木下惠介生誕100年記念シンポジウム 第1部「今、甦る木下恵介~日本から見たキノシタ、世界から見たキノシタ」
TOKYO FILMeX ( 2012年12月 1日 15:00)
12月1日(土)、東劇にて木下惠介生誕100年記念シンポジウム第1部「今、甦る木下恵介~日本から見たキノシタ、世界から見たキノシタ」が開催された。司会を務めたのは木下惠介の研究者として知られる作家・長部日出雄さん、登壇者にはベルリン国際映画祭フォーラム部門創設者で映画史家のウルリッヒ・グレゴールさん、脚本家として活躍する山田太一さん、『渚のシンドバッド』(95)『ぐるりのこと。』(08)などの作品で海外でも高い評価を受けている橋口亮輔監督を迎えた。
長部さんが「当時の映画界では黒澤明と人気・評価を二分していたが、現在では、残念ながら少し忘れられた感がある。では木下恵介という人はどんな監督だったのでしょうか」と切り出し、3人のゲストが答える形に。
グレゴールさんと木下作品との最初の出会いは、1958年のヴェネツィア国際映画祭で上映された『楢山節考』。「当時はジャーナリスト・批評家としてまだ駆け出しで、初めての映画祭でした。その中で観た『楢山節考』は、構成、スタイル、彼独特の戯曲、舞台美術、ナレーションなど、様々な謎に満ちていました。しかし、未知の魅力に溢れていて、作品中に表れた倫理的なメッセージについても私の心に残るものでした。ジーン・モスコヴィッツ氏は"『楢山節考』は日本の風習や文化に深く根付いたものなので、背景が分からないと映画も理解できないのではないか"というコメントを残しましたが、(背景が分からないままでも)『楢山節考』との出会いはは映画人生のなかで重要な経験の一つになったことは事実です。その後、観る度に新鮮な発見があります。非常に洗練されていて、色々な要素を取り入れている。まさに、この映画によって私は日本映画の洗礼を受けたのです」
次に、1958年に松竹に入り、助監督として木下監督に師事した山田太一さんにマイクが向けられた。
「『楢山』はその年の6月1日に封切られたので、私が入社した4月はちょうど撮影がクライマックスに入るところでした。撮影所に入って一週間、様々な組に配属されましたが、木下組に配属された時撮っていたのは、ラスト近くの楢山で雪が降っているシーン。私はセットの上の方から雪を降らせる役目を担ったのですが、下の方から木下監督から「誰だ!上から雪を降らせてるのは」といきなり怒鳴られました。つまり、入社早々、降り始めの雪を表現するという高等芸を要求されてしまったのです。その時はほとんどいじめだな...と思いました(笑)」と、木下監督との強烈な出会いを語った。
木下作品をリアルタイムでは観ていなかった橋口監督に、今回『二十四の瞳』のデジタル・リマスター版予告編を手掛けることになった経緯などを聞かせて欲しい、と長部さんが訊くと、「松竹さんから話を頂いた時は、日本映画の名作中の名作なので、正直どうしようかと思いました。怖くて仕方なくて、逃げよう逃げようと思いましたが、小豆島に連れて行ってもらったりしているうちに最終的には引き受けることになりました(笑)」と橋口監督。
木下監督については、「若い頃は叙情的でセンチメンタルな監督だと思い込んでいて、黒澤明や今村昌平を語る方が格好良いと思っていたのですが、今観ると、実は美しくも厳しいリアリズム映画であって、自分もこんな映画を撮れる様になりたい、と思うようになりました。良い映画というものには人生の全てが描かれていて、それは木下監督作品に当てはまります。リマスター版の予告編では大石先生と子どもたちとの出会いに焦点を当てるように編集しました。というのも、たった1ヶ月間の出会いがその後の50年、60年の人生へと続いていくからです。家庭の経済事情から夜逃げせざるを得なかった女の子に対して先生が「苦しいのは貴方のせいではない」「自分にがっかりしては駄目だ」というシーンがありますが、このような言葉は、昨今の日本の状態、震災や秋葉原の事件など、不条理な事が多すぎる昨今の日本人の心に非常に響くものがあります。予告編のコピーである「日本という国 日本人の心というものは こんなにも美しいのです」というのも、日本人にエールを送りたいという気持ちがあったからなんです」と切々と語った。
次の話題は木下作品の多様性について。長部氏は「木下監督は、全面的に弱い人の立場に立っているように見えますが、1つ2つの作品を観ただけでは判断できないことも確かです。人は苦しい中でも美しい心を持っている、というメッセージを示すと同時に、醜くて利己的な姿というものを撮ったのが『日本の悲劇』(53)と言えるでしょう」とコメントし、それに対し山田さんは「木下作品は49作品ありますので、全部観ることは難しいでしょうね。ただ、1、2本観て「これが木下監督だ」と思うと、全然違う木下さんがいるんですよね。成功体験を利用しない人」と評した。
長部氏が後期の作品『衝動殺人 息子よ』(79)を取り上げると、橋口監督は「映画館であれ程号泣したことはない、というくらい泣きました。通り魔に息子を殺された父親が被害者補償制度のために奔走して、最後は過労死してしまう話なのですが、子どものためにそこまでするの? と強烈な思いが残っていました。生前の監督のインタビュー記事に「自分は両親に溺愛されていた」というものがありましたが、それを読んで、ああ、だからこういう映画ができたんだ、そして、その作り手の想いが観客に届くんだ、と納得しました」。
長部さんは「当時の犯罪映画は加害者側から描くパターンが多かったのですが、木下さんは被害者の立場、悲しみと苦しみを描く。インテリは、木下の時代は終わった、古い、と言って「悪と暴力」を魅力的に描く映画を支持していましたが...でも現在は木下さんが描いたような世相、動機の無い殺人が増え、まさに現実とものとなっているんです」と、木下監督の先見性を賞賛した。
グレゴールさんは「作品に共通するテーマは戦後の日本の姿」と指摘。「日本人の経験した苦しみは戦後のドイツ人のそれと共通し、親近感を覚えます。また、彼のリアリズムは素晴らしく、イタリアのネアレアリズモと通じるものがあります。登場人物への愛情、共感、また皮肉やユーモア----それらは決して人物を嘲笑うようなものではなく、温かい目線で描いていて、今の時代では珍しくなりました」
次に長部さんが橋口監督に現在の日本映画を取り巻く状況について訊くと、「松竹にしろ大映にしろ、古い映画を観ると、こんな映画は二度と作れないだろうなという作品ばかりです。撮影所(セット)で撮ることの豊かさを感じますし、世界の中で確実に日本映画がトップだった時代もあると思います。しかし、その時代に天才監督がたまたま何人もいたのか、というとそれは違うと思います。多分その時代の観客の在り方、質、つまり映画に求めるエネルギーが今とはくらべものにならないものだったのではないかと...」と、映画監督ならではの実感の籠った答え。
最後に、長部さんが各パネリストにコメントを求めると、「戦後の日本において、苦しみを乗り越えた登場人物の生き方を見る事で、新しい発見があります。木下作品には、常に登場人物への温かい眼差しがあり、日常生活を生き抜く勇気を与えてくれるものだと思います」とグレゴールさん。
山田さんは「アメリカ映画では「泣かない男は格好良い」という風潮があって、ロバート・レッドフォード監督の『普通の人々』(80)で、ラストに父親と息子が泣くシーンが出てきた時、皆驚いたものです。『カルメン故郷に帰る』でもお父さんがわんわん泣くし、『楢山』でもそうです。木下作品では、いつも涙というものに感情の価値があり、自分の人生を洗うような意味がある。黒澤監督たちが泣かない映画を沢山作っているときに、です。誰が何処で号泣するか、というのを見守るのは、木下監督の映画を観るポイントになると思います」とコメント。
橋口さんは山田さんのコメントを受けて、「『二十四の瞳』のなかで、勉強が良く出来るのに家族の為に働いて肺病で亡くなる女の子が出てくるのですが、大石先生が病床で一人きり寝ている彼女を見舞うシーンがあります。私は苦労した、という女の子に対して先生は「そうね、苦労したわね」と言って、一緒に泣くんです。女の子は人生の最期の時に、その一言によって救われるんです。木下監督は孤独というものを良く知っていたと思います。それと同時に、ものすごく怒っていらした方だと思います。人生の理不尽なことに対する憤り、激しさというものをどの作品を観ても感じます。若い頃思っていたセンチメンタルなイメージとは違って、本物の映画人だったんだな、と思っています」と感慨深げに締めくくった。
(取材・文:一ノ倉さやか、撮影:穴田香織)
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