『死闘の伝説』崔洋一監督トーク
TOKYO FILMeX ( 2012年11月25日 14:00)
東銀座・東劇で開催されている「木下惠介生誕100年祭」。11月25日には『死闘の伝説』(1963)が上映され、上映後のトークイベントに崔洋一監督が登場。
物語の中心となるのは、北海道の農村に暮らす都会からの疎開者一家。一家の娘(岩下志麻)が村で絶対的な権力を握る地主の息子(菅原文太)との縁談を断ったことから、次第に村人に追いつめられていく。閉鎖的な村の社会構造と戦争末期の世相が絡み合い、悲劇的な事件へと突き進む様を緊張感あふれる演出によって描き出している。
最初に司会の市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターから、今回の特集上映に合わせ、『死闘の伝説』のほか『歓呼の街』(44)『女』(48)『婚約指環』(50)『夕やけ雲』(56)の5作品の英語字幕付きニュープリントが制作されたことが紹介された。同時代の小津安二郎、溝口健二、黒澤明らに比べて海外でそれほど知られていない木下監督を紹介する試みで、さまざまなジャンルの作品が選ばれている。「ほぼすべての作品で、スタイルが違っている。本当にいろんなことが出来る監督」と市山Pディレクター。
いままでこの『死闘の伝説』には全く触れる機会がなかった、という崔監督。他の木下映画とは一線を画する異色作だが、通底するのは怜悧な視線である、と改めて感じたという。冒頭とラストにカラーで現代の村の様子が、モノクロで本筋の戦時中の物語が描かれるという構成。「モノクロ部分の陰鬱な雰囲気に対し、カラー部分はやたら幸福で牧歌的。ヘーゲルの説く通り、大衆は歴史を記憶の外に追いやってしまうのだと示している。また、事実をねじ曲げて疎開者一家を囲い込む村人の排他的な雰囲気は、今のネット上に広がる噂を思わせる。その意味で、非常に現代的」
『死闘の伝説』の物語について崔監督は「保守的・排他的な共同体の掟を描いている。権力にある種の穴が生じ、共同体が崩壊に向かう様が描かれている。非抑圧者である貧しい人々による異端への抑圧、弱者がさらなる弱者を見つけ出して苛めるという悲劇」と解説した。権力の穴、とは、ここでは余所者一家への攻撃の中心となる地主の息子。戦地で片腕を負傷し、そのことに強いコンプレックスを抱いている暴力的なキャラクターだ。
市山Pディレクターが「この作品は西部劇のスタイルですね。本来秩序を保つべき警官はいるが役立たずで、顔役が村を実質的に支配しているという構図」と指摘すると、崔監督は「まさしく西部劇のボスのように、実質的な支配者は法律ではなく力をよりどころとしていて、正義ではない。しかしそのこと自体を否定的に描くというより、冷たい批評精神でもって見つめている。西部劇のパターンと異なるのは、悪が打倒されて終わるのではない、ということ」と応じた。
「叙情的」とは木下監督を形容する上で最も口にされる言葉だが、日本の土壌においては、叙情主義は独自のニヒリズムを無意識に含んでしまうのではないか、と崔監督。「木下監督には大衆に対する距離感がありますね。この作品のラストは劇的だが、観客に容易にカタルシスを与えない。底意地が悪いところがある、と感じます」
印象的なのは、多用される「トラベル・ショット」(横移動の撮影)。キャメラの移動速度が非常に速く、距離も驚くほど長い。「起伏のあるロケーションでどうやったのかと思うほど、強引にキャメラをガーッと引っ張っていて、異空間に導かれるようだ」と崔監督も感嘆しきり。
市山Pディレクターが「北海道を舞台にしていることもあると思うが、映像のスケール感が違う」と応じると、長年にわたり北海道むかわ町のお年寄りとの映画作りを続けている崔監督は「ただ、開拓部落において人もモノも流れ流れたところで寄り添っている北海道的空気ではなく、今村昌平的な東北の片隅で起きる出来事のようだという印象を受けた。しかし映像のスケールは非常に大きい。ムラ社会としての日本を撃つ、というテーマを、小さな空間ではなく大きな場所で展開していますね」
1958年、吉祥寺の封切り館で観た『喜びも悲しみも幾年月』(57)が、崔監督の初めての「木下体験」。客席は超満員で、49年生まれの崔監督は当時8歳だったが、よく覚えているという。学校中の子どもが若山彰さんの歌う主題歌を口ずさんでいた。カラー映画はまだ珍しく、子ども心にわくわくしたそうだ。
「この作品の主人公である灯台守は、孤独で、社会の周縁に位置する職業。そんな灯台守夫婦の機微や愛情に、マッチョではない視線を注いでいる。女性的というわけではない...性差を超えるような感覚を持っている。溝口的な女の世界とは違う、両性具有的な部分を感じさせる。それが木下映画の空気感ですね」
また、崔監督は木下監督の『日本の悲劇』(53)が、大島渚監督に影響を与えたのではないか、と指摘する。「直接、大島さんと木下監督に関わりはないが、大島さんのデビュー作『愛と希望の街』(59)とモチーフが似ています。貧しき者の生存本能ーほとんどの場合悲劇的なストーリーに繋がるがーを描いていて、大島さん自身の人生に重なる。母性への独特の感覚も似ている。大島さんは戦後の日本人の、被害的立場に自らを置きたがるという姿勢をはっきり批判しているが、『死闘の伝説』における木下監督のまなざしにもそれを強く感じます。それらのことを考えると『愛と希望の街』の母親役が『日本の悲劇』主演の望月優子であったことは、偶然とは考え難い」
また、『愛のコリーダ』(76、崔監督が助監督を務めた)の頃の大島監督とのエピソードを披露。「あるとき突然、"君は小津が好きか、木下が好きか"と質問された。こんなに厳しい質問はない。非常に困ったけど、木下、と答えました。すると大島さんは大喜びで、自分も木下が大好きだと仰っていました」
その他に特に好きな木下作品はありますか、という質問に崔監督は、デビュー作『花咲く港』(43)、戦後初めてメガホンを取った『大曾根家の朝』(46)を挙げた。「『花咲く港』はアヴァンギャルドな大傑作ですね。大政翼賛の時代に、こんな軽妙洒脱な作品を撮ったとは驚き。若い息吹、情熱が感じられて、すごくカッコいい。オールセットの『大曾根家の朝』はブルジョワ家庭の崩壊を描いていて、戦前の上海映画を思わせる。木下監督独特の底意地の悪さと本能が結びついています。小津とは違う家族の描き方ですね。本音の部分が抜き身で出てくる。洗練されているようで、されていない、独特のドラマツルギーに感心しました。土着的な歪んだエネルギーが、木下には潜在的にあったのではないか。それが、今村昌平の作風を啓発したのではないかとさえ思えます」
2013年のベルリン国際映画祭で、前述のニュープリント5作品、香港国際映画祭で『女』を除く4作品の上映が決定したばかりだが、「海外、特に、現代の中国でもぜひ上映していってほしい」と崔監督。いまこそ木下惠介再評価の時、と訴え、トークイベントを締めくくった。
(取材・文:花房佳代、撮影:関戸あゆみ)
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