『正義派』佐藤忠男さんトークショー
TOKYO FILMeX ( 2010年11月20日 13:30)
11月20日、東京フィルメックス開催初日、東劇では「ゴールデン・クラシック 1950」の第一部「松竹黄金期の三大巨匠」が幕を開けた。1950年代の小津安二郎監督、木下惠介監督、渋谷実監督の名作を集め、特に今年没後30年を迎えた渋谷監督に焦点を当てる。初日、『正義派』(1957年)の上映前に、生前の渋谷監督とも交流のあった映画評論家の佐藤忠男さんにご登壇いただき、知られざる渋谷監督の魅力についてたっぷりと語っていただいた。
1950年代、松竹の大船撮影所では小津監督、木下監督、そして渋谷監督が御三家の扱いだったが、渋谷監督はほかの二人にくらべると「忘れられた巨匠」であると佐藤さん。今回第一部の特集の目玉として上映される『正義派』が公開された当時を次のように振り返る。「じつは、この作品は封切りで観たとき、非常に感心しましてね。毀誉褒貶がありましたが南部圭之助という批評家が渋谷実の最高の作品だと言って絶賛していました。しかし、あまり大衆的な人気のあるタイプの映画ではなかったので、それ以後ほとんど、というか全く再映されてない」。松竹の人に『正義派』はどうして上映しないのか尋ねたそうだが、ネガはあるものの、さしあたり上映できるプリントはないということで、その後、ネガのままでも放送できるCSの番組で何十年ぶりかにご覧になったそうだ。「やっぱりこの作品は渋谷実の代表作の一つだと思っていたのは間違いなかったと思いました。それがやっと、新しく焼いて上映されるなんて非常にうれしい」。
渋谷監督の作風を説明するのに、まず木下監督との対比でこう述べられた。「木下さんの映画というのは非常に情緒的です。『二十四の瞳』のように泣かせる映画は徹底的に泣かせるし、『カルメン故郷に帰る』では、ほんとに楽しく笑わせる。笑わせ泣かせ、これをもう徹底的に思いっきりやります。徹底的にやって、これまたうまさがある。要するに木下さんは大衆的ということを誇りにしてらした。ところが渋谷実という人はシャイな人で、自分を語るというようなことがほとんどない。今度はすごいぞ、こういうことをやったんだというような宣伝は一切言わないし、お世辞を言ってくる人間はあえて払いのけるようなところがありました。わたしはなぜか渋谷さんに気に入られたのかな、渋谷さんのほうから声かけてくださって。だけど、へんなこと覚えてるんですよ。「映画というのはね(その作品を)つくりはじめて2日もすると、これはダメだ、失敗作だということがもうわかる」と言うんですよね。「だけど、そういうわかったときにガッカリした顔をするとスタッフがみんな意気消沈しちゃうから、あえて、いばった顔していなきゃならない。これはつらいよ。そういう状態になると、うちに帰ってもメシもまずいし」てなことをおっしゃるんです。非常に理知的で、シャイなんですよ。つまり自分の感情をさらけだすというのは、はしたないことだと思ってらっしゃる。それでどういう映画をつくるかというと皮肉な映画」。
昔はそれぞれの会社や撮影所のカラーが際立っていて、松竹のプロデューサー、所長、社長であった城戸四郎が打ち出したいわゆる「大船調」と呼ばれる作風の特徴は、一般的には、女優中心主義で、日常をユーモアやペーソスを交えてあたたかく描くというものだった。「じつは渋谷実はかなり逸脱している人なんです。基本的に大船調の流れをみごとに受け継いでいるんだけど"おれはただの絵に描いたような大船調とは違うぞ"というところを必ず見せる人。だから大監督だということはみんなが認めるんだけど、商業的な主流になれなかったんじゃないですかね」。
「大船調というのは非常にやわらかなタッチが基本になっていますが、『正義派』ご覧になると、違うなとすぐおわかりになると思います。カメラワークひとつとっても非常にシャープなんです。人間の見方がクールで、テクニックの上ではシャープ。突如、アッというような見事な編集のうまさがあります。淡々とした流れで来たなと思うと、一転して面白い画面の展開になる。常軌を逸したようなおかしなやり方が現れたりしましてね(笑)」。
近年"発掘"された、渋谷監督のデビュー作『奥様に知らすべからず』(1937年)のなかでは、温厚な善人というイメージのあの笠智衆が、「アメリカナイズされたチンピラのボクサー」に、また『現代人』(1952年)では、それまで善良なハンサム役が多かった池部良を「悪いやつ」として起用しているという。初期の『母と子』(1938年)でも「女性の尊厳の自覚というものをほんのちょっとした瞬間をとらえる演出が実にいい。それはまた同時に典型的な大船調から逸脱してたわけです。大船調がよって立つ人情というものの世界の、ベタベタしたところをある瞬間パッと切り捨ててみせるというのは、大船調ののなかにいながら大船調を裏切っているようなところがありまして。『正義派』なんかもまさにそういう作品。みんながお互いの気持ちをいたわりあっている世界だけれども人間関係について非常に論理的に組み立てられている。それが場面のつなぎ方なんかにでも出てくるんです。情緒的に流せば人情味溢れる作品として完結するんだけれど、そうさせない」。
『本日休診』(1952年)などは比較的模範的な大船調であるし、たとえば篠田正浩監督作品『乾いた花』(1964年)の池部良の描き方ほどまでは渋谷監督は逸脱してはいないけれど、逸脱の瞬間は随所に見られると佐藤さんは指摘する。
「たとえば『気違い部落』(1957年)なんてまさにそうなんです。日本人は、内輪の顔を立てることばかりしていて自分の主張を言わないとよく言われます。主張を面に出さないからみんなの勢いに引きずられて、「戦争だ」っていわれると「はい、戦争だー」てなっちゃうんだということが戦後非常に反省されましてね。日本人のそういう性格はいったいどこから出てくるんだろうと」。
「渋谷さんて人はほんとにシャイで積極的に自分はこういうテーマで展開してるんだ、といったことはほとんど言わない。しかしあるとき一度だけ、憤懣やるかたないといった感じで渋谷さんがこうおっしゃったのを個人的に聞いています。『青銅の基督』(1955年)だったと思いますけど、それから『気違い部落』もそうなんですが。はじめの方はずっと喜劇的に展開していっているのに後半になると急にシリアスになる。「こういうばかばかしいことをやっているのには理由がある、こういうふうにやっていかないとわれわれ庶民は政治にいいようにされるだけだから政治や行政をごまかすための民衆の連帯というのは決して否定できないんだ」という調子に後半の3分の1が変わるんですね。それがずいぶん評判が悪くて。「楽しむつもりで見ているのに急に大まじめになって前半と後半が分裂している」という批評がかなり出ました。それに対して「笑わせておいて最後にまじめになって悪いのかねえ」とわたしに言いましたね。わたしに言わなくったって文章に書いて発表すればいいのにやっぱりシャイなんだな(笑)。渋谷さんから、そういう憤懣をもらして差し支えない批評家と見られたことが、それはわたしにとって誇りなのか甘く見られたのかわかりませんが(笑)。とにかく渋谷さんは非常に真剣に悩みながら映画をつくっていた。つまり日本の社会の矛盾を描こうとしていた」。「庶民の温かい生活であろうが農民の一致協力した生活であろうが、助け合いの精神であろうが、みんなそのなかにはおかしな矛盾がいっぱい含まれていて、そのおかしな矛盾を愛するというのが渋谷さんの立場。ただし、そのおかしさを少し自覚したほうがいいよという映画なんです。その点で渋谷さんの作品は今見直すとよくわかるんじゃないかと。当時は皮肉屋とみられていた。しかし非常にクールで理路整然としたところがあって情緒で流さない。情緒で流れそうなところで非常に鮮やかな物語の展開があって。たとえば突如として見事なパンというか、非常に激しいカメラの動きが現れる。そのヒョイと現れるのは「ここに注意してほしい」ということなんです。感情で流されずに、ここのところひとつきちんと考えよう、そういうサインのようにして非常に鮮やかなカメラワークが現れる。カメラを引いてしばし思い入れをこめてそこを眺めて「ああ、みんないい人間だなあ」って気持ちになるところで終わりとなるのが大船調の鉄則なんだけれど、渋谷さんはしばしばそれを裏切ります。その裏切るということを非常に意識的にやっているにちがいない」。
佐藤さんは、その流れは川島雄三に受けつがれ、さらに今村昌平や篠田正浩にもつながっていると指摘する。そして「この人たちの源流として渋谷実という人がいる。ですから渋谷さんがつくりあげた流れというのはけっして忘れられるべきでない」と結んだ。来年のベルリン国際映画祭では渋谷監督の作品が上映されることが決まっており、今後ますます再評価の機運が高まりそうだ。
渋谷監督の作品はニュープリント5作品を含む計8作品が、東劇で上映されている。
(取材・文:加々良美保、写真:村田まゆ)
|