水曜シネマ塾「映画字幕翻訳セミナー」
TOKYO FILMeX ( 2012年10月31日 23:34)
10月31日(水)、今年で13年目を迎える東京フィルメックスのプレイベントとして、水曜シネマ塾「映画字幕翻訳セミナー」がmarunouchi cafe SEEK にて開催され、映画評論家・字幕翻訳家の齋藤敦子さんと中国語通訳・翻訳家の樋口裕子さんが登壇した。東京フィルメックスでは、2006年より三菱地所・丸の内カフェとの共催で映画に関する国内外のゲストを招いたトークイベントセミナーを数々開催してきたが、今年は外国語映画を見る時に欠かせない字幕をテーマに2回連続で取り上げる。
映画字幕翻訳セミナーは2009年から、樋口さんの発案で東京フィルメックス開催期間中に行われており、昨年には齋藤さんをゲストとして迎えている。観客の評判も上々だったことを踏まえ、今回は、さらに多くの方々に字幕を通じて映画をより深くより身近に感じてもらい、これまでとは違った視点で映画に接してもらえる機会を用意する企画となった。
映画評論家・字幕翻訳家の齋藤敦子さんは、これまで多くの作品の字幕を手がけられており、東京フィルメックスとも縁が深い。最新作は現在公開中のロバート・レッドフォード監督作『声をかくす人』。また映画評論では、河北新報の「シネマに包まれて」で国際映画祭のレポートを寄稿されている。齋藤さんの聞き手となる中国語通訳・字幕翻訳家の樋口裕子さんは、中国映画の字幕翻訳を手がけられ、東京フィルメックスでは上映される中国作品のQ&Aの通訳も務めている。
さっそく進行役の樋口さんが、字幕翻訳を手がけるまでの道のりについて齋藤さんに尋ねた。齋藤さんは大学・大学院時代は東洋哲学を専攻していたが、もともと好きだった映画の世界へ転向すべく、大学院を退学し映画監督を目指して渡仏。映画好きのお父様の影響もあったことをも明かされた。パリでは編集コースを修了後、監督コースを履修したものの、製作実習でいかに自分が監督に不向きかということを悟ったいきさつをユーモアたっぷりに紹介して会場の笑いを誘った。帰国後、月刊イメージ・フォーラムにアンドレイ・タルコフスキー監督の『ノスタルジア』(83)に関する原稿を投稿したことが縁で、フランス映画社に入社し、宣伝部で活躍。意外にも、字幕翻訳を手がけることになるとは思っていなかったと話す齋藤さん。社内でスポッティングリストをベースに字幕用の原稿用紙作りを頼まれたことが字幕制作への入り口となったそうだ。字幕デビューは『エリア・カザンの肖像』(82)。
続いて話題は、齋藤さんがイラン映画の字幕制作を手がけることになった経緯へ。1990年、ナント三大映画祭のイラン映画回顧展でソフラブ・シャヒド・サレス監督の『静かな生活』(74)を見て衝撃を受け、イラン映画を紹介したいと思ったのだそう。その後アッバス・キアロスタミ監督の『友だちのうちはどこ?』(87)に興味を持ち、ある配給会社に買い付けを持ちかけたがまとまらなかったという。その続編となる『そして人生はつづく』が1992年カンヌ国際映画祭ある視点部門で上映されたことを機に別の配給会社が2本とも買い付けた際に、字幕制作をぜひやりたいと直談判したのだそうだ。ただし、2本の字幕制作に2ヶ月を要し、ギャラも安くて大変苦労されたと本音もちらり。何よりも原語がペルシャ語で、ビデオに付いていた英語字幕は、セリフと字幕のタイミングが合っておらず、結局、聴き取ったペルシャ語をカタカナで書き下した台本をベースにスポッティングリストを作成したとの制作秘話には、会場から感嘆の声が洩れた。
次に、実際に齋藤さんが手がけられたミヒャエル・ハネケ監督の『白いリボン』(09)の映像の一部を見ながら、その字幕の言葉選びの難しさについて話が及んだ。「この作品は第一次大戦と第二次大戦の間でドイツのある村に起こる物語。ミヒャエル・ハネケ監督は人間の暗部を取り上げるのが得意で、ほとんどの登場人物が悪人。それは、人間の暗部が第二次大戦に向かっていくドイツそのものを描いている」 と斎藤さんが説明。
そこで、樋口さんが気になって選んだという、字幕の日本語が辛辣なセリフのシーンを見てみることに。齋藤さんは、「ここは曖昧に訳すと人間の極限が出てこず、ハネケ監督らしい面白さが出てきません。アウトラインをつけるような感じできつめに訳しました」と言葉選びの背景を明かした。また、「(字幕を付ける映画について)自分が理解している以上のものは字幕にできません。映画への理解が深い人ほど良い字幕が付けられるのだと思います。字幕を付けようとする人は、映画をとことん理解して、監督がどのような意図でセリフを言わせているのかがわからないと、意味は合っていても違ったものになってしまいます」と、作品への理解の必要性を熱く語った。
続いて、実際の字幕制作について、ハコ割り、スポッティングリストの作成、翻訳、入稿、仮ミックス、訂正、シミュレーション、初号試写という作業工程についての大まかな説明。齋藤さんは「ラボに行くと、字幕というのは共同作業ですから翻訳者だけに責任を負わさないでねと、みんなに言うんですよ」と茶目っ気たっぷり。作業している間に字幕の文字に慣れてしまい、誤りに気付かないことがあるため、しっかりチェックして欲しいと言うことを齋藤さんなりに伝えているという。
「字幕はひとりよがりになりがち」と指摘する樋口さんに対して、齋藤さんは「一番いけないのは、言葉ばかり見ていて画を見ないこと。翻訳は間違っていないけれど、映像に乗ったときはどうなるのかを考えなくては。字幕は動いていくもの。止まってはダメ。観客は字幕を見たらどんどん忘れていくものです。流れがあるのだから翻訳が自然に頭に入らないとダメ。凝った字幕は字が浮いて見えます。字幕で映画が映えるように、いかに映画を素晴らしく見せるかが字幕の極意。字幕が素晴らしかったねというようなものはダメ」と、プロフェッショナルらしい持論を展開して参加者をうならせた。
ただ、持論が通らないこともあるというエピソードも紹介。最近手がけたアメリカで製作された日本人監督の作品では、監督の指摘で多くの手直しが入ったのだとか。「もちろん映画は監督のものですし、監督には作品の細かい部分への思いやこだわりがあるということがよくわかりました。字幕翻訳者が流れを汲んで翻訳したとしても通じないことがあります。監督とは喧嘩できません」と齋藤さん。
ここで、字幕へのより深い理解のために、今年の東京フィルメックスで上映される『111人の少女たち』の冒頭シーンのセリフに字幕を付けるという宿題が参加者に出された。冒頭シーンの映像を見ながら、齋藤さんは「字幕は冒頭が一番難しいのです。冒頭部分にはこれから始まる映画の大部分の情報が隠されています。そういうことを読み取ることができれば、映画が二重に楽しめるのではないでしょうか」と、この部分を選んだ理由を説明。次回セミナーでは、齋藤さんが付けられた字幕と参加者自身が訳した字幕を比較できるとあって、参加者も興味津々の様子。
最近は字幕についてもネットに書き込まれることがあって、翻訳者もいろいろ悩みながら字幕をつけていることを理解して欲しいとも語った斎藤さん。字幕翻訳者の苦しみと喜び、映画祭で上映する作品と配給会社が公開する作品の字幕の付け方の違いなどは、次回セミナーにて取り上げられる予定。
最後に質疑応答へ。「なぜこのセリフをここで言っているのかわからない時はどうするのでしょうか」という質問には、「なんとかつけます」と笑顔で答えた齋藤さん。また、字幕と吹き替えの違いについての質問には、「吹き替えは字数が多く、字幕にはできないニュアンスを出すことができると思います。吹き替えは肉声で役者の個性もあるわけですから、翻訳より演出という才能が必要なのではないでしょうか」と答えた。
予定時間を超えて盛り上がった字幕をめぐるお2人の楽しいトークに魅了された参加者からは、大きな拍手が寄せられた。次回の水曜シネマ塾PARTII「映画字幕翻訳セミナー」は、11月14日(水)にmarunouchi cafe SEEKにて開催予定。
(取材・文:海野由子、撮影:吉田留美)
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