『ハンター』Q&A
TOKYO FILMeX ( 2010年11月26日 19:00)
11月26日有楽町朝日ホールにて、コンペティション作品『ハンター』が上映された。上映後、ラフィ・ピッツ監督がQ&Aに登壇。今作はピッツ監督の長編劇映画第4作で、監督自ら主演も務めている。監督のイランの芸術作品に対する多大な敬意をうかがえるQ&Aとなった。
ピッツ監督は今回が初めての来日となる。「今、イランの映画業界の中で生き残ることは大変困難です」と、この場にいられることをとても幸運なことだと挨拶した。また、今作は素晴らしい撮影隊と共に制作することができたそうだ。「彼らのことを思いながらこの場にいます。彼ら無しでは、監督の私が主演となった状況を乗り切ることができなかったでしょう。彼らの代わりに皆さんに感謝を申し上げたい」とスタッフを称えた。
最初の質問は、監督が主役を演じた理由について。
「今作は、大変難航したがイラン当局に撮影許可を得て、合法的に撮影をしています」とピッツ監督は経緯を丁寧に説明しはじめた。許可を得た際、主演俳優は既に決まっていたそうだ。しかし、撮影初日を迎えた時、その俳優では開始しても中断を余儀なくされる可能性が出てきてしまった。代役に撮影監督やプロデューサーも検討したが適さないということで、自分が主役を演じようと決心したという。「当時私は禁煙していたが、この問題に直面し再び喫煙してしまった」「あの日着ていた服が、主役の衣装になってしまった」というエピソードも。「自分がカメラの前に立つと、映画がだんだん自分に近づいてよりパーソナルな映画になったと思います。常に映画は動いているもの。思わぬ方向へ動いていき今作が完成しました」とピッツ監督は語った。
今作は、オープニングも印象的な映画だ。ロック調の音楽をバックに、オートバイに乗った複数の男性たちが、地面に描かれたアメリカ国旗を踏み付けながら発進しようとする様が映し出され、映画本編とは完全に区切られている。この意図について質問が挙がった。そのシーンは、1980年に撮られたイラン・イスラム革命1周年記念の記録写真で、イランで非常に有名な写真家マニジェール・ディタティの撮影によるもの。監督はこの写真を14歳の時から大切に持っているのだという。「いくつものレベルで解釈をすることができる、とても奇妙なイメージ」であり、1970年代のある種のアメリカ映画を思わせる写真でもあると監督は語る。その写真をオープニングに使用した理由はたくさんあるそうだが、その一つに現在のイランの人口を挙げた。「人口の70%が30歳以下で、あのイメージはまさにそのことを問いかけるような意図で入っています」。
イランでは来客を迎える際、何皿もの料理を用意しておもてなしをするという。どれを食べてと迎える側から言わず、どの料理を召し上がるかは相手にお任せするそうだ。その慣習をピッツ監督は映画に例えた。「この作品では、たくさんの料理をたくさんのお皿に並べ提示したつもりです。観客の皆さんはどれを召し上がるか、お任せしたいと思っているのです。映画監督としての義務は、観客に選択の自由を与えること。今作は言ってみれば質問が中心となっている映画だと思います。この作品全体が質問に対する答えであり、しかしその答えに正解はないのです」。
エンドロールに入る直前に、「作家ボゾルブ・アラヴィを偲んで」との文字が映し出される。また主役とその妻の姓も「アラヴィ」。今作とボゾルブ・アラヴィとの関係性について、また今作にフォルーグ・ファッロフザード『あの家は黒い』、エブラヒム・ゴレスタン「Fire」とイスラム革命以前のイラン映画が作品に引用されている意図について、質問が挙がった。
ボゾルブ・アラヴィはイランの優れた小説家であり、この映画の後半部は、彼の1952年の作品「ギランの男」からインスパイアされたと監督は答えた。左派知識人であったアラヴィはイスラム革命前非常に活発に政治活動をしていたが、革命後に亡命。「こうした小説や映画は私が生まれる前のものですが、個人的に非常に親近感を感じるのです」。さらに「当時のイラン映画を代表するフォルーグ・ファッロフザードやエブラヒム・ゴレスタンは非常に人間性を信じていた知識人だったと思います。彼らが提示した疑問がこの現代においてもまた生きているということは、非常な皮肉だと思いませんか」と観客に問いかけるように語った。
最後に、「撮影に許可を得たというが、軍や警察に対する批判を強く感じる。実際イランで上映されたのか」との質問に、今作がイランで上映されることを強く望んでいる、とピッツ監督は答えた。今作はジャパン・プレミアで日本でも配給が決まっていない。林 加奈子東京フィルメックスディレクターが作品への応援を強く呼びかけると、監督が感謝の言葉を述べる一幕もあった。
(取材・文:大下由美、写真:村田まゆ)
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