「ビバ!ナデリ」黒沢清監督トーク
TOKYO FILMeX ( 2011年11月12日 21:30)
11月11日、12日と二日間にわたってオーディトリウム渋谷で開催された「ビバ!ナデリ」。アミール・ナデリ監督の最新作『CUT』の第12回東京フィルメックスでの上映を記念して、『べガス』(2008)『サウンド・バリア』(2005)の2作品が上映された。12日夕、『べガス』の上映後に黒沢清監督を招き、ナデリ作品の魅力を語るトークイベントが開催された。
上映に先立ち、ナデリ監督が登場。立ち見も出る満席となった会場に向け、謝辞を述べた。
「『べガス』は最も好きな作品のひとつ。アメリカで撮ったものですが、この後、私は日本で『CUT』を撮ることになりました。『べガス』での経験は、私が外国でさまざまな人々と、異なる言語や文化の下で仕事をする助けとなりました。これまではイランの、そしてアメリカの映画作家として映画をお見せしてきましたが、今回は日本の映画作家としてもここに立ち、皆さんにますます親しみを感じています。ありがとうございます、カット!」
上映後、黒沢監督と司会の市山尚三東京フィルメックスプログラム・ディレクターが登壇すると、場内の後方で上映を見ていたナデリ監督がまたしても舞台に上がり、はにかみながら「Thank you」とひとこと。「トークに加わりますか?」という市山Pディレクターの言葉に首を振り、客席に戻った。
まずは本日の上映作品『べガス』についての話から、黒沢監督と市山Pディレクターのトークは始まった。
ラスベガスで慎ましい生活を送る両親と息子という3人家族に、あるきっかけで変化が訪れる。自宅の庭にギャングの埋蔵金が隠されていると思い込んだ家族は、丹精した芝生を掘り返し、庭を破壊していく。
『べガス』は「ナデリ作品の特徴がよく表れている作品」と黒沢監督。「難解だったり観念的だったりするわけではない、明確なエンタテインメント。「これって面白いでしょう?」という事柄をストレートに見せつけられる。だけど、こんな娯楽映画が他にあるのか、と言われれば、ないんですよね」
朝が来て、昼になり、夜が訪れるその繰り返しの中で、家族や家に起こる変化が、ドラマチックに綴られてゆく『べガス』。「自然の中に忽然と作られたラスベガスに太陽が昇り、やがてネオンの明かりが取って代わる。彼らが庭を破壊している間にも一日が淡々と過ぎて行くのだ、というさまが描かれている。夕暮れの最も美しい瞬間や、ネオンの最初の輝きなど、緻密に計算されていることが分かります。脚本は練り上げられているし、俳優たちは皆素人だと聞きましたが、見事な演技ですよね。常軌を逸していく両親の変貌、息子の成長の様子がすばらしい」(黒沢)。
黒沢監督とナデリ監督の出会いは2002年の第3回東京フィルメックスで、審査員の一員として10日間をともに過ごした。黒沢監督はナデリ作品をそれまで見たことがなかったが、その年に特別招待作品として上映された『マラソン』に衝撃を受けたという。
ナデリ作品の中の「音」にとりわけ感銘を受ける、と黒沢監督は語る。
日常生活を覆う音、荒々しい破壊の音。繊細に作り込まれた音に満ちる中で突如、無音の瞬間が訪れる。「すばらしい瞬間。独特な感覚で音を作っていると感じます」。
イランで活躍した後、アメリカに拠点を移し、そして最新作は日本で、と変遷を重ねるナデリ監督。ここで、黒沢監督から、「最もナデリ作品を見ている日本人」である市山Pディレクターに、イラン時代についての質問が飛んだ。
ナデリ監督がイランで初期に撮ったのはなんと、復讐に取り付かれた男を描いたバイオレンス・アクションだという。その後アッバス・キアロスタミ監督とともに児童青少年知育協会を設立して児童映画を撮り始め、『駆ける少年』(86)『水、風、砂』(89)と連続してナント三大陸映画祭でグランプリを受賞するなど高い評価を得た。「偏執狂的にある概念に取り付かれて行動する主人公を描いており、ある意味、"暴力的な児童映画"といえるかもしれません」と市山Pディレクター。イラン、アメリカ、日本と舞台を移しながら、ひとつの作風を貫いてきたといえる。
「暴力的である一方で、繊細さがある。ひとつのことをやり続けるとある変化が訪れる―というストーリーの構造は、どこかキアロスタミと共通していると言えるかもしれない」(黒沢)
イラン映画の中でもある特異な位置を示すナデリ作品だが、モフセン・マフマルバフやアボルファズル・ジャリリも、その影響を受けたと公言する。
「最もはやく海外で評価されたイラン人映画作家の一人といえると思います。その作品の多くはカンヌやヴェネチアで上映されており、ニューヨークで全作品回顧上映が開かれるなど、非常に高い評価を得ています」(市山)
続いて、日本で撮影した最新作『CUT』の話題へ。
黒沢監督は企画の初期段階から関わっていたという。それも、当初は出演の打診があったとか。
「菅田俊さんの演じたヤクザの組長役をやってくれないか、と。非常に重要な役で台詞も多いし、さすがに自信がないのでお断りしました(笑)」
黒沢監督と市山Pディレクターは、一日だけ撮影現場を見学に訪れたという。その日は、西島秀俊さん演じる主人公の映画監督が、屋上で野外上映会を開くというシーンの撮影。夜遅くなったため途中で抜けることになったが、市山Pディレクターいわく「黒沢監督がその場にいたら、西島さんが「ここに黒沢清監督がいらしています」と言う台詞を言う予定だった」とのこと。
「最初にストーリーを聞いたとき、果たしてこれはまっとうな映画として成立するのか?と思いました。独特な作品にはなるだろうけれども、日本でさまざまな障壁を乗り越えていくことができるのか、という危惧はありました」と黒沢監督。しかし、完成した作品の素晴らしさに驚いたと語る。「きちんとした映画として成り立っているのに、やりたい放題やっている。すさまじい暴力に次ぐ暴力。一方で繊細さもある」
また、黒沢監督は出演する俳優たちの演技を絶賛する。主人公を演じる西島秀俊はもちろん、彼を見守る女性役の常盤貴子、主人公と不思議な絆で繋がるヤクザを演じる菅田俊、静かな存在感で脇を固める笹野高史ら、「外国人の監督が撮っているとは思われないほど、日本の俳優たちの個性や細かい所作を捉えている」。
「完全にエンタテインメントとして成り立っていて、誰でも楽しめるのに、普通じゃない。他に何にも似ていない作品(黒沢)」となった『CUT』。そんなナデリ作品に娯楽映画として最も近いのはクリント・イーストウッドかもしれない、という黒沢監督の言葉に市山Pディレクターもうなずき、「50年代のアメリカ映画のような雰囲気が漂っている」と付け加えた。
さて、そのナデリ監督は今年の東京フィルメックスの審査委員長。黒沢監督が「コンペ作品をナデリ監督がどんな選択をするのか、非常に興味深い」と語る通り、楽しみにしたい。
最後に、ナデリ監督が三たび登場。黒沢監督と握手を交わし「現代の日本の巨匠である黒沢清監督に登壇していただいて誇りに思う」と挨拶した。
(取材・文:花房佳代、撮影:清水優里菜)
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