『我が道を語る』ジャ・ジャンクー監督Q&A
TOKYO FILMeX ( 2011年11月26日 15:00)
有楽町朝日ホールで11月26日、第12回東京フィルメックスの特別招待作品『我が道を語る』が上映され、終映後に同作のプロデューサーも務めたジャ・ジャンクー監督によるQ&Aが行われた。ジャ監督と将来を期待される若手監督6名が、各界で活躍する12名の成功への軌跡をインタビュー形式で紡いでいくオムニバス・ドキュメンタリーの本作。その製作にこめた思いと、ドキュメンタリーとフィクションの境界などについて、自身の考えを語った。
まず、東京フィルメックスの市山尚三プログラム・ディレクターが、『我が道を語る』製作に至る経緯を尋ねた。直接のきっかけは、昨年中国・広東省の台湾系電子機器メーカー、フォックスコン(富士康)で従業員十数名が相次いで自殺した事件であると明かしたジャ監督。「田舎から出稼ぎに来た若者たちが、故郷を離れ一人寂しく都会で生活していくなかで、現実に絶望して自殺の道を選んだ。彼らにはもう未来が見えなかったのです。私はこの大変な悲劇にショックを受けました」と語り、「若者たちに希望の見えるものを与えたい。さまざまな困難や挫折に見舞われながらも、乗り越えて成功した12名の経験を見せてあげたかった」と本作の製作意図について述べた。
折りよく、ウィスキー・ブランドのジョニー・ウォーカーからCM撮影の依頼を受け、ドキュメンタリーとして製作することを提案。同ブランドが掲げる"Keep Walking"の精神と主旨が合致したことから企画が実現したという。
撮影に使用したのはキヤノンのデジタル一眼レフカメラ「EOS 5D MarkⅡ」と「EOS 7D」。質疑応答に移り、最初にこれらカメラの使い心地について問われたジャ監督は、「機能性の良いカメラで、公共の場でまわすのにふさわしいですね」と振り返った。そして、「インタビューの時に、相手にあまり"撮られている"という感覚を与えない」と利点を語った。
本作も、昨年の東京フィルメックスで上映された「海上伝奇」と同様に、インタビューを中心に構成されたドキュメンタリー。客席からは、ドキュメンタリーとフィクションの間を行き来するジャ監督独特のスタイルについて、「両者の境界を非常に曖昧に撮ることが多い。それぞれの表現手段についてどう考えているのか」との質問があがった。
ジャ監督は、「『青の稲妻』(02年・第3回東京フィルメックスで上映)から、大体ドキュメンタリーと劇映画の境界線で撮ってきました。『青の稲妻』の前年に、同じ大同(ダートン)の街でドキュメンタリー「In Public」も撮っています。06年には同じ三峡地区で劇映画『長江哀歌(エレジー)』(第7回東京フィルメックスで上映)と、ドキュメンタリー「東」を撮りました。そして、08年の『四川のうた』では、両方の手法をミックスしています。私はずっと、両者の境界線を破ることに興味を持って撮ってきました。一つの作品にドキュメンタリーと劇映画の要素をミックスすると、互いに補完し合うことができる。あまり意識することなく、そういう撮り方になっているのかもしれません」と、自身の考えを述べた。フィクションはその事柄が人間の中にどういう風に影響していったのかを撮るもので、ドキュメンタリーは実際の出来事の例を語っているという監督。「いま、目の前の中国で起きているさまざまな事件をフィクションにして撮ることで、フィクションとノンフィクションの境界を行ったり来たりしながら、一つの作品に仕上げています」と続けた。
チャンスをつかめず焦燥感に苛まれる若者を描いた『青の稲妻』を観たという観客から、『我が道を語る』は反対に、同様の境遇から成功を勝ち取った人々の姿に見えたという意見があがった。"一つの事象の光と影"として製作した意図があったのかと問われると、「本作は12名の成功を誇示する意味で撮ったわけではありません」と返したジャ監督。「中国の置かれた状況を考えると、さまざまな障害や壁が立ちはだかっている。貧富の差も大きく、特に中国西部は発展からも取り残されている。若者には生きにくい時代です。そういう中で、自分の力で、個人の努力で何かを変えられるのではないかということを言いたかった。自分が運命を変えていく。成功というのは一体どういうことなのかを、本作を通して伝えたかったのです」
本作で語られる12名の軌跡を通して、次のことが言えるという。「これまでの中国では、人々が頼りにしているのは政府でした。執政者に期待して、自分の人生をゆだねるという傾向がありました。最近では、自分がそれをどうするか、自分の力で社会を変えていくんだという、非常に前向きで主体的な動きがあるのです」
1950年代から現在を舞台に展開した『四川のうた』から、1930年代以降の上海の近代史を振り返った「海上伝奇」、そして本作に至るまで。異なる時代を切り取ってはいても、すべて「個人の異なる運命を、あくまで個人という観点から描いてきた」という言葉に力をこめ、質疑応答を締めくくったジャ監督。一貫して現代中国の現実に向き合う個人の姿を描いてきた監督のブレない姿勢に、会場が聞き入ったQ&Aとなった。
(取材・文:新田理恵、撮影:村田まゆ)
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