字幕翻訳講座3(ゲスト:齋藤敦子さん)
TOKYO FILMeX ( 2011年11月25日 19:00)
11月25日(金)、有楽町朝日ホール11階スクエアにて、「字幕翻訳講座3 <字幕翻訳家になれる人、なれない人>」と題したトークショーが開催された。一昨年、昨年と好評で第3回目を迎えた今年のゲストは、映画評論家であり字幕翻訳者でもある齋藤敦子さん。映画界で30年のキャリアを持つ齋藤さんに、字幕翻訳者になれるかどうかの分かれ目はどこにあるのかを探ってもらった。司会は、中国語通訳であり字幕翻訳者の樋口裕子さん。
まず、林加奈子東京フィルメックス・ディレクターより齋藤さんのご紹介。齋藤さんは、カンヌやベネチアなど各地の国際映画祭を取材し、そのレポートが河北新報社の「シネマに包まれて」にて掲載されている。評論家として、また、字幕翻訳者として活躍される以前は、フランス映画社の宣伝部で活躍。字幕デビューは『エリア・カザンの肖像』(82)。その後は、『五月のミル』(89)、『コックと泥棒、その妻と愛人』(89)、『冬の旅』(85)など数多くの作品を手掛けている。東京フィルメックスとも縁が深く、昨年はオープニング作品『ブンミおじさんの森』(10)、今年は『あまり期待するな』(11)の字幕を担当した。
齋藤さんの紹介が終わると、司会の樋口さんにバトンタッチ。早速、映画の世界に入った経緯について齋藤さんに話してもらった。
齋藤さんは、1980年に渡仏後、映画学校で編集などを学び、1984年に帰国。帰国して間もなくフランス映画社に入社した。入社に至るまでには、様々な出会いがあったそうで、「人生は偶然の出会いの重なり」と感慨深く語った。字幕制作にかかわったのは、フランス映画社に在籍していた頃で、字幕原稿を作成するハコ割りの仕事から始めたそうだ。ハコ割りとは、字幕を付ける前処理のことで、セリフだけを抜きだした台本をもとに、画面に合わせてセリフを区切っていくこと。
次に、齋藤さんが携わった字幕制作について具体的な話へと進んだ。『私は好奇心の強い女』(66)の字幕を担当した時、"DDT"の意味が分からないと担当者に言われて困ったとか。しかし、"DDT"を"殺虫剤"と替えてしまうとDDTが持つ言葉のニュアンスが伝わらないと感じたそうだ。「言葉には時代背景があるけれど、分からないと言われてしまうと、その代替語を探すのは難しいです。映画を見るお客さんに分かってもらうということが、字幕にとって重要なこと。しかも、字幕は画面からすぐ消えてしまうもの。前に戻って見直すことができないので、瞬間、瞬間で意味を伝える能力がなければ字幕翻訳者にはなれないということです」
そして、齋藤さんは、字幕翻訳者の第一条件について「映画が好きであること」をあげた。「それも、どこまで好きかということが問題。翻訳者が使いたい言葉を選ぶのは僭越なこと。そうではなくて、映画が伝わる表現を使い、映画を第一に考えること。良い字幕というのは、映画を見終って面白い映画だったなと思わせる字幕で、映画を見終って字幕の話になるようではダメ」
字幕の本質に踏み込んだご自身の発言に、齋藤さんは「私の話はすべて自分に返ってくるのですが」と自戒を込めるプロらしい一面をのぞかせた。そして、「字幕は出だしが重要、最初の10分で流れが決まるもの」と字幕制作で押さえておくべきコツを披露した。
続いて、樋口さんからイラン映画の字幕制作にかかわった経緯についての質問。齋藤さんは、イラン映画の日本語字幕制作を初めて手掛けた翻訳者。齋藤さんは、1990年にナント三大陸映画祭でイラン映画の回顧展を見て以来、イラン映画を日本に紹介したいと思っていたそうだ。アッバス・キアロスタミ監督の『そして人生はつづく』が1992年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で上映されたことを機に、『友だちのうちはどこ?』(87)とともに買いつけられたと聞き、字幕を付けさせて欲しいと配給会社に直談判したことを明かした。ただ、原語がペルシャ語の字幕制作には苦労したそうだ。ビデオに付いていた英語字幕は、セリフと字幕のタイミングが合っておらず、結局、聴き取ったペルシャ語をカタカナで書き下ろした台本をベースにハコ割りを作成したそうだ。
映画祭などの字幕で難しいところは、オリジナルの作品が非主流言語である場合、英語字幕から翻訳することが多く重訳となることだ。たとえば、ペルシャ語には日本語のように敬語表現が存在するが、英語になると原語にあった敬語表現が消されてしまう。齋藤さんは重訳の問題点を踏まえながらも、「字幕になるのは日本語。翻訳者は原語がわかるから原語に引きずられることもあるけれど、実際に字幕を読む人は原語を知らない日本人なのだから、日本人が分かる日本語にすることが重要」と語った。
ここで齋藤さんが字幕を担当された『ペルシャ猫を誰も知らない』(09、第10回東京フィルメックスで上映)のワンシーンがケーススタディとして上映された。
『ペルシャ猫を誰も知らない』は、西洋文化の規制が厳しいイランで、自由な音楽を求める若者の姿を描いた作品。上映されたのは、音楽のために奔走する便利屋が当局に捕まって釈明するシーン。勢いよくまくしたてる便利屋のペルシャ語のセリフが聞こえるが、すっきりして素晴らしい字幕ですね、と評する樋口さんに、「ありがとうございます。仕事をこなすにつれ、ハコ割りの大切さを感じました。字幕は適切なところに入ってないとダメだと思います」と応じた齋藤さん。また、音楽映画では音楽の歌詞も翻訳するが、曲にフィットするような翻訳にしなければならず苦労が絶えないそうだ。樋口さんからは、中国語の場合、漢字に引きずられて漢文調の歌詞になってしまうと言語特有の苦労話も。
さらに話題は字幕の修正について及んだ。仮ミックスなどで手直しできる機会があれば、直せるだけ直すという齋藤さん。もっと良い訳があるのではないかと悩む方で、初号を見て流れが悪いのは字幕が悪いからで、直せる機会があるなら手直しするそうだ。ただ周囲に迷惑をかけることが多いので、ラボの人との人間関係には日頃から気を配っているとのこと。
時間も押し迫り、質疑応答に移った。客席からは、「日本語には、漢字、ひらがな、カタカナがありますが、文字上の見栄えを意識しますか?たとえば、人物によって"私"を"わたし"と変えることはあるのですか?」という質問が寄せられた。「"私"なら"私"で統一し、人物によってひらがなに変えることはありません。ただ、ひらがなが続くと読みづらい場合に、漢字を入れる工夫はします。字幕は読めてナンボです。いくら素晴らしい翻訳でも読めなくては意味がありません。漢字、ひらがな、カタカナ、改行のバランスは考えます」と答えた齋藤さん。
林ディレクターから日本語を磨くために心がけていることは何かという質問に対して、「引き出しをたくさん作ること、たくさん本を読むということでしょうか。あと、どういう人がどういう言葉遣いをするのか、ということに気を配っています」と齋藤さん。
最後に齋藤さんは、「観客の意識が一瞬でも画面から字幕に移ったらダメです。字幕は元に戻せないので、映画の流れを止めない字幕が大切」という言葉で締めくくった。
経験豊かな齋藤さんならではの魅力的なエピソードが満載の1時間に渡るトークは、客席から惜しまれつつ終了。来年もこの話の続きをお願いしたいという林ディレクターの言葉に齋藤さんは笑顔で頷かれた。
(取材・文:海野由子、撮影:永島聡子)
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