れない理由を聞き、取材を重ねていくことで映画の構想へと連なっていく。それから「藤竜也さんに出演してもらうために、藤さんに何の役を演じてもらおうか?」と考え、最終的に蕎麦屋の職人に決めたという。

「僕は職人の役が大好きです」と答え、以前出演した映画の中華料理人の役づくりについてのエピソードを披露。「プロの中華の大先生からワンツーマンで五ヶ月半、中華料理のすべてを学びました。オファーが来た時は、次はそばの練習が出来るんだ!って喜んだ」とのこと。蕎麦屋の主人役の役づくりについては「現実は実習生の様々な問題があるんでしょうけれど、僕が演じる親父はそういう事をなにも知らないと思う。だから僕自身がきちんと蕎麦を打てるようになってしまったら、あとは何も考えない。その親父にまかせようと思いましてね、全部即興で演じて、蕎麦だけはひたすら必死に打ちました。全部で70キロくらい打ちましたね」藤さんの蕎麦づくりの打ち込む様は、普段厳しい蕎麦の先生が驚くほどで、そのプロさながらの手さばきに免許皆伝も近いと監督は加えた。

会場から「中国との製作の上で大変だったことは?」と聞かれ、「中国との国際共同製作と言葉だけ聞くとおおげさな感じはしますが、端的に言うと親友の中国人の映画作家と一緒に作った形です。彼にも話を持ちかけた時、『この映画にはナイーブな部分もあるけど、描かれているのは人間と人間の普遍的な関係だ。これは、お互いの国で絶対上映しよう』という小さなところからはじまりました。現場では、もちろんクリエイティブな意見の衝突はありましたが、撮影でも編集でもすごくよい関係の中で作れました」と映画製作の上では、国家間の壁がなかったことを語った。
文責:松下加奈 撮影:吉田(白畑)留美

【レポート】『期待』Q&A

11月18日(日)、有楽町・朝日ホールにて、「特集上映 アミール・ナデリ監督」から『期待』('74)が上映された。本作は、1970年代にイランで撮影されたナデリ監督の初期作品の一つ。東京フィルメックスではすっかりお馴染みの顔となったナデリ監督は、上映前に、にこやか登壇し、初期作品の上映の機会を得た喜びと感謝を述べた。古い映画をイランから持ち出すのは難しいそうだが、今回はイラン側の協力を得てDCP上映が実現した。

上映後に再び登壇したナデリ監督は、自伝的作品としての本作の背景を語り始めた。イラン南西部にある石油産業の町アバダンで生まれ育ったナデリ監督にとって、子供の頃の思い出といえば石油の匂いだったとか。砂漠と海はあるが緑はなく、水や氷はとても貴重なものだったそうだ。劇中の設定どおり、子供の頃は、おばあさんの言いつけでガラスの器を持って氷を買いに行き、誰よりも先に冷たい水で喉を潤すことが楽しみだったという。そして、氷で満たされたガラスの器を渡されるときには手しか見えないが、その手の女性に恋心を抱いていたとも。イラン・イラク戦争が始まってから、その氷をくれた家を再び訪れたそうだが、すでに一部が崩れ、誰も住んでいなかったという。

ガラスの器に反射する眩しい光の場面が印象に残るが、全編を通して、人工的なライトを加えずに、自然の陽光のみで撮影したそうだ。ナデリ監督は、久しぶりにこの作品を鑑賞しながら、今の自分がこの作品をもしリメイクするならばどうするだろうかと考えていたそうだが、「ワンフレーム違わず、まったく同じものを撮ると思います」と本作に対する自信をのぞかせた。そして、『CUT』(’11、第12回東京フィルメックスにて上映)の美術監督を務めた磯見(俊裕)さんにこの作品を捧げたいと述べ、来場していた磯見さんに会場から拍手が贈られた。
続いて、少年が遭遇する宗教的な儀式について質問があがった。この儀式は年に1回イランで行われている渇きや水をテーマとした祭りで、男性は屋外で、女性は屋内で儀式を行うとのこと。ただ、子供の頃に見ていた儀式のイメージを映像化することに苦心したそうだ。そして、「渇き」という話の流れでは、「今の自分は水を欲しがっているのではなく、ただ映画を作りたいだけ」と映画制作への熱い想いをあらためて語ったナデリ監督。

また、この作品はどこかファンタジックなもののように見えるが、現地ではリアルなものとして見られるのかという、作品のとらえ方についても話が及んだ。実は、この作品を制作していた頃、溝口監督に憧れていたというナデリ監督。この作品はすべてリアルなものを映し出しているが、溝口監督がよく使っていたゴーストのような感じ、夢の中のような感じが映像に出ているという。「誰か気付いてくれないかなと期待していたのに…」と茶目っ気たっぷりに残念がる一幕も。

「この頃の作品は自分が欲するものや希望がテーマで、その後はどうやって生き延びるかということがテーマでした。『山<モンテ>』(’16、第17回東京フィルメックスにて上映)の後は、原点に戻りたいと思いました。新作の『マジック・ランタン』(’18、第19回東京フィルメックスにて上映)は、『期待』の続きとなるものです。ぜひご覧ください」と述べ、Q&Aを締めくくった。
本年の東京フィルメックスでは、「特集上映 アミール・ナデリ監督」と題して、ナデリ監督の新旧合わせて5作品を紹介する。11月20日には『マジック・ランタン』、11月23日には『ハーモニカ』(’74)と『華氏451』(’18)、11月25日には『タングスィール』(’73)が上映される。この貴重な機会を見逃さないよう、ぜひ会場へ足を運んでいただきたい。


※ロビーにある『マジック・ランタン』のポスター前で
文責: 海野由子 撮影: 村田麻由美