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『メコンホテル』アピチャッポン・ウィーラセタクン監督Q&A
from デイリーニュース2012 2012/11/26
11月26日、有楽町朝日ホールにて特別招待作品『メコンホテル』が上映された。上映後にはアピチャッポン・ウィーラセタクン監督が登壇し、Q&Aを行った。本作品が友人たちとの親密な関係性の中で完成したことに触れ、「この作品で再び東京フィルメックスに戻ることができたことは、大きな喜びです。今日の会場は、まるで家族の集まりのよう」と挨拶した。
アピチャッポン監督と聞き手の市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターが登壇すると、早速観客との質疑応答へ。
まず「夢のような印象の作品だと感じた。監督にとっての夢について聞きたい」という質問があがった。「私にとって映画は夢の再現であり、ある部分は現実の再現です。しかし、出来上がったものは、常に夢なのです」
この作品の原点について、「舞台は場所はメコン川のほとり。私の全ての映画に出演している女優ジェンチラーの自宅を訪ねる際に、利用していたホテルでの体験をある種のポートレートとして残しておきたいと以前から考えていました。ホテルはロケ地と往復するだけの退屈な場所ではなく、ホテルの空間そのものの面白さを撮れないか、と考えたのがきっかけです」と監督。
『メコンホテル』には、2002年に書かれた「エクスタシー・ガーデン」という脚本が織り込まれている。地元の伝説にもとづいた、吸血鬼の母娘の600年に渡る物語だという。「夢のような映画であり、現実とフィクションについての映画でもある」とその世界観を語った。
次に、「ドキュメンタリーとフィクションの違いについてどう考えているのか」と訊かれると、「これは自分自身にとっても重要なテーマ」と監督。
「映画の仕事をすればするほど、自分たちはフィクションとドキュメンタリーの間を行き来しているだけではないか、と思えてきます。例えば『007』でも、俳優はある種の"フリ"を演じている。それは、"人のフリ"をしている人々を記録していると言えないでしょうか。全ての映画が、人間の営みのドキュメンタリーだと考えることも出来る。一方、今日みなさんが観た作品は、リハーサルシーンであるにも関わらず、私の意図したカメラの捉え方やカットの割り方が存在している時点でフィクションであり、本当のリアリティは存在しないのではないか、と思えてきます。さらに付け加えるなら、TVのドキュメンタリー番組でも、音響は作り直され、"現実のフリ"をして作り込まれている。リアリティはないと感じられます」。また、制作資金はテレビ局のドキュメンタリー部門が出しているので、テレビ局スタッフが「これは本当にドキュメンタリーなのか?」と心配していたというエピソードを明かし、会場の笑いを誘った。
最後に、ラオス難民を登場させた意図について「監督にとって難民とはどんな存在なのか?」という質問。
「以前からボーダー(境界)に興味があります」と監督。難民は、ボーダー(国境)を超えて移動する存在。「ラオスとタイを隔てるメコン川は、歴史的にも暴力が絡んだ事件や歴史を持っている」と自国の歴史に触れ「両国は同じ家族とも言える文化空間を持っていたが、1970年代に戦争が起こり、沢山の難民がラオスから流入した。主演のジェンチラーの父親もラオス出身であり、あるボーダーを越えて人が行き来することには強い興味がある。また、メコン川は人の遺灰を流す場所で、かつて自分の父親の遺灰を流したこともあり、物理的ボーダーであるだけでなく、生きる人と死ぬ人のボーダーでもあると思っている」とメコン川の作品中における意味を語った。
最後に監督は、作品中に流れるギター音楽を担当したチャイ・バタナさんについて、「20年ぶりに再会した高校の同級生」と紹介。「彼は私にとって、長く離れていて再会した幽霊のような人物であり、また、自分が育った小さな街の記憶を甦らせてくれる存在だった。彼に映画の構想を話した時に、音楽的なポエムを作り上げてくれた。彼は友情を繋いでくれる川のような存在であり、深く感謝している」と旧友への謝辞を述べ、Q&Aを締めくくった。
(取材・文:阿部由美子、撮影:関戸あゆみ、永島聡子)
「アピチャッポンの森」トークショーレポート
from デイリーニュース2012 2012/10/ 6
『アジア映画の森―新世紀の映画地図』(作品社)の刊行を記念し、アテネ・フランセ文化センターで開催されている「特集 アジア映画の森」。
10月6日は、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の処女作からビデオアートまでを集めた「短編集」と、2005年の中編『ワールドリー・デザイアーズ』の上映が行われた。上映後には、『アジア映画の森』の編集者である夏目深雪さん、アピチャッポン監督に関する章を執筆した映像作家・批評家の金子遊さん、映画作家の諏訪敦彦さんによるトークが行われた。
『アジア映画の森』ではアピチャッポン監督について2章が割かれている。
「金子さんには「実験映画」、諏訪さんには「森」というテーマで書いていただいた」と夏目さん。諏訪さんは「正直、アピチャッポン監督の映画は面白いけれどさっぱり分からない(笑)。謎です。「解説」しようとするつもりはありません」と、執筆の苦労を語った。
今回、初めてアピチャッポンの短編集を見たという諏訪さんは「映画を撮り始めた昔を思い出す。最初にカメラを手にした頃は、ひとりで、絵を描くように映画を撮りたいと思った。物語を作って、俳優を使って映画を撮る、ということを最初は考えられなかった」と話した。シカゴでの学生時代に撮った初期の実験的短編には、アピチャッポンがフィルムを理解するプロセスが垣間見えるという。
「留学していたシカゴ美術大学での授業で、60〜70年代の実験映画を学んで影響を受け、16mmフィルムで製作を始めたと聞いています」と金子さん。短編集で「作家としての成長が一望できる」という。
たった一人で実験映画を作り始めたアピチャッポンだが、やがてチームを作って製作するように。それに伴い、作品には物語性が増し、長編映画につながっていく。
だが、「物語性の欠如=実験映画ではない」と諏訪さん。時間芸術である映画には必ず始まりがあり、何かが映し出され、そして終わりがくる。そこでは、必然的に物語性をはらんでしまう。諏訪さんは「語ることで生まれる実験性もある。映画は物語性から逃れられないし、逃れようとする必要もない」と言う。「映画はどんな人が見てもよいもの。アート映画と商業映画が互いを軽蔑している構造が最も退屈。実験映画が「映画は一人で撮ってもいいんだ」という重要なインパクトを社会に与えた時期が確かにあったけれど、映画は、決して特権的な表現方法ではないんです」。
アピチャッポン監督にとって、フィールドワークは重要なモチーフ。アピチャッポンという「特異な作家」一人の作品というより、撮影チームや地元の住民といった複数の人々によって作り上げられている。『真昼の不思議な物体』では、「作者」が不在であり、人々との出会いによってストーリーが変容していく。「作り手はコントロールを手放し、他者にそれを委ねる。アピチャッポンの作品はこのようなプロセスによって作られている。そのアプローチは短編の『ヴァンパイア』(2008年)に顕著であり、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを獲得した『ブンミおじさんの森』(2010年)のストーリーも、地元の人々へのヒアリングによって構成されている。「その過程が最初から最後まで描かれているのが『真昼の〜』といえるのではないでしょうか」と諏訪さん。その意味で、ヨーロッパ的価値観では理解しにくい、アジア的作家であるといえる。
「アピチャッポン一人の頭の中で作り上げられた世界ではなく、開かれたものとして構想し、形にしている」。
アピチャッポンは、長編映画として作品を発表するかたわら、ビデオ・インスタレーションの制作もさかんにおこなっている。
金子さんは、「すべてのプロセスがアピチャッポンの作品となっている」と語る。インスタレーションでは、映画館で見るように観客が拘束されず、好きなように、好きな時間で見ることができる。長編作品においてもそれと同様に、意味が強制されず、観客に委ねられ、自由な見方ができるようになっている。『ワールドリー・デザイアーズ』においても、その特徴が現れているという。
次に、アピチャッポンにとって重要なテーマである「森」に話が及んだ。
やはり森を舞台としている『ワールドリー・デザイアーズ』について、諏訪さんは「人間じゃないものが見ているかのようなカメラ・アイ。誰が何をしているのかには興味がない、あるいは分かっていないかのような不思議さがある」と語り、森に潜む超越的なものの視点によって捉えられていると指摘する。その視点が何を思っているのか、こちらには理解しがたい。「森を撮っているのかと思っていたら、森に見られていたようだ」と金子さん。
カメラは、人物が消えた後も、しばらく森を映し続ける。人がいなくなかったのに、まだ何かが起こっているかのように、視点が残り続ける。そうして引き延ばされた時間に、見えないものが立ち現れる。「意味が成立する前に断片化され、映画のフレームの中に囲い込まれたものの外--意味が構成されたものの外に別の現実があることを確信させる。映像の外側に世界が立ち上がってくる」(諏訪)
夏目さんが諏訪さんに「森」をテーマに執筆を依頼したのは、『ユキとニナ』に登場する森が印象深かったためという。だが諏訪さんは、「実は、森は苦手。それなのに、物語の流れの中で森に行かざるをえなくなってしまった」と話した。
主人公のこどもたちが「親をはじめとするいろんな社会的なものから振りほどかれて、逃げ込んで行く異界の賭場口」として森を描いたという。人間の世界から隔絶しており、人間のために存在しているものではない。前も後ろもなく、どこにカメラを向けてよいか、途方に暮れる、と諏訪さん。
「南方熊楠をリサーチした際、和歌山の森を歩いた。普通、映画は単線的なもので、ある道筋に沿って進んで行くもの。しかし、熊楠の考え方のように、多くのレイヤーが折り重ねられ、曼荼羅のように互いが不可分のものとなって現れるのが、アピチャッポンの作品ではないか」
金子さんも「単なるトポスではない、重層的体験としての森」である、と応じる。「見る者が関わり、想像力を働かせる。もはや単線的なものではないという意味で、非常に現代的」。
上映は「短編集」『ワールドリー・デザイアーズ』いずれも満席。「アピチャッポンの森」に踏み入るトークは、観客との熱いやりとりを交えて二時間に及んだ。
第13回東京フィルメックスでは、アピチャッポン監督の『メコンホテル』が特別招待作品として上映される。また「タレント・キャンパス・トーキョー 2012」のメイン講師に決定している。
(報告:花房佳代)
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