『無人地帯』藤原敏史監督Q&A
TOKYO FILMeX ( 2011年11月25日 18:30)
11月25日、有楽町朝日ホールにてコンペティション作品『無人地帯』が上映された。この作品は3月の原発事故後の福島、警戒区域に指定される直前の原発20km圏内で撮影されたドキュメンタリー。上映後、藤原敏史監督によるQ&Aが行われた。
まず、印象的なナレーションを担当した女優のアルシネ・カーンジャンについて「どのような経緯でナレーションを行うことになったのか」について問われると、藤原監督は「もともと、カーンジャンさんの夫であるアトム・エゴヤン監督と、取材を通して10年くらい前から知り合いでした。今年度の山形国際ドキュメンタリー映画祭の審査委員長がエゴヤン監督で、彼女も一緒に来日していたので、その時に依頼しました」と説明した。また、「悲惨なことがあった際、映像があることとないことの意味について彼女と話し合った際、彼女がアルメニア人であったので、〔1988年、アルメニア地震が起こった際には映像がなかった〕というナレーションが読み上げられることになった」と付け加えた。
続けて、「途中一箇所だけ、監督自身がナレーションを行う場面がありますが、どういった意図があるのでしょうか?」という質問に対しては、「ご覧になれば分るように、私がナレーションを行った部分は、我々の責任についての問題だったからです。政府を責めるのは簡単ですが、政府の警戒区域についての判断が誤ったものだというのを知りつつ、我々もその判断に国民として加担していると感じたからです。そしてそれは他国の人に言わせることではない、と思いました」と答えた。
さらに、メディアの果たすべき役割や映像の倫理についての質問が続いた。
「震災以降、マスコミによって震災に関する沢山の映像が流されたにも関わらず、自分なら何か違った風に撮れる、と確信を持って監督が自ら現地に赴いたのはどうしてでしょうか」という質問に対し、監督は「実は、3月11日の震災直後にはこの映画を撮ろうとは全く思っていなかった」と答えた。しかし、マスコミの報道や風評被害に納得できない思いが募り、福島に赴くことを決めたという。「撮り始めた時点で分っていたのは、とにかく真面目な姿勢をもって撮れば、テレビで流れるような映像とは全く違ったものが撮れるということだけは確信していました。10年以上付き合いのある、信頼のおける加藤孝信というカメラマンが瓦礫を前にして、躊躇しながら入ってくれるだろうというのを分っていましたし...少なくとも20km圏内から避難している人たちが見て、腹の立たない映像を撮りたい、と。つまり、それだけ赤の他人がみても日本のメディアの人たちの福島の撮り方というのは、醜悪でした」
例えば、我々もテレビでよく目にした、放たれた牛たちが人のいなくなった町の中を走り回っている、という映像。
「この映画の中で、牛はカメラを前にじっと大人しくしています。通常警戒させるようなことがなければ、あのようにじっとしているものです。ところが、20km圏内に入ってきたカメラマンはそこにわざわざ車で入って行きます。当然、びっくりして牛は逃げようとします。そこに〈無法地帯〉というナレーションが付く。あるいは20km圏内に入るとやたら線量計の数値を計りたがる。線量計は扱い方が難しく、すぐ間違った計測値が出るのに...」
原発事故後、そこにどのような風景があるのか?ということが問題であり、報道に関わる人たち、カメラマン、映像作家はそういった風景こそを撮るべきだ、と監督は強く主張した。
映画を観終わった後には、上映前に監督から寄せられた次のメッセージの意味が伝わってきた。「私たちが何をつくったか、というのをうまく言い当てた人がいます。それは、(前の日に同じ場所でQ&Aを行った)タル・ベーラ監督で、「映画作家の仕事とは、人々を裁くことではない」という言葉です。この映画に映っている人たちと私たち自身が撮影の時間を通して素晴らしい体験をしましたし、また、映画を通して皆さんと分かちあうこと、これが私たちの仕事だと思いました」
(取材・文:一ノ倉さやか、撮影:清水優里菜)
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